表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エッセイ

生きているだけでいいんだよ。〜うつ病になった私の話〜

作者:

 暗い話です。

 少しだけ覚悟して読んで下さい。



 私のうつ病体験談を書き残しておこうと思い、筆を執ります。

 

 この話が、現在うつ病で苦しんでいる方々の慰めに、全くわからない方には少しでもご理解いただく一助となりましたら幸いです。


 うつ病と一口に言っても、色々と種類があるみたいですが、私の症状がどれかはよくわかりません。

 その当時は、ただ楽になりたいと、一杯一杯だったので正式な病名を覚えていないのです。

 ただ、私の症状はまだそこまで重い方ではないと思っています。

 何故なら、本当に重い方は人格が崩壊していたり、死んでしまったりしているからです。




 私が自分の体調の変化を自覚したのは、高校生の時でした。

 きっかけは、一年生の夏休みにかかった急性胃腸炎だと思います。

 その後、何度も胃腸に痛みを感じるようになりました。

 それからは、原因を探すために総合病院で検査をしました。

 胃カメラやCT検査、触診、エコー、血液検査、尿検査、様々な検査をしましたが原因が分かりません。

 それでも繰り返す胃腸の痛み。

 過敏性腸症候群ではないかと、高校の養護教諭の先生に言われ精神科の受診を勧められました。

 助言に従い、色々な精神科や心療内科を受診し薬も色々飲みました。

 でも、どんどん悪化していきます。

 食事は、おかゆぐらいしか食べる気がせず、家から出るのも億劫になっていきます。

 人に会うのも嫌です。

 お風呂に入るのも億劫。

 布団から出るのも億劫。

 生きているのも億劫。

 ここまでいくと、死ぬことしか考えられなくなります。

 どうやって死のう。

 出来れば苦しみたくない。

 皆の迷惑にならないように死にたい。

 ただ、何も残さず消滅したい。

 私みたいな役立たず、生まれて来なければよかったのに……。

 そんなことばかり考えます。



 私は家族に恵まれていました。

 日毎におかしくなっていく私に、家族はとても献身的に接してくれました。

 両親は、仕事で忙しい中、病院や高校に連れて行ってくれました。

 父はただ優しく「何も心配しないで良い」と言って支えてくれ、母は泣きながら「いなくならないで」と言って抱きしめてくれました。

 姉妹は、一緒に泣いて「大丈夫、大丈夫だよ」と、背中をさすってくれました。

 祖母も厳しいことを言わなくなり、そっとしておいてくれるようになりました。


 私は家族以外にも恵まれていました。

 学校に行かない私を心配し、車で四、五十分かかる距離を家庭訪問して話を聞きに来てくれた担任の先生。

 病気が治るように色々アドバイスをくれたり、病院を紹介してくれたり、辛い時に優しく看護して下さった養護教諭の先生。

 出席日数の少ない私を卒業させようと、補習や課題を出して下さった各教科の先生方。

 たまにしか教室に行かない私に優しく接してくれたクラスメイト達。

 私のことを理解しようとしてくれる幼なじみの親友達。

 治そうと診察してくれたお医者様。

 みんなのおかげで、少しずつ回復していきました。


 それでも、うつ病はすぐに治るものではありません。


 うつ病になった大本の原因は、生活環境の大幅な変化だと思われます。

 高校生になり、予習復習や塾に習い事、部活動、通学時間の増加で睡眠時間の平均が四、五時間になっていました。

 私は、中学生までは最低八時間は睡眠をとっていた人間です。

 しかも、中学では美術部だったのに、高校ではバレーボール部という運動部に入りました。

 その所為もあり、生活環境が一変してしまったのです。

 頭も身体も酷使する毎日。

 その当時は余裕が全く無く、一杯一杯の自分に気付いていませんでした。

 私の通っていた高校は進学校でした。

 いくら勉強しても伸びない成績、無くなっていく睡眠時間、常にイライラし、負のスパイラルに陥っていきます。

 もっと頑張らないと、完璧にしなければいけないという自分の固定観念に追いつめられる。

 まるで完璧でない自分には価値が無いかのように……。

 

 張り詰めていた糸は、夏休みになりついに切れてしまったのです。

 それからは先述のように悪化の一途をたどりました。



 回復の兆しが見えたのは、高校卒業を目前にしてからでした。

 周囲の献身的な支えで高校を卒業することが出来そうだと分かり、気が抜けたのだと思います。

 大学に進学していく同級生たち。

 やっとの思いで高校を卒業した私。

 ある意味、挫折を知って、完璧主義から解放されたのです。

 

 それからは、色々な仕事を転々としました。


 今でも、新しい仕事に就いて暫くすると抑うつ症状になり、仕事を辞めるということを繰り返しています。

 そして、どんどん履歴書に書き込むことが増え、就職活動も辛くなるという負のスパイラルに陥ります。

 これを甘えだと思われる方は多くいると思います。

 自分でもそう思います。

 それでも、無気力に陥り、酷い時は食事さえ面倒になるのです。

 死にたいと思っているわけではありません。

 ただ、やる気がおきないのです。

 

 そんな時は、趣味をすることで何とか前向きにしようと心がけます。

 小説や漫画を読んだり、書いたり、絵を描いたり、書道をしたり、花を生けたり、散歩をしたり。

 自分が多趣味で良かったと思います。

 趣味がなかったらおそらくは、今ここにいない気がします。



 高校卒業から十数年経った今、死にたいと思うことはありません。

 それは、周りの人達の支えのおかげです。

 でも、もしその支えが失われることがあったら、その時は自分でもどうなるか分かりません。

 だからこそ、今生きていることに感謝して、自分に出来る範囲で恩返しをしたいと思うのです。

 

 こんなに恵まれている人間がどうしてうつ病になるのか、不思議に思われる方もおられるでしょう。

 恵まれているからこそ、変化に弱く、ついていけなくなるのだと思います。

 

 うつ病の原因は人それぞれです。

 私の場合は、自分の性格や生活環境の変化の所為で発症しました。

 そして、周りの人達の支えで救われています。


 どうか、今現在苦しんでおられる方は、死を選ぶ前に心を空っぽに、無にしてみて下さい。

 何も背負い込む必要はないのです。

 空っぽにして、少しだけ余裕ができてからまた取り込んでいけば良いのです。

 焦る必要はないのです。

 無でも生きていけるのです。

 死は自分から飛び込まずとも、そのうちおとずれるのです。

 だから、自分から死を選ばないで下さい。


 どうか、周りの方々にはご理解と思いやりの心を忘れないことをお願いします。

 優しさが、うつ病の患者さんを救います。

 どうか、追いつめるようなことだけはしないで下さい。

 お願いします。






 暗い話に最後までお付き合い下さり、有難うございます。


 この経験が、今の私を形成しています。

 昔の自分は負けず嫌いで、偏屈な子供でした。

 今は、自分に自信のない不器用な人間です。

 それでも、こうして生きています。

 生きているだけで、家族や友人は喜んでくれます。

 その想いは、ちゃんと私に届いています。

 私の生を肯定してくれる全ての方に感謝します。

 有難うございます。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 体験されたからこその言葉、優しく語りかけて下さるようで自然に心に入ってきました。とても考えさせられると同時に感動しました。 生きていて下さってありがとうございます。 苦しみを越えたからこ…
[良い点] 話がまとまっていたと思います。 [一言] 僕は受験生なのですが何だか何もかもから逃げ出したい気持ちになることがよくあります。でも、それでは立派な人間にはなれないとも思っています。立派な大人…
[一言] 仲間。 私の場合は睡眠が上手く取れなくなったのがぎりぎりのラインだったと思います。夜中に眠れなくて、出勤直前の朝方にようやく眠気がくるという。あそこでちゃんと休んでたら、10年以上も患わなか…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ