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向かうべき道 三

 帝国の元々の版図は南は長江から、東は東海とその北にある黄海、半島部、オホーツクから、北は北限のない北方領域、西は西の砂漠に至る地域であった。しかし、今では南の煬、今の煬帝国の侵略を受けて、最近では大都が陥落し、国としての組織は崩壊しつつあった。

 ウスリー要塞は、仁熙帝の帝国の北方領域の東の果て、ウスリー川とアムール川との合流地点の中州にあった。帝国の最後の民となった吉一族、テラート一族にとって、また、帝国にとっても最後の砦だった。しかし、吉一族、テラート一族の逃避行は、煬軍に容易に知られていた。

 次の年の春には、イボー達から愛香に煬軍四十万北上の一報がもたらされた。煬軍は、愛香やオリエが歩いたことのある山々を超えた北の地域へ進もうとしていた。

 淑姫は、愛香の端末に映像を示しながら報告をつげた。

「煬軍の多くは歩兵ね。でもいくつかが、 投石機ね。」

「特に今回の部隊では前回から登場した特殊な大型弓兵もいるわ。」

「以前鹵獲した気球から見ると、気球投石兵が乗り込むものらしいよ。その時には気球の中に投石装備、というよりも放射性物質が仕組まれた毒矢をはるか遠方から降らせるものだな。」

「放射性物質?」

 愛香は戦慄を覚えた。

「大陸の西の方には、太古の昔に核兵器を互いに打ち込みあって戦争をした広大な死の土地が広がっているの。その地域に放置された核兵器からウラン235を取り出していると考えられるわね。それを奴隷により裸のままこちらの方へ少しずつ運んできているみたい。」

 ハルディたちによれば、前回鹵獲したそれらの兵器の分析をした結果、それらは小さな矢に放射性物質を組み入れ、放射性物質の崩壊熱による空気の熱膨張を推進力に使い、そのまま的の攻撃対象に死の灰を充満させるものだった。都市要塞を擁するウスリーを含むモンゴル、オホーツク、シベリアの各都市に死の灰を被らせ、死滅させる狙いを持つものと言えた。彼等はこの地を占領する気がなく、迪恩やオリエの群れを全滅させ、ベーリング海に至るまでのこの帝国であるこの地域そのものを全滅させ、オリエ達やその皇帝を抹殺することを主目的としたことは明らかだった。

 愛香はその報告を聞きながら、焦土作戦の阻止と迪恩やテラートたちの行く末とを考えていた。

 オリエには必要な知識と考え方とを与えて来た。戦士としても一流であり、自らを投げ出して他を助けようとすること、殺戮さえされても復讐をしようとしないこと。未だ五歳になったばかりのオリエは既に一人前の経験を有していた。しかし彼には、まだ親の愛が不足しているように見えた。オリエは迪恩に甘えようとはせず、ただ愛香にのみ身を委ねるだけだった。豊かな愛に育まれて育てば、新たな自由の国を建国できるだろうが……。

 迪恩は、オリエを立派な指導者にすることを意識して厳しく接し続けている。彼もオリエと同じ価値観を持っている。ただ、彼は禁欲的すぎ、オリエに厳しすぎると、ふと愛香は思った。対するテラートは、価値観はおなじだが、女性に気軽に接する特徴は彼等一族もだが、刹那的とも言えた。

 しかし、彼等一族がいることで仁熙帝の帝国が成立していた。彼等の大切にしている価値観は、愛香たちのそれと酷似していた。愛香は彼等の行く末を安定なものにしたかった。しかし、煬軍は容赦なくウスリーへ迫ってくるとみられ、愛香は焦土作戦をなんとか阻止しようと決意していた。

 迪恩は愛香の知らせを聞き、どのように戦うかをテラート達と相談し始めていた。しかし、今や戦力は絶対的に不利だった。しかも、愛香のトラリオンも動力切れが近いと言えた。


 ある日の昼下がりに、愛香は要塞の城壁に迪恩を誘った。風はゴビのシルトを多少含んでいるが、春の日は既に強い季節だった。

 愛香は迪恩に提案した。

「このままでは皆滅ぼされてしまう。」

「そうかもしれませんね。でも、御心のままに生きるのが我々。必ず道が拓けます。」

「それならば聞いてください。」

 迪恩は怪訝な表情をして愛香を見つめた。それでも愛香は念を押すように迪恩に言い続けた。

「あなた方は、必ず逃げ伸びてください。それは積極的に生きることを意味します。ただ任せるだけではなく自ら開かねばならない時もあるのです……。この川を下ると海に再び出ます。そうしたら南へ海岸沿いに降ってくださいね。その時海峡が見えるでしょう。そこを渡るのです。その向こうには、島々があります。海に囲まれた砦とも言えるでしょう。そこへ……。」

「しかし、その言い方は私達と一緒に行けないとでも言うように聞こえます。」

「私はここに残ってやるべきことがあるのです。そして、そのあとは、もう天へ帰る時が近づいているということです。」

「天へ帰る?。貴女の寿命が尽きるのですか?。」

「寿命ではなく、私がこの世界に居られるための力がまもなく尽きると言えば、理解してもらえるでしょうか?。」

「いずれにしても、我々を置いていかれると言う事ですか。つまり、神は我々を見放されると言う事なのですね。……。」

「いや、そうではなくて……。あなた方は今は此処を去っていく時ですね。しかし、この地にはまだまだ仁煕帝の帝国に生きた人々が残っています。その人達のことも考えたいのです。それに、ある事情から私があなた方に同行することが許されていないということがあるのです。」

「ある事情とは?。はっきりしない言い方ですね。いずれにしても、我々は御心のままになるしかありませんね。」

「『なるしかありませんね』、ということばに、諦念が聞こえるのですが。」

「諦念?。お任せするとはそういうことでしょう!。」

「それは違います。あなたには全てにおいて、小さなことについてさえ、あまり働きかけるという姿勢が見えない…つまり、例えば女性に対しても…あまりに禁欲的というか……。」

「あなたに対して性的な誘いをかけるべきだったと?。そんなことって…」

 議論はあらぬ方向へ向かい、迪恩は愛香を複雑な表情を向けるようになった。まるで裏切られたと言うかのようなその目は、愛香の心を少なからず乱して居た。

「私が言いたいのは、あなたがオリエに対しても禁欲的な生き方を強いているのではないかということです。自らをそして子供であるオリエを雁字搦めにするだけでは、飛躍が出来ない。自らの可能性に対してあなたは目を閉じて、オリエには目を閉じさせている。」

 迪恩は、その指摘にしばらく考え込んでいた。

「私や吉一族にとって、テラート一族のような生き方は無理です。しかし、オリエは私の子ではない。彼の教育には新しい視点が必要かもしれませんね。」

「オリエがあなたの子ではない?。そう悟った時はありました。しかし、あなたが父親のような立場で教育してきたのでは?。しかし、何を目指していたのですか?。いつぞや『彼の民達』という言い方もしていましたね。」

 迪恩はためらいながら、説明した。

「彼は仁熙帝その人です。既にこの帝国は滅びつつあります。それでも彼が私達の信じてきた価値観を受け継ぐ方です。彼の名はオリエ・蒙諾諾和。連綿と続く皇帝の血統です。そうであるならば、神の御臨在の御前にあって慈愛と精神の自由とを賜り、神を賛美申し上げる者達の国は、オリエとともにこれからも続くのです。」

「そんな高貴な幼児をなぜ私に任せたのですか?」

「それは貴女が御使であり……。」

「私は私について、そうは言いませんでした。否定もしました。もともと、この愚かな私が御使であるはずがないでしょう。」

「仰る通り、貴女は御使ではないのでしょうね。しかし、現実に貴女はオリエを守り通して居ます。オリエが貴女を母のように慕っているのも、貴女を信頼しきっているからです。貴女は私が知らないない新しいことも彼に教えている。」

「私は彼の欲するままに答えてきました。彼の真髄には貴方が作り上げた価値観がしっかり育っています。一人で学ぶことができるほど成長しています。」

「そうですね。そろそろオリエを他の人に委ねる時かもしれません。」

「どういうことですか?」

「私が貴女とともに残るということです。」

 愛香は驚いて迪恩を止めようとした。しかし迪恩は、構わずにテラートとオリエとを呼び出した。

「テラート。今こそ私の存在意義が問われる時だと思っている。貴方にオリエを託したい。」

 迪恩は、テラートに吉一族も含めた残りの者達を指導してアムール川を下ることを依頼した。

「存在意義?。オリエを?。どういうことだ?。彼を皇帝として育て上げるのが貴方の役目ではないか。」

「愛香様のお話では、煬軍の大軍が迫ってきているということだ。おそらくこの要塞も対抗できまい。オリエと貴兄たちの選ぶべきは、急ぎ、この川の大海に注ぐ所の向こう岸へ行くことになる。」

「わ、わかった。して、貴兄は?」

「私はここに残る。煬軍を引きつけ、行く者達の安全を確保したい。」

「何故だ?。」

 テラートは早とちりで飲み込みが遅い。迪恩は苦笑しつつ、敵と味方と今後のいく末と目指す道とを噛んで含めるように、テラートに教え込んだ。

「そうか、おとりになるのか………。しかし、オリエの教育は?。どうやったら良いのだ?」

 テラートは、やっと飲み込めた事態の緊迫度に驚いていた。他方、既にオリエは話の筋を理解していた。しかし、彼の心には迪恩への心配がのしかかっていた。迪恩はオリエを自らの手で励ましながら言い含めていた。

 オリエ、私たちはここでお別れだ。

「何故、突然なの?」

 オリエは結論を引き延ばしたかった。疑問形にして、迪恩が決定的なことを言う時を引き延ばしたかった。また、自分を納得させたかった。

「それは、煬軍が大規模な攻勢をかけてくるからだ。オリエと他の皆さんは逃げ伸びて欲しい。」

「迪恩、貴方は?。」

「私はここへ残る。」

「じゃあ僕も。」

「なあ、オリエ。聡明なお前ならもうわかっているはずだ。お前は仁熙帝とされる身だ。」

「僕がまだ未熟なことはお分かりのはず。なのに、ここで別れるなんて。僕を見捨てるの?」

「違う!。私は単なる指導者に過ぎない。しかし、どうすれば皆が生き残れるかを考えている。ここで煬軍に幾つかのことをすれば、この地域に住み続ける人々も逃げいく皆も生き残れる。お前は仁熙帝、生き延びなければならない。」

「誰か他の人に………。」

「だれができるのかね。色々悪知恵を働かせられるのは、私ぐらいだ。」

「でも……。」

「まだわかってくれないのか。」

 愛香は迪恩に合図を送ってオリエを城壁の上に誘い出した。

「もう、仁熙帝の帝国も崩壊寸前ね。」

「……。」

「貴方は今何を守るべきかをわかっているわよね。」

「……。」

「貴方はこの世界にあなたたちが信じてきた価値観を受け継ぐ方です。貴方はオリエ・蒙諾諾和、連綿と続く皇帝の血統です。そうであるならば、神の御臨在の御前にあって慈愛と精神の自由とを賜り、神を賛美する者達の国は、貴方ともにこれからも続くわ。いや、貴方がそうしなければならないのよ。」

 この言葉は普通の五歳の子供には酷な使命だったろうが、オリエなら受け止めてくれるだろうと、愛香は思っていた。しかし、今のオリエには無理だった。それは母の愛だけでは、彼の心を満たせないからだった。オリエは首を横に振った。

「僕も残る。僕が迪恩を守る。僕は仁熙帝なのだから。」

 愛香はオリエの心を理解して、オリエの納得することを考えた。

「いいわ、迪恩には私がつきそう。そして、迪恩を必ず貴方の元に戻してあげる。」

 オリエは愛香が付いてきてくれるものと思っていた。しかし、愛香は言い聞かせた。迪恩を救い、後から追いかけると。


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