時のうつろい 四
十四年の年月が経った。その間にオリエの周りでは様々なことがあった。
オリエが七歳となった時、落ち延びた島の城塞に愛香を探しにきたという訪問調査団が来た。彼らは自らを海から来たと紹介した。しかし、彼らの服装は表面の上着こそ現地の人と同じものだったが、首元に見えた布地は、幼い頃にオリエが見た愛香のスーツとおなじものだった。
その団長はペードリアンと言った。しかし、彼のみは地上では見たことのないほど年老いていた。そのほかの人々は側近のテラートと同じ程度の年齢に思われた。
「仁煕帝陛下におかれてはご機嫌麗しく、わたくしども団員一同恐悦至極に存じあげ奉ります。私どもは、私どもの同胞である愛香を探しに来たのです。」
彼らは海から来たと民であると自らを説明したが、言葉のイントネーションは、愛香のそれに似ていた。そして、彼らが愛香を探しにきたということは、愛香は未だに何処かに残っていることを意味した。
「愛香様の国の方、ようこそお出で下さいました。」
オリエに代わって、テラートが摂政として声をかけた。
「愛香様を我らが最後に見かけたのは、アムール川の河口でした。愛香様はウスリー要塞は戻られるとお聞きしたのが、最後の言葉でした。」
「ウスリー要塞?。今はどうなっているのですか?。」
「あの頃、我らは圧倒的な煬軍に攻め立てられ、この島々まで逃げる途中でした。その我々を救うために愛香様は私の育ての親である迪恩とともに、ウスリー要塞に立てこもったと思われます。」
「その後彼らはどうなったのですか?。」
あの時の我々は、ほとんど戦力が残っていませんでした。今でも、親衛隊がやっと編成できた程度です。多くはまだ乳飲み子や幼児、その母親たちです。」
「私たちはそのウスリー要塞へ行くことはできませんか。」
テラートは残念そうな顔をしながらこたえた。
「煬軍が占領している地域であるために、なかなか……。」
「いや、ウスリーを取り戻そう。」
テラートはあからさまに反対した。しかし、七歳のオリエは躊躇がなかった。オリエは愛香の顔を思い出し、勇気を出していた。
「わかりました。陛下。我々の親衛隊はあの戦いで生き残った検非違使の精鋭です。ウスリー要塞を取り戻しましょう。」
ペードリアンたちはその遠征隊についていくと言い出していた。
こうしてオリエが言い出したウスリー要塞回復作戦が開始された。
彼らはウスリー川辺りまで進軍した。なぜか煬軍には覇気がなく、あれよあれよと言う間にオリエの遠征隊に押し込まれていった。さらにウスリーに達した時、煬軍が要塞を占領していないことにオリエたちは驚いていた。彼らは単に排除されないからこの地域に留まっていたようなものだった。そこで、オリエは煬軍兵士の一人を捉えさせて様々に質問を重ねた。
「お前たちの将軍はなんと言うのか?」
「ヤルカ様でした。」
「でした?。」
「ウスリー要塞には、呪いがかかっており、そこへ入った兵士達は、悲鳴をあげた後はもう一人も出てきませんでした。その要塞にはまだ呪われた死人達がまだウヨウヨさまよっているのです。ヤルカ様も、兵士達をそのウスリー要塞に攻め入らせたために、攫われ地の底に引き込まれてしまったのです。」
「地の底へ?。」
「ヤルカ様は突然我らの要塞からアムールの流れの辺りまで攫われました。たまたまそこにいた兵士達は、皆捕まったヤルカ様が引きずりこまれるのを見ていました。あとを追った兵士達も、帰ってきませんでした。きっとあそこはそこらじゅうが地獄の入口なんです。」
横にいたペードリアンは、その話を注意深く聞いていた。質問はしないものの、何かを確信したようだった。
煬軍を掃討し終わった遠征隊は、ウスリー要塞の跡へ戻ってきた。しかし、そのまま入り込むわけにはいかなかった。ペードリアンは他の若い同行者とともに慎重にウスリー要塞の調べ始めた。
ペードリアンは、まず入口のトラップが三重になっていることを見つけた。さらに要塞の中へ進んでいくと、落とし穴や紐のような仕掛けの類はない代わりに、人体の侵入とインダクタンス変動検知によるサーベルビーム射出、光学トリックによる迷路や落とし穴、高電圧階段など多種にわたっていた。このようにして、ペードリアンは、愛香の工作の時間跡をいくつも発見した。確かに、愛香レベルの知識がなければ様々な罠を無効化する事は難しいと思われ、ペードリアンはオリエにウスリー要塞の回復を、調査団に任せるように勧告していた。
「この仕掛けは愛香の工作ですよ。彼女はなかなかずる賢いところがあるようで、その仕草が眼に浮かぶようです。」
オリエは愛香の工作の際のいたずらっぽい表情を思い出していた。ペードリアンは愛香の真剣な時の表情を思い出していた。
一通りの調査と要塞の正常化が図られた。ペードリアンは、愛香の手がかりがつかめないことに疲れを覚えていた。愛香が確かに働いた証はいたるところにあったが、愛香を見出すための証拠にはならなかった。この世界に愛香を送り出したことを今更ながらに悔やんでいた。悔やんでも悔やみきれないことだった。落ち込み沈んだ心を慰めるかのような風が、夏の終わりを告げていた。ふと、呻くような声が聞こえたのか、上り口の方から近づいてくる気配が聞こえた。まだ七歳の仁煕帝オリエだった。二人は黙ったまま、互の目を見つめていた。
「陛下は、愛香とどのようなご関係だったのですか。」
「彼女は母上です。」
ペードリアンは、その言葉に驚いた。愛香が地上滞在期間はせいぜい三年程度であるはずだった。子供がいると言うことは、重力が強いのに地上の時間の進み方の方が速いのだろうか?。そうすると、目の前の陛下と呼ばれる聡明な子供は、愛香の子どもだったのだろうか?。
オリエは、母親という言葉に思いを込めて強く言ったのだが、ペードリアンの戸惑いに気づいて言い直した。
「私を母親のように愛し慈しんでくれた唯一の女性でした。知識を教え、生き方を教え、忍耐を教え、アドニーをともに大切にしてくれる方でした。」
ペードリアンは、目の前の子供は、愛香が愛した教えの継承者だと悟った。その意味では確かに愛香を母親と呼んでもおかしくはなかった。それは、月文明が大切にしてきた教えの継承者でもあることを示している。
オリエはペードリアンの目が急に優しさを帯びたことに戸惑いを覚えた。それは、愛香の言っていた、彼を今までもこれからも見守る方なのだろうか。そうなのかもしれなかった。母親の優しさしか知らない彼にとって、甘えても良いのかと言う気にさえさせる、深く柔らかな視線だった。
そうして、幼い子供の視線と老いた老人の視線は、いろいろな思いを背に絡み合い、無言のまま時間が過ぎていた。
さて、ペードリアンたちはこのように探しながらも、愛香を見いだすことはできないままで、帰っていった。そのことがあってから、オリエは来る日も来る日も愛香を心の中で強く求め続けるようになっていた。求め恋い焦がれるままに十才となり仁煕帝となったオリエは、戦いに駆り立てられていった。その心の中は、愛香を求めていたためだった。それは母を求める心だったが、次第に手に入れることのできない永遠の女性としてその幻の姿を求めるようになっていた。
オリエは十九歳となった。 オリエは気が狂ったように版図を広げていた。十四年前には迪恩や愛香がいたというウスリー要塞も再建し、アムール川やウスリー川流域を調べさせたこともあった。さらにオリエは義帝国として再興を果たし、大陸の北から南へ、西の果てまでも転戦を繰り返して版図を広げ、愛香たちを求めた。ついには、ヤルカを失い蒙塵を立てた煬をオリエの率いる義軍は圧倒するようになり、煬はインド亜大陸の西の向こうへおいやられていた。しかし、どの地域にも愛香たちはいなかった。
あるとき、ウスリー要塞の近くで山腹を崩す爆発が繰り返されていると言う知らせが、オリエに報告されて来た。その辺りの情勢は細かいことも必ず報告させているためだった。
「ウスリー要塞の近くで、火山の噴火がありました。山頂が吹き飛んでいます。」
「いままであの辺りに火山はありません。」
「やはり魔物が……。」
テラートは呪詛術の類ではないかと考えた。
「しかし、ヤルカまで犠牲になるほどの力では、我々も対抗できませんぞ。」
「待て。結論を急ぐな。」
オリエはいくつかの質問をした。
「爆発した後の穴はどのようなものか。溶岩がなかったか?。」
「いえ。溶岩はありません。」
「地震は?」
「あの地域は、確かに地震のある地域ですが、いずれも広大な地域の地震です。あの火山が震源にはなっていません。」
「爆発の音は?。」
「爆発は数回ありましたが、いずれも高い音が聞こえ、山頂を吹き飛ばしました。」
「ガスの臭いはどんなものだったか?。」
「何も臭いませんでした。それが不思議なところでした。やはり、魔物がいるのでしょうか?。」
「わからない。」
「ご苦労だったな。麓から山へ登るのは辛かっただろうね。」
「ありがとうございます。しかし、火口の現場に着いてみると、噴火口近くではかえって呼吸が急に楽なるのです。斜面を登りきったものに祝福を感じさせるような、苦しさを解放するような。やはり、魔物ではないでしょうか。」
「わかった。吹き飛ばされた岩などを回収して来てくれないか。調べたいことがある。」
オリエは再度調査隊を送った。彼らの調査によれば、その後もその山は地震や火山でもないのに地下からの爆発により山体崩壊を少しずつ繰り返し、今では繰りかえす爆発が中腹だった高さまで土砂を吹き飛ばしていたと言うことだった。さらに、その土砂に、愛香の愛用したいくつかの化粧道具が発見されていた。
その報告を聞いたオリエは、自らの目で確かめるために、本拠としていた島々からテラートや親衛隊とともにウスリー要塞へ足を伸ばした。
再建されたウスリー要塞は、オリエが長期に滞在できるよう、いわば夏宮として作り直されたものだった。
オリエはウスリー宮へ着いた次の日には、報告された山へと出かけた。崩壊した山は、アムール川にも土砂を堆積し、辺りの景色は一変している。その平坦な土地に鈍い銀色の塔が聳えている。近づいてみると、幾本かの棒に螺旋階段が絡んだ建物だった。廃墟と言った方が良いかもしれない。繰り返された爆発は、螺旋階段や棒の上部を土砂と一緒に吹き飛ばしている。それでも、地面から数メートル上までの部分が残っていて、その下は、地下へと続いている。明らかに石でできた城や木造の建物ではなかった。階段は、崩れかけた土砂が多少入り込んでいる小さな穴へと入り込んでいる。オリエたちが中へと入り込むスペースが丁度あった。
オリエはテラートの制止も聞かずにその施設に入り込んで行った。テラートも入っていかざるを得なかった。その螺旋階段は、さらに深く地下へと伸びていた。三層ほど下がったところであろうか、固く閉ざされた部屋があった。既に入り口以外にも崩れた壁の穴から室内をうかがいしることが出来た。
オリエ達が入り込んだその部屋には、四つの透明なカプセルがあった。それぞれには人がいた。周辺の見慣れぬ銀の箱が呼吸するような大きな音を立て始めていた。それとともに、四つのカプセルは、蓋が開く兆候を示していた。
冬眠が中途半端な時に中止させられることは、通常あり得なかった。長い時間をかけて覚醒させるため、はっきりと目覚めた時には既になんらかの問題が大きくなっていると考えて良い。それを示唆するように、最下層の方で鈍い振動が始まっていた。愛香はまだ目覚めないままに、トラリオンを起動した。その出力は小さいままでも、その特徴的な波形と微弱な放射能の増加を愛香に知らせた。カプセルのドアが開いたが、愛香は動くことができなかった。愛香のそばで、聞いたことのない低い言葉が囁きあっている。
「これは、母上だ。」
「この隣には、迪恩殿が寝ています。まだもう二つあります。」
「衛兵!残りの二つを調べよ。」
「閣下!。一人は見知らぬ男ですが、もう一人は愛香様や迪恩殿、我々を追い詰めた煬のヤルカ将軍です。」
「今はまだ彼らは寝ぼけている。その二人は今のうちに拘束しておけ。」
愛香の周りは騒々しくなっていた。それでも愛香は痺れた体を動かせなかった。起きることを促すように、男が愛香の頬にキスをした。ようやく愛香は目を開けることができた。
「僕はあなたを贖う。あなたは僕のもの………。」
その声は大きなオリエだった。
「僕の愛香……。」
「貴方は?」
「私はオリエです。」
「え?」
愛香は、急に羞恥を覚え、覆いかぶさるように愛香を見下ろす若い男の顔を見つめた。