時のうつろい 三
煬軍が迫害に強く執着しているのは、ヤルカが将軍として指揮を執っているためだと思われた。その見方を取った愛香は迪恩と一計を案じ、煬軍の本陣にヤルカを拉致すべく潜入を図った。
彼らは秋の夜霧の紛れながら、ウスリー川の上流からアムール川に面した敵基地の背後に回り込んで接近していった。ヤルカの居室は川沿いの会議室を兼ねた実務的なものだった。しかし、深夜になると、衛兵が二人ほど歩哨する程度で、警備は薄かった。これは、ヤルカ自身が自らの武技に自信があることを意味していた。そこで、ヤルカを捕縛する形ではなく、ヤルカが愛香を取り押さえたタイミングで迪恩がヤルカに襲いかかると同時に、愛香は絡み合った三人をトラリオンで拘束したままクモーの洞窟へ高速移動する作戦を立てた。
愛香は無音のままベッドに近づき、眠っているヤルカの首に短刀を突きつけ、静かに言った。
「動かないで。」
しかし、格闘戦に全く慣れていない愛香は目覚めたヤルカのトリックにより、やすやすと背後を取られ逆に右手を後ろ手に回され縛られてしまった。両手両足のきかない愛香にヤルカは左手で彼女を抱き寄せその顎を右手で掴みながら、疑い深い表情をして迫るように詰問した。
「無音で近づけたくせに武術もろくに出来ないのかね。」
ヤルカが愛香の大気内スーツに手を掛けて引き剥がそうとした時に、愛香は悲鳴とともにちいさな電撃を彼に加えた。後ろに弾き飛ばされたと同時に愛香は閃光でヤルカの視力を奪った。その直後に迪恩がヤルカを床の上に四方固めのような姿で動きを封じることができた。
「そのままでいて。」
後ろ手に縛られたままの愛香はヤルカを封じている迪恩の背中に身を重ねて、トラリオンの力場で自らと二人とをまとめてしばりあげた。しかし、迪恩は前面にヤルカを抑えたままであるため、背中に愛香がうつ伏せで重なった時には、トラリオンと戒律とに縛られ動けなくなってしまった。
「愛香様。なぜ背中合わせになってくれなかったのですか。貴女の前面を私にお重ねいただくのは、非常に困ります。」
「我慢してください。私は後ろ手に縛られていますし、トラリオンは背中に取り付けられていますので、三人をトラリオンで纏めるには貴方の身体に私の前面を沿わせるしかないのです。」
迪恩はヤルカを封じるために身じろぎさえしてはならなかった。ヤルカがもがき愛香の身体に強く押されつけられる迪恩は、悲鳴に近い声を上げたが、愛香は迪恩に構わずに力場を展開しながら基地の天井を突き破ってクモーの住居まで飛行させていた。
アムール川を一気に下り、クモーの住居入口に降り立った時、愛香はトラリオンの拘束を解いた。迪恩は、汗だくの手に剣を持ってヤルカを用心深く立たせた。クモーは愛香の束縛を解き、愛香はヤルカに力場を当ててクモーの住居へ押し込もうとした。
ただ、その辺りにはまだ煬軍兵士達が散開しており、警備の網は解かれてはいなかった。悲鳴に近いヤルカの大声に呼応して、たちまち兵士たちが周囲から駆けつけてきた。しかし、彼等は目の前にしたのは岩の中へ引きずり来られるヤルカの姿だった。兵士達は後ずさりしたが、それでもヤルカは諦めなかった。中に引き込まれたヤルカはダイニングに転がり込むと、そこにあった短刀を掴み、クモーの住居の中で迪恩と剣を交えて始め、住居の三層下まで逃げ込んだ愛香が、二人に向かって叫んでいた。
「この中で立ち回るのは危ないわ。」
クモーが心配そうに見てしていると、外の煬軍兵士達がクモーの住居へなだれ込んで来ていた。クモーはとっさに入り口の爆破を図り、愛香はクモーにより居室の中へと引き込まれた。その後に続いて入口から下へと逃げ込んできた迪恩とヤルカは、大立ち回りをしながら迪恩の居室の中へ入り込んだ。他方、ヤルカの後を追ってきた兵士たちは爆破の後に崩落してきた鍾乳石や土砂の中へひきこまれていた。結局無事に残っていたのは、四人だけだった。
爆発とともに、クモーの住居の配電設備は全てが切れてしまった。照明の切れた暗黒の中で、愛香はクモーとともに隣室迪恩の居室に聞き耳をたてると、戦っていたはずの二人の動きが止まっていた。
クモーの住居には、まだ他にも構造的な危うさが残っていた。クモーの住居は鍾乳洞を利用した設備であるため、簡単に作っている住居部と脆い炭酸カルシウムとの接合部が非常に脆いものだった。クモーは既に三年もの間この場所に住んでいると言っていたが、最近あったらしい大きな地震による接合部のズレが、観測されていた。しかも、クモーは接合部の構造的な欠陥に注意を払ってもいなかった。そして、やはり恐れていた通り、ヤルカと迪恩との大立ち回りの後の爆発によって、入口、食糧庫とダイニングルームは潰れ、その三層下に三室ほどあった寝室は、クモーの居室以外が潰れていた。
愛香は、迪恩を救い出す算段のため、 しばらく居室の中を確かめていた。非常照明があったものの、捜索を続けるため部屋の外へ出ると、螺旋階段の設けられた配管室では、一度目の爆発で原子炉が非常停止した為か、加圧冷却水や加圧二酸化炭素を伝熱流体にした流体管、熱水の分解によって得た水素や酸素の配管、プラチナを伝熱体とした熱伝導管も動きが感じられなかった。暗黒の静寂な中を、となりの迪恩の居室まで行こうとした。しかし、クモーの居室以には崩壊した岩石が上から押し寄せて、配管も螺旋階段も土砂に埋まっていた。愛香は、大きな岩石の隙間に入り込みながら迪恩の居室にたどり着いたものの、変形したドアを開けることは出来なかった。彼女は、少しばかり蓄積したトラリオンの力場制御により軽々と穴を開けた。そして恐る恐る迪恩の居室の中を見ると、ヤルカと迪恩とが鍾乳石や砂に押しつぶされた形ではさまれていた。
「迪恩!。吉迪恩!。貴方は大丈夫?。」
しかし、迪恩は返事をすることが出来なかった。愛香はトラリオンの出力を上げて迪恩とヤルカとを自分の足元の場所までに引き出すことはできたが、二人とも動くことができなかった。特にヤルカは内臓が損傷しており、トラリオンの力場を細かく制御してヤルカの内臓の損傷を繕う必要があった。
無痛のまま処理を受けているヤルカは、施術の間に目を覚ましていた。
「動かないで。動くと出血します。」
ヤルカは愛香が怪我の処置をしている様子に驚き身じろぎした。それは、ヤルカの内臓の配置を投影しながらトラリオンの力場や導波路を利用して細かな接合処置をしていたからだった。
「ほら、今痛かったでしょう?。」
そのあとはヤルカはおとなしくなり、愛香はそのままその作業を狭い空間の中でし続けていた。しばらくしてクモーが顔を覗かせてきた。
「愛香さん。貴女は魔法使いか?。この星には魔術士が色々いるようだし。」
「そう見えますか?。」
愛香はそれ以上説明する気は無かった。ただ愛香に言わせれば、魔術などこの地上にありはしなかった。呪詛にしても、電撃にしても、全てはこの世界の先史時代の遺物や今の環境利用したものに過ぎなかった。
照明が復帰しないままに、愛香とクモーは迪恩とヤルカとを三階層下の避難所のような部屋に運び込んだ。そこは、クモーが何度か冬眠に使用してきた部屋で、頑丈な構造体の中に最下層から動力伝達路が形成されていた。しかし、ここも照明は復帰しておらず、非常電源のままだった。暗闇から浮かび上がったクモーは、浮かない顔をしていた。
「この住居から出ることは困難です。一番頑健な設備ですからこれ以上崩れることはないでしょうが……。しかし、食料が尽きかけています。まずは少なくとも、動力を回復しなければなりません。」
仰向けに休んでいた迪恩が口を開いた。
「水はありますか?。飢えをそれで少しは凌げます……。それに……。」
そう言って迪恩は飢えを凌ぐ方法をいくつか知っているようだった。
「この住居には食料がいたるところに歩き回っています。今も、歩き回っている音が聞こえるほどです。」
愛香は迪恩の言葉の意味するところを理解していなかったが、その言葉を聞いたヤルカはうなづき、クモーはあからさまに嫌そうな顔をしていた。
「そんなことをするくらいなら、死んだほうがマシです。」
「しかし、食べられるし、美味しいものもいますよ。料理が必要なので、火が必要ですね。」
愛香はエネルギーの回復を考えていたので、火という言葉に反応して答えていた。
「火の代わりに熱伝導管の露出部分を利用できますね。でも、何より照明を回復しないと何も始まりません。」
苦り切った顔をしているクモーも、何かを企むような陽気な表情を浮かべた迪恩も、灯りを回復することには反対しなかった。愛香は検討を続けている。
「熱伝導管は熱源として利用出来ますけれど、電力をどうするかが問題です。配電設備はどうなっているんですか?。」
クモーは施設全体を見回って来た後に、あまり浮かない顔をして帰って来た。
「原子炉は自動的に止まっています。無事ですね。コンバーターも無事です。水分解プラントも無事ですね。ただ、発電用プラントはタービンという水車が壊れています。つまり、発電できないということです。また、配電線も寸断されていて、修理するのに時間がかかります。」
「酸素と水素は来ているのですね。それなら燃料電池を作りましょうか。」
愛香は自らの大気内スーツの材料を確かめるように眺めた。それは、酸化イットリウム安定化ジルコニアと、ジルコニアニッケルサ ーメ ット、それにストロンチウムカルシウム添加マンガン酸ランタンのペ ロブスカイ ト型酸化物とが配置され、ガーネットメタマテリアル結晶が散りばめられている。それらの材料から、電極や固体電解質を電極やフィルタの材料とした燃料電池は作れそうだった。ただし、最低限の胸と腰回りのスーツ材は使うわけにもいかず、実際には、小規模な燃料電池を一つ作り上げるのがせいぜいだった。
食料の方は、愛香達の工夫の間に迪恩が施設のさまざまな場所から捕まえて集めていた。
「これは森のネズミ。これは蜂の子、土蜂までいましたよ。」
迪恩は自慢げに色々紹介しているが、うなずいているのは敵将のヤルカのみであり、愛香は顔を青くさせ、クモーにいたっては聞くに耐えないという顔をして、その場を立ってしまった。
愛香はクモーのために、食材を炒めたり、すり潰してスープにするなど工夫を続け、数日はなんとか夕食をともにすることはできていた。四人はそれぞれのわだかまりを持ちつつも、互いの話を交わしていた。そのうちヤルカは三人の知らない煬帝国の様子を三人に聞かせた。
「我々の国々は、幾百年。よき古代の人々がいなくなり、乱離により天下は分離し、戦争や飢饉が人々を苦しめ、秩序が乱れた時代となつたとき、天の知識と力とを得た黄を祖とする先立達が征服し維持してきた。天の知識と力は天に認められた者にしか見えないが、それを後代に見出しては皇帝とし、あるいは宰相とし、今に至っている。今では私が宰相として皇帝を力づけ、日々遠征転戦してきた……。今では西は大陸の端、南は海沿い、東はまた海に至る。また、我々は神々により呪詛術、撃術、火の玉術などを得ている。これらのことが相まって、煬帝国とその軍が強いのだ……。しかし、私はこの女に幾度も打ち破られ、迪恩に取り押さえられてしまったが………。
我々の版図には、西の果てには伝説によれば、世界を滅ぼす火の玉を飛ばし合ったという廃墟がある。その廃墟には、普通の砂漠と の遺跡とは異なり新たな呪詛術、力の源とがあった。禁断とも言われていたが、それは……。」
煬の勢力圏は、宇宙から大陸の形を見慣れている愛香にとっても驚愕のものだった。東のこの地域を除けば、大陸のほとんどは煬帝国に支配されていた。
そのショックに迪恩も、愛香も隙があったのかもしれないが、ある日、食事に我慢できなくなったクモーは不意打ちのように冬眠剤を四人に差し込んでいた。
「何をした……。」
迪恩は裏切られたという思いとともに倒れこんだ。ヤルカは観念したような顔をしていたが、愛香は動きが鈍くなるのを覚えつつも、クモーを睨みつけた。
クモーは一言言っただけだった。
「もう、虫は食べたくないんですよ。それより冬眠して時を待ちましょう。」
クモーは三人を冬眠装置にセットすると、自らも四台目の冬眠装置に入り込んだ。こうして彼らヤルカとクモーと迪恩と愛香は、冬眠してしまう事態となった。




