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地球へ 二

 局長室を出ると、省の空域エリアを維持する力場の上に、青い光が見えていた。今日も、地球の南半球に太陽光が当たっている。

 事務局からは、今まで使ったことのない制御能力の説明があると知らせがあった。実地訓練をしながらの講義となるらしく、愛香達は艦隊士官学校の体育館に集められた。この種の訓練は士官や下士官、兵士達のプログラムになっているため、教官達も素人同然の愛香達を目の前にして戸惑っている。

「皆、十七歳から十九歳か……。本来なら高校生なのに特別研究学生として選ばれている君達だから、充分な訓練を完遂すれば、警備部隊の兵士達と同じようにほぼ無限の処理能を発揮できるんだろうが。しかし、短い時間しかないので、基礎の基礎しか体得させられない。まあ、十代だから、この後も経験して発見していくのが一番いい方法だね。では、最初にトラリオンの展開ができるかな。それらを使って重力場、電磁場の制御……。」

 通信波動能と力場能の体得、短距離探知-通信波動能の体得、長波通信波動能による地上の観測……と、それぞれの訓練は熾烈だった。特に、学生となった時から身につけていた羽衣のようなトラリオンの展開と使い方は、単純なものではなかった。こうして短期間ながらの集中授業は、苛烈だった。十七歳の彼らであっても、寮から通いながら一週間で士官学校の基礎を教え込まれ、心身ともに衰弱し泥のように眠る毎日だった。

 愛香はまたいつもの悲しい夢を見ていた。しかし、いつもとは異なり、眠る愛香を父親が起こしに来た夢だった。朝餉を用意する母親は、無言のまま優しく微笑んでいる。親に甘えた時、全てが流れ去ろうとした。『お父さん』と大声で叫んで目が覚めていた。やはり苦い涙だった。


 この集中授業は、それほど愛香を追い詰めた。それは愛香には訓練のほかに寮の業務があるからだった。両親の事故死のときから数えて二十年経ち、肉体的には十七才となった今、愛香はペードリアンの配慮でこの学院の寮の住み込み兼給付生となっており、登校前の朝食準備整頓、放課後の業務が日課だった。訓練期間は炊事と掃除などに訓練が加わって疲れ切り、一日が終わってしまう。

 集中訓練が終わった日、地球行きを前に、愛香以外の仲間達は家族のもとへ一時帰宅していた。しかし、愛香は一人寮の部屋の中に残っていた。閃きのように考えが浮かんだ。生来不可視ながら愛香の傍の誰かが与えてくれたものなのだろうか。

『恐れるな、貴女は私のもの、私がいつも伴にいる。』

 両親を亡くした愛香は、事故から生還した直後に、ペードリアンという見知らぬ壮年の男に引き合わされた。そのころも幹部だった彼の邸宅は、妻と死別以来男やもめであるため、女っ気がない殺風景なところだった。印象に残っているのは、彼に手を引かれて連れて行かれた大学付属博物館の古代文書だった。死海文書と言われたものに書かれた言葉は、乾いた砂が水が吸収されるように、愛香の心の中へ吸い込まれた。先ほどの言葉も、その一つだった。それ以来、古代文書の様々な言葉が閃きのよう心に浮かぶ。この言葉を思い出すということは、旅立ちが近いということだろうか。


 集中講義の終わった翌々日の朝に、愛香の元に新長官となったペードリアンが訪ねて来た。ペードリアンはコールフォンに出た愛香に名乗った。

「ペードリアンだ。」

「かっ、閣下。お待ちください。」

 戸口に立ったペードリアンを見て、愛香は非常に驚いた。医療省の関係で抜擢された学生とはいえ、愛香はもともと寮に住み込みの取るに足りない貧乏学生だった。愛香は恐る恐る長官を中に導き入れた。


「一昨日までお疲れ様。一通りマスターできたのかね。」

「はい、一応は。」

 愛香はペードリアンを自室のリビングに招き入れ、1つしかない椅子に座らせた。その後も、愛香は直立不動のままであった。ペードリアンは複雑な表情を浮かべながら、愛香を見上げている。既に、ペードリアンは彼らの成績一覧を知っていた。その中で、愛香の成績が一番良い出来だったことが満足だった。

「良い出来だったことは聞いているよ。」

「恐れ入ります。ありがとうございます。」

 愛香はペードリアンを見ることもなく、前方を見たままこたえている。ペードリアンは思い出したように話題を変えた。

「君のお父さん達は気の毒だったなあ。」

 愛香は表情をかえない。

「君が幾つの時だったかね。」

「はい、五歳の頃です。」

 それから、愛香は、思わず長く父や母の思い出を話し続けていた。ハッと気がつくと、ペードリアンは静かに聞き続けている。

「失礼いたしました。自分で一方的にお話ししてしまいました。」

「いや構わんよ。私も聞きたいと思っていたことだ。」

「閣下は父や母をご存知なのですか。」

 一介の学者一家など、このお偉いさんが知っているわけがないと思いながら、思わず質問していた。

「知っているよ。」

 ペードリアンの答えは予想外だった。しかし、愛香はにわかには信じなかった。ただの気まぐれでこの少女に付き合っているだけだと思った。しかし、ペードリアンの次の言葉は、愛香の感情に波を起こした。

「君の母親も立派な人間だよな。しかし、わがままが過ぎてあんな事故にあったのかもしれないな。」

 愛香はその言葉に鋭く反応した。

「それはどういう意味でおっしゃっているのでしょうか?。母は私をあの事故の時に命ををかけて助けてくれました。その様な人が他人から我儘と云われる所以を私は聞いたことがありません。」

 愛香は次第に激情に覆われてきた。目の前のお偉いさんは確かに抜擢してくれた人だった。しかし、彼の言葉はあまりにもひどかった。またも、老人は顔色一つ変えずに言い放った。

「そうかね、彼女は自分勝手にこの星系を飛び出して、子供まで危ない目に合わせて、遂には帰ってこなかった。彼女は…。」

 愛香はふと父母たちの事故が関係者だけの秘密とされ。大きく話題にされたことのないことを思い出した。それにもかかわらずこのお偉いさんは、母を特に挙げ、まるで組織や社会全体が母達を心配をし、大問題だったかのように言っている。まるで身内であるかのように……。

 愛香は、その自らの考えに驚愕した。この激情を示した、母より一つ世代前の老人は、母の肉親……。愛香は激情をすっかり消し、元の静かな表情に戻っていた。ここは慎重な言い出し方が必要だった。

「もしやあなたは母の方の……。」

 ペードリアンは、ハッとしたように自分を取り戻した。

「その質問には答えられない。」

 答え方は硬かった。旅立つ前の愛香に知られるわけにはいかなかった。愛香もその母親も彼には会いたくないはずだった。部下の上司との関係に、もうこれ以上肉親の思いを加えたくはなかった。

「でも……。」

 愛香は食い下がった。その気づきの良さに内心目を細めながらも、ペードリアンは遠くを見るように静かに語り出した。 !

「あの時、ある娘はその母親を許せなかったようだ。幼い女の子を庇うように言い放ったんだ。『もう二度と私たちの前に現れないで。』と。その母親はもう、とうに亡くなっているが、それでも、父親も、娘やその小さかった女の子の前に現れるべきではないと悟っていた。」

 ペードリアンは、その時の情景を思い出しながら話し続け、語り過ぎてしまった。そして、やはり愛香は涙を流していた。ただひたすら涙を流した。止められなかった。今まで不足した涙の量を取り戻さんばかりだった。愛香が泣いたことがないと知らされていたペードリアンも、その姿に戸惑ってしまった。ペードリアンは、自らの愚かさを悔いた。

「閣下、こちらを見ないでください。見ないで。見ないでください。」

「悪かった。許してくれ。君の前に祖父として現れるつもりはなかった。それでも、寮に住み込みとして入れたのは、君には強く育って欲しかった、君が過去に囚われずに育って欲しかったからだ。そしてこうしていま、私が想像もしなかったほどにまで育ってくれた。しかし、今とても困難な任務に向かうことになった時、公務に託けて忘れ形見に会っておきたかった。…………悪かったね。これで私はここを去ることができる。」

 ペードリアンは、静かに出て行こうと戸口へ向かった。愛香は思わずペードリアンの手を取った。愛香は捕まえたその手に覚えがあった。小さい頃に手を引いてくれた幾分指が長く暖かい手だった。

「閣下」

 愛香はその後にためらいながら呼び直した。

「おじいちゃん」

 ペードリアンは思わず振り返った。

「おじいちゃん!」

 愛香は何度も呼びかけ、ペードリアンの背中にすがりついた。

「おじいちゃん!、おじいちゃん!」


 意を決したペードリアンは、そのまま愛香を連れ出した。

「林愛香訓練生をどうするおつもりですか。」

「その少女をどこへ連れて行くのですか。」

 驚く寮長の前を通りながら、ペードリアンは彼の邸宅へ愛香を引っ越させようとした。

「お待ちください。林訓練生は訓練を終え、もうすぐ作戦行動を控えている身です。」

「彼女は私の孫娘だ。」

 ペードリアンは普段見せない上気した顔でそう言い、愛香の手を引いて歩き続けた。その前方に教官やダンカン、イブラヒモビッチ開発探検局長とジンジッチ艦隊司令長官までが駆けつけていた。

「ペードリアン閣下、お待ちを。」

「彼女は私の娘の忘れ形見だ。」

 ダンカンたちは、その言葉を聞いて驚愕した。愛香は、ペードリアンのその言葉にペードリアンの強い気持ちが込められているのを悟った。他方、ダンカンたちは戸惑いつつペードリアンをたしなめた。

「彼女が孫娘だから、あの時地球行きに反対したのですか?。このプロジェクトのきっかけと重要性は彼女の能力に依存するもので……。」

「そんなことはわかっている。今は地球へ行くまでの間、彼女に祖父として少しばかり接してやりたいだけだ。他の訓練生が家族の元へ帰っているのだ。愛香にも家族がいることを覚えて欲しいだけだ。」

 ペードリアンは静かにそう言って士官学校を後にした。

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