地球へ 一
ペードリアンは、愛香が救出された直後に自分の執務室へ連れてこられた時のことを思い出していた。五歳の愛香が発見されたのは、η星観測基地の残骸の中だった。両親のいた観測ドームはシールド発生装置ごと吹き飛ばされ、残った居住区も、恒星とは反対側の残骸の中にシールドがかろうじて維持されている程度だった。愛香は救助隊員が来るまでは、ひとりで数ヶ月を過ごした後冷凍冬眠で四年間も居住区を守っていた。話し相手は古い人工知能だけだった。彼女は幼い文字で助けの望めない状況を理解した上で、なお父母を求め続けていた。
パパとママのいうとおり きょうより もっともっと あしたはなかない ようにするから
おねがい かえってきてください おねがいです ほんとうに もうなかないから
この幼い文を見出した時、ペードリアンは愛香の小さな胸の内を目の当たりにしていた。しかし、彼女は、一人でいた時も、月の本拠地に帰還できた後も、孤独でありながら忍耐強かった。彼女はペードリアンが住み込まわせた寮の仕事を、孤独なままにも今までしっかりとこなしてきている。それを見守り、かつ寮母に厳しく指導させてきたのは、ペードリアン自身だった。彼が孫の彼女をそのように追い立てたのは、強く生き、昔を振り返らせたくないためだった。そして、その甲斐あって、愛香の飛び級、抜擢につながっている。
愛香達は医療省を通じて、宇宙艦隊に呼び出されていた。宇宙艦隊の本部では、ダンカン・イブラヒモビッチ開発探検局長とジンジッチ艦隊司令長官、ペードリアン医療省次官達が議論をしているところだった。医療省の側は、愛香達の安全が保証しにくいという状況のため、未だに派遣に反対している。
地球が核戦争後の壊滅時に月が地球から断絶された時以来、地球の周りには強力な電磁シールドにより時空の断絶が設けられていた。それは地球からの放射線を遮断するために設けたものと言われていたが、実際は地球との断絶のためだった。その後、科学技術の発達とともに、念のためか、または地球に残された者達に対する恐怖からか重力シールドも加えられていた。その時空の断絶の下の地球上へ、それを超えて地球へ下りることは、月とは異なる時の流れを過ごす事になり、愛香達が月文明から隔絶されてしまう恐れがある。
「わざわざ地球へ行かなくとも、銀河の他の星に行けばいいのではないか。」
医療省はまた議論を蒸し返している。ジンジッチ長官は、またかというように返事をした。
「他の星系にはハビタブルゾーンは有っても、生命の痕跡すら発見できていない。銀河のどこへ行っても、退化しつつあるミトコンドリアへの対策は発見できていない。」
「でも、生命がいないと証明されているわけではないだろう。銀河にはいなくても、アンドロメダやマゼランにはいるかもしれない。」
「しかし、それでは我々の危機には間に合わない。すでにこの数千年で銀河の各星系探検、そして開発を進めて来たが、誰も文明を持つものはおらず、生命すら発見されていない。」
「でも、生命いつかは見つかるかもしれない。」
「そんなゼロの可能性に文明の未来を賭けることはできないんだよ。目の前にある地球にいる生物もしくは古代のバイオ技術に答えを見つけるという、より確からしい方向へ駒を進めるべきだと、政権中枢も判断している。」
「しかし、地球の生物は遺伝子的には損傷が激しく、既に我々のミトコンドリアの崩壊の助けとなるような余地は無い。」
「だからこそ、地球のどこかにあるはずの太古のバイオ技術文献に望みを託す事しか、道が残されていないのだよ。既に、我々は皆が交代交代で十二年の冷凍冬眠をとり、種としての生を長らえている事態になっている。それは、他の生物種についても同じ処置をしている。しかし、このままではジリ貧であり、いずれ我々と他の生物種も滅びていくだけだ。」
「そんなことは、皆分かっている……。これは閃きを司る方の示唆なのだろうか?」
医療省の側はこれでしぶしぶ納得できたようだった。ダンカンは最後に言った。
「生命は地球にしかいなかった。そもそも、他の星系に生命は痕跡すら発見されていない。我々月文明は孤独なんだよ。」
医療省の人々はドアを開けて外に出て来た。一様に議論に疲れた顔をしている。ペードリアンは、廊下ですれ違う愛香達を見つけると話しかけて来た。
「君達、つまり私たちの幹部候補生を、本当はこんなプロジェクトに供出したくなかった。」
そう言って医療省のお偉方は帰っていった。入れ替わりに探検開発局長室へ入った愛香達は、社会人にも、一人前にもなっていないのになぜ仕事をさせられるのか、分かっていなかった。ダンカンは口を開いた。彼がこれからの愛香達の上司だ。
「来てくれてありがとう。 」
やはり、若者たちには戸惑いがあるのだろう。彼らの口からはぶしつけな質問がダンカンにぶつけられている。
「長官、なぜ私たちは行かなければならないのですか。 」
ダンカンは静かに続けている。
「それは、文献学、特に古代の分類学に多くの才覚を持っているのが君達だけだからだ。そうでなければ、まだ大学三年が終わったばかりの、いや十七歳になったばかりの愛香君までも、わざわざ危険な領域へ送り出すわけがない。だからこそ、幾重にも安全策を採用している。」
「そうですか。」
若者たちはやはり気が進まなかった。ダンカンは構わず続けている。
「さて君達、地球へ降りて行った後の注意点を言い渡しておく。君達は無垢な存在だ。その君達を下ろすことは、狼の中に子羊を下ろすようなものだ。地球の周りに時空の断然を設けて月が地球から隔絶された時以降、その向こうには、別の時の流れが生じており、太古の地球その歴史の上に、並行世界が成立しているかもしれない。こうなると、私も想像できない艱難が待ち受けている。艱難とは、不明動物の襲来かもしれないし、事故による怪我かもしれない。何がいるかもわかっていない。我々の長距離スキャンでは正体が分からない蠢きがあるのも確かだ。何らかの知恵を持つ者があの時以来残されているのかもしれない。しかし、地上には我々のように電磁場もしくは重力場を応用したシステムさえ残されておらず、また見当たらない。知恵があっても隠れて棲息している者達だろうし、使用するエネルギーは、火ぐらいのものだろう。」
イボーが手を挙げて質問を投げかけた。
「質問があります。我々はご存知のように学生にすぎません。旅行の仕方も、身の守り方も、何もかも無知です。」
淑姫と淑香の二人が顔を見合わせながら躊躇いがちに相槌を打つ。
「そうだよね。……生活の仕方と身の守り方と、いろいろ勉強してから……。そうでないとどうやってお役に立てるやら。」
ダンカンが静かに答える。
「君たちでないとできないことがある。つまり、古代文献学、その分類の知識、発見のスキルを有しているからだ。何より強みなのは、このプロジェクト発案の土台となる案を、愛香さんが提出したからだ。」
フリオもまだまだ不安が大きいらしく、口を開いた。
「でも、我々では……。」
「もう君たちに頼むしかないんだよ。われわれ月文明には時間が無いのだよ。」
愛香たちが想像した以上に事態は深刻だった。重苦しい空気が支配していた。おもむろにダンカンが計画について説明し始めた。
「君たちにはある程度訓練を施す。とはいっても、多分何もできないだろう。そのため、警備兵数人をつける。全員で古代中国首都遺跡の発掘を目標にする。そのために隠密に海上から黄河を遡る。遺跡と思われる地域では夜間に上陸を図る。そして、遺跡を見つける。この手順になる。」
「計画が簡単すぎます。」
「確かにそうだ。しかし、現時点では情報が少ないのでこれ以上精緻なものは作れないのだ。ただし、上陸にはシャトルを用いる。前時代的だが、これがあると電磁重力場シールドを抜けられるし、もしもの場合に逃げ場所になる。……以上だ。」




