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時のうつろい 二

 煬軍は愛香たち二人の捜索を簡単にはやめなかった。その様子は、クモーが時々外の情勢を伝えてくれることで理解することができた。しかし、捜索範囲がクモーの住居周辺に限定されていることは、オリエたちを遠くへ逃がすという愛香たちの狙い通りではあった。しかし、トラリオンのエネルギーが尽きかかっている愛香は、地上にい続けることが難しかった。早く、迪恩をオリエに返さなければという思いとフリオやイボーたちと連絡を取れない不安とが愛香の心に渦巻き、焦りとなっていた。

 そんな愛香の心の中を知ってか知らずか、クモーは愛香たちに住居の中を案内して見せていた。住居は自然の鍾乳洞を利用したものらしく、その配置は計画的なものではなく、単に下に伸びる鍾乳洞を利用したものにすぎなかった。食料庫やダイニングルーム、居室やその下の浴室に至るまで、外の昆虫やウサギなどの小動物まで入り込んでおり、あまり清潔な設備とは言えなかった。二人が隠れていた入り口近くの設備は食料貯蔵庫らしく、動力源からの配管が張り巡らされていた。そのパイプの物陰に潜んだ時にはわからなかったが、その配管群はすべて床下から配置されていた。その構造が上から下に至るまで暖かい環境を作り上げており、クモーが案内する配管周りから下へ伸びる螺旋階段にも、コウモリやトカゲなどが這い回っている始末だった。

「今はまだ出来上がっていませんが、別の竪穴にエレベータを設ける予定です。」

「エレベータ?。」

 迪恩はもちろん、愛香もその用語を理解していなかった。しかし、クモーは二人のそんな戸惑いに気づかないまま案内を続け、居室、浴室、そしてさらに下層の冬眠室まで見せている。

「この二百メートル下の最下層には原子力プラントが設けられています。」

 迪恩は相変わらず理解していなかったが、愛香はその言葉に戦慄を覚えた。クモーの有している技術レベルは明らかに電磁重力制御技術以前のものであり、原子力プラントは超ウラン元素の核種崩壊を鉛などの材料によって閉塞させているに過ぎない構造のはずだった。愛香は住居の設備、構造、材料の様々な面について注意深く観察をし始めた。それでもこの質問は思わずしていた。

「原子力プラント?」

「そうです。この星はなぜか放射性物資にまみれています。それらを拾得集積して熱源とすることは容易いことです。格納技術もあの遺跡から得た技術知識です。こんな高度な技術が遺跡にあるのに、現在の住人たちは未開そのままですね。」

 このような住居施設の下に原子炉を設けることは、正気の沙汰とは思えなかった。不安になった愛香は幼いころに学習したなけなしの原子力工学の知識を基に質問をしてみた。

「減速材は何を使っているのですか。エネルギーを変換する仕組みは?」

 畳みかけるように問いかける愛香をクモーは面食らったように見つめて言った。

「原子力は古くてとても不潔な技術です。そんな技術をよくご存知ですね。でも、安心してください。減速材は炭素ですし、エネルギー変換はもっぱら水の熱分解ですよ。遺跡の文献の通りに仕上げています。」

 愛香はクモーの説明を聞いて、さらに戦慄を覚えた。クモーの採用した設備では緊急時の対応が出来ない可能性が大きかった。その不安そうな気持ちが顔に出ていたのだろうか、クモーは戸惑い立ち止まった。

「ここでご案内はやめましょう。」

 しかし、階段室の底までの距離から見て、三層ほどの設備が設けられていた。原子炉から滲み出る放射線は愛香のトラリオンに知らずのうちにエネルギーを吸収蓄積させているほどの強度があつた。その最下層に原子炉があることから見て、その直上三層には少なくとも大きな動力変換設備が設けられていることは明らかだった。不安な愛香は食い下がるように質問していた。

「原子炉はうまく動いているのですか。」

「ええ、まあ。」

 クモーは急にあまりはっきりした会話をしなくなった。

 

 クモーは、それ以上愛香たちを案内しなかった。迪恩は愛香の後をついてきているだけだったが、愛香はクモーの後を歩きながら、もう一度住居の中の様々な設備や材料を注意深く観察しなおしていた。エネルギーの伝達は、トラリオンによる観測によれば、螺旋階段室の中央で纏められている配管群は、加圧冷却水や加圧二酸化炭素を伝熱流体にした流体管、熱水の分解によって得た水素や酸素の配管と、プラチナを伝熱体とした熱伝導管によって構成されていた。また、建材や構造材は、合成石英とチタニウム合金とをふんだんに利用したものだった。明らかに月文明が現在の電磁重力場を大規模に利用するようになる前の、およそ四千年前の技術だった。

 クモーはしばらく歩いたのちに、沈黙したまま後をついてくる愛香や迪恩を振り返った。迪恩はずっと落ち着かずにきょろきょろしていた。クモーの説明や愛香とクモーとの間の会話を全く理解できておらず、見慣れない配管、地下へ深く潜っていく螺旋階段室の構造に圧倒されていた。他方、愛香は視線を定めず、惰性でクモーの後をついてくるだけのように見えた。

 

「さあ、食事にしましょう。」

 愛香も迪恩もここまで逃げてくる間、まともに食事をしていなかった。迪恩は反射的にクモーの提案に反応していた。クモーはそのまま二人をダイニングルームに案内した。ダイニングルームは愛香たちが隠れていた食料貯蔵庫に隣接した小さなものだった。

「ここはこの住居で最初に設けた部屋です。縦の鍾乳洞の一番上の横穴ですね。」

 愛香は目の前の簡単なテーブルに置かれたナイフと柄杓に興味を惹かれた。クモーはその視線に気づいて言った。

「これですか?。これは凍った大地の中から出て来た太古の道具を真似たものです。これから出す食べ物にふさわしい機能を持っていますよ。」

 皿の上に出されたものは白い塊だった。迪恩は懐かしそうに眺めている。

「これは凝乳でしょうかね。」

 愛香はその言葉を知らなかった。

「凝乳?。なにそれ?。これは水分散タンパク質の再凝集体……。」

 クモーはその会話を面白がって聴いている。

「お二人とも互いに育ちが違うようですね。迪恩さんは、煬帝国の北のあたりで放牧をされていたのかな。でも、愛香さんはまるで食べ物を生産したことのない方、大都のような都市でお育ちになった………。いや、もっとはるかに技術力の高い……。もしや、あの月の文明の方かな。しかし、月には私が作りあげているような高度な材料も施設も見えない。見たところ、彼等は単に月の表面層を単純に掘った中に生活しているだけの人々だし…。貴女のさまざまな分析や知識を見ていると、私と同じレベルの世界の方なのではないかと思います。いかがですか。」

 クモーの分析は、饒舌な割にはだいぶ的外れだった。しかし、愛香はそれを敢えて否定もせず、うなづくだけだった。

 愛香と迪恩は、クモーの危なっかしい住居にしばらく潜むしか道はなかった。しかし、食料は充分に提供され、当座生活することには問題はなさそうだった。また一ヶ月ほど滞在すれば、トラリオンの完全充電もできそうだった。そうしているうちに一ヶ月ほど経ち、外の空気は早い秋の訪れを感じさせていた。

 トラリオンの充電がある程度できてから、愛香は何度かアムール川流域やウスリー川流域周辺を飛び、煬軍兵士達の様子を観察していた。一度危険を冒してアムール川河口付近に達した時には、もうオリエ達の集団は消えていた。しかし、アムール川流域に点在する集落では、煬軍兵士達が愛香達の捜索よりも住民に対する圧迫が目立つようになっていた。自由の信奉、徳の治の称賛は、ヤルカの最も敵視する思想であり、忌むべき批判の態度であった。それは、住居の周りを歩くクモーに対する最近の迫害めいた詰問と同じ問い掛けにも現れていた。仁煕帝の帝国が侵略され滅ぼされたのも、ヤルカと同じ思想の根を持つ煬の指導者がいたからなのかもしれなかった。

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