学生たち
「愛香、早くここから逃げて。」
「でもなぜオリエだけ残っていたの?」
「オリエのママを助けるため。」
「なぜ⁈。」
やがて、矢が届く距離にまで煬軍が迫ってきていた。愛香に向かって矢が届き始めると、迪恩とオリエは細身の長剣で巧みに降り注ぐ矢を叩き落としている。その間に愛香は一族達が避難している図書館跡の出口を塞ぐ作業を終えようとしていた。最後にはオリエと迪恩をトラリオン torarion (もしくはSERaF: six external radial flims, )で抱え、瞬時にヤルカの前から飛び去った。5キロほど遠ざかったところに着地したとき、ヤルカは愛香達の着地したところが見えていたのだろう、それを追いかけ畳み掛けるように電撃を繰りだしている。
「我が望み、我が支えなり。我が呪詛、かの技なり……。」
その一つが、トラリオン を解いた愛香めがけて直撃コースを進んでいる。そこへオリエは小さな身体で愛香を守ろうとオリエの前に出た。
愛香はその幼い子が戦士であったことを思い出した。しかし、同時に彼は愛香を母のように慕う子供でもあった。愛香を狙った電撃はオリエのそばに炸裂し、オリエは吹き飛ばされるように倒れ、迪恩と愛香が走り寄って様子を見たときにオリエは既に息をしていなかった。
「オリエ!。オリエ!。」
愛香は大声でオリエを叫び続けだが、答えはなかった。続けてオリエの名を呼ぶ愛香の声は次第に大きくなっていった。
「オリエ!。目を開けて!。目を開けてよ。そしたら、もう何もいらない……。ねえ、私を置いていかないで。」
愛香は迪恩をすがるような目で見つめた。しかし、迪恩は首を振るだけだった。愛香の声はいつのまにか叫びに変わっていた。
「だれか、オリエを助けて。」
しかし、だれも手を出せることではなかった。愛香は周りが黙りこくった姿を見て半狂乱になっていく。
「おのれ!。オリエを、よくも……。」
愛香は怒りに震え、今までにない形相となった。
「初め白騎士の出でるは打ちて打つため。二に黒騎士の出でるは破りて破るため…………。ガーフリート・ワー=エーシュ!」
その言葉とともに、愛香の手から煬軍に向けられた怒りに任せての衝撃波は、呪術師ヤルカたち軍勢のはるか後方に火の玉のように炸裂し、大地を十五キロメーターも穿った。ヤルカはもちろん、煬の大軍も、迪恩までもが、その威力に恐怖した。その威力は大軍を一度に一掃することは明らかだった。それでも愛香はやめなかった。迪恩は、怒りの顔を凍りつかせた愛香の目に冷たく重い怒りを見出した。冷静さを取り戻した愛香は、冷たく強く決意していた。
「次の衝撃は必ず当てる」。
しかし、このとき、まだ御国を来らせる時ではないという言葉とともに、怒りを止めるよう愛香にひらめきが強く与えられた。同時に迪恩が愛香の前に出て彼女の指先を受け止め、少しばかりの雷のみで留めていた。しかし、迪恩だけが倒れ、かすれがちな声を愛香に向けていた。
「お、お、待ちく…ださい。絶望と怒り、悲嘆は情念です。それは閃きを消してしまいます。貴女は御使いではないのですか?。」
「……」
「オリエは、アドニーの恵と愛に固く結ばれています。そうであれば、彼は死んでも死なず、永遠の命を得ていることを私たちは知っているはずではありませんか。情念から離れ、理性で物事にむかえば、私たちには必ず答えが、道が見つかります。」
「……。」
「御心ならば、オリエは助かるはずです……。」
そう言って迪恩は気を失った。ようやく愛香は我に帰った。
「迪恩!。……ごめんなさい。あなたを傷つけるつもりはなかった。」
幸いにも迪恩は幸い腕の一部に火傷だけで済んだ。しかし、髪を振り乱した愛香は、息をしていないオリエを前に己を失ってボソボソと独り言を言っていた。それは、まるで子を失った母のようだった。
「貴方は私のもの、セバを身代わりとし、あなたを贖う。」
その時、愛香の衝撃波を恐れるかのように不意の弱い漏電のような電撃がオリエを打った。それはオリエの心臓を蘇生させるに十分なものだった。
「ぼくは生きています。」
背後を振り返ると、オリエが愛香を見つめていた。今は、愛する彼らがいる。愛香は月にいたときの忍耐の日々を思い出していた。
………………………
「おとうさん」
林愛香はそう言って目覚めた。枕はぐっしょり涙に濡れていた。さきほどまで、愛香は五歳の頃にりゅうこつ座η星の超新星爆発観測の際に事故死したはずの両親といっしょだった。自宅も当時のまま暖かかった。おかしいと感じながら父親に甘えた時、全てが流れ去ろうとした。思わず父親にすがろうとしても、無情な目覚めが全てを取り上げた。苦い涙だった。いつも見る夢だった。
今日は古代文学科の学期最後の日だった。寮母はまだ寝ている。日課となっている寮生たちの朝餉の支度を済ませて大学へ出かけた。
その日の午後、静かの海大学の天空大教室では、文献記述論が休講となり、殆どの学生達は教室からでていった。しかし、愛香は一人残って考察に没頭している。こうなると愛香は周りが見えていない。
その愛香の頭上には天井の代わりに漆黒の大星空が広がっている。ここから見えるのは月文明が支配する銀河の星々だった。青色の地球が天空の中央にあり、歪んだニューギニア島とオーストラリア大陸が見えていた。ユーラシア大陸西部の核戦争によって引き起こされた地球規模の造山運動は、六千年前に終息し、その名残が各大陸の周辺に見ることができた。
この大学の講義形式は、メンターを中心に議論を重ねて探求するスタイルだった。高校一年からの飛び級で大学入学した愛香が古代文献分類学のコースをとったのは、発信メディアでの仕事を希望したからである。様々なニュースは月文明の人々から慈愛の心を引き出すと考えていた。太古より積み重ねられた文献を種類ごとに分析し、経験に準じる作品を多く誕生させることは、愛香の夢だった。
月文明は、太陽系の各惑星や衛星、果ては広大な銀河各星域に植民地を設けていた。開発はすでに数千年のスパンで続けられており、居住スペースが、金属などの材料に依存することなく重力波シールドや電磁シールドによって形成されていた。既に月の内部は、太陽からの膨大なエネルギーや、他の星系からもたらされるノヴァやスーパーノヴァ、青色巨星から得られたエネルギーコアにより、岩石圏はもとより人工の水圏、大気圏から構成された居住圏が維持されていた。
もっとも、銀河系へと拡大していくにつれ、月文明から脱落していった星系は数知れない。自らの独善のためか、はたまたちょっとした離反のためかは今となってはわからないが、主要な航路から外された彼らの星系は月やその他大勢から忘れ去られ、また彼ら自身も先端の科学技術を失い、地球や月を含むソル系が人類の故郷であることさえ忘れ去っていった。月文明の連邦政府も、脱落した彼らを復帰させることはおろか、その記録さえ管理しきれていなかった。言わば、去る者は追わずというところだった。
愛香は事故の時から救い出されるまで、数年間冷凍冬眠のままで過ごしていた。救い出され、目覚めた時に見た夢は、やはり暖かい父と働き者の母の思い出だった。誰もが冷凍冬眠から目覚めた時には、流れ去った時間に戸惑い、眠りにつく前に周りにいた人々が変化もしくはいなくなっていることに、ショックを受けるものであるが、愛香は両親が既に事故死した事を理解しており、その孤独は深かった。今では彼女は既に何回も飛び級を繰り返して入学した幼い大学生として月の首都で古代文献分類学を専攻していた。分類学とはいってもこのころの分類手法は、人工知能が提出してきた文献中の目次や言葉の頻度、構成によって古代から伝わる図書館分類に従って当てはめるだけの簡単なものだった。
天空大教室からそのゼミ室に帰ると、このゼミのメンターとの討議時間だった。すでに、愛香のほかに、フリオ-ハルデイ、権淑姫、淑香の姉妹、イボー-オブジェべが集まっていた。
メンターが質問しながら議論を進めている。
「図書館分類学は、何から始まったものかね。」
フリオが答えている。
「アッシュールバニパルの図書館から始まった、といわれています。」
メンターは淑姫たちの方を向いて質問を続けた。
「デューイ十進分類法はどんな位置付けになる?」
淑香が答える。
「現在、月文明で広く使われる連邦十進分類法へと至っています。」
愛香は思わず日ごろ疑問に思っていたことをぶつけてみた。
「メンター!。このところの学会では、遺伝子工学文献を探し出すプロジェクトが取り沙汰されていました。」
メンターは、顔を愛香に向けた。愛香は時々誰も考えないことを言い出して周りを面食らわすことがある。
「それで?」
「私なりのアプローチ法を考察しています。今の所、こう理解しています。技術文献についてはその定式化された書き方と相まって、通常は人工知能により簡単に索引できるものです。そのような技術が普通になって久しい今、技術文献を人間が発見することを前提にした分類法は、―――これはトーマスジェファーソンが自分の蔵書を特許審査に用いて以来発展してきたものですが、―――今では忘れ去られています。次に考察すべき点として、過去の技術が全て現在のデータ中に蓄積されているならば、既に発見され、今の遺伝子に反映されているはずです。しかし、残念ながらその種の技術や文献は見つかっておらず、誰かが手間をかけて探す必要があるわけです。ということは、古代の忘れ去られた技術文献とそれに関わる分類がこのプロジェクトの鍵です。」
愛香は、思いついたことを一気にまとめ上げていた。彼女は、地球文献を探すには古代の技術文献分類が必要だろうと推定していた。
「太古の時代、文明の中はいくつかの国に分かれて相争っていたということを聞いています。ということは、当該文献があるとすれば、我々に知識が引き継がれなかった国の技術文献の中に、あるということです。」
ほかのメンバーは愛香の論理展開をフォローしきれていなかった。しばらくたって、かろうじてメンターのみがぽつりと言った。
「高度な誰かの考察だろうが………。」
しかし、そんな考察をだれも聞いたことがなかった。しかも、その考察は、明らかに続きがある。メンターはそう気づいて愛香に質問をしてみた。
「君はその国をどう考えているのかね?」
「あの巨大大陸の東と北とを占めた二つの国と思います。彼等は自壊して滅びたと言われています。」
メンターは愛香の顔を見ながらいぶかしげにつぶやいた。愛香は
「誰かの考察……ではないようだな。それは君が気づいたことなのかね。とにかく、そのまま医療省にしたほうがいいね。」
一週間後、愛香のニューロン端末に思考波による呼び出しが来た。読者にはテレパシー通信といったほうが理解しやすいかもしれない。
「奨学生、特待生に対する義務として公務に従事することが求められているところ、貴女は地球古代施設からのミトコンドリアに関する遺伝子工学文献を発見収集することを依頼したい。」
滑らかな伝達だったゆえ、明らかに公的機関からのものだろうと、愛香は悟った。この世界は、アドバイザーや機械的情報伝達機関も含めて様々な精神同士のやりとりが、ネットワークにより伝え合っている。しかし、悟りを与えてくれるあの閃きとは異なるものだった。