第1節 3時間前
どの国よりも時間の流れが遅いと言われるフォード王国。それは平和の象徴であり、他国からの賛辞と仄かな嫉妬が含まれる。今日も太陽の光に恵まれ生き物がのびのびと庭園を駆ける一方、この瑞々しい朝に似合わずカーテンを閉め切って剣を握る男がいた。良く磨かれた大剣である。彼は今しがたその大剣で対戦相手を薙ぎ払った。
そして、振るわれた大剣を防いだものの勢いで飛ばされ床に転がっているのが私である。
「アリシア様、これではいつ死んでもおかしくないですな。そのように腑抜けていては明日を迎える前に殺されるのでは?」
彼の言葉は相変わらずキツイ。しかもいつもと違い機嫌も悪いと来た。この様子だとこの人が私を殺しそうだ。直ぐに立ち上がって自分の剣を構える。
「すみません、バルドゥール。昨晩から3回も命を狙われているせいで寝付けなくて……」
「そんなのいつもの事でしょう。不肖バルドゥール、アリシア様が王の御息女になられた時から剣の指導をしておりますが貴方様が平和でいられた日など片手で数えられるほどだと存じますが」
それは大袈裟だ。私にだって暗殺される心配がない時期もあった。確かに王の養子に迎えられて3、4年は平和だった。血の繋がった子が出来てから私の存在が疎ましく思われて、城の片隅に追いやられるわ殺されかける毎日を送るわで自衛しないと生きていけなくなっちゃったけれども。
「……私への気遣いです、か! 結構です!」
不意打ちで切りかかる。しかし難なく受け止められた。鍔迫り合いのまま膠着状態が続く。最近になってやっとバルドゥールの大剣とまともにやり合えるようになった。今までその重量で押し切られ、弾き飛ばされていたのが常なのに。今も気を抜けば振り飛ばされるが大分マシになっただろう。
頭部にめがけて振り下ろされた大剣を躱し、脇腹目掛けて剣を薙ぐ。しかし読み通りだったのか床に刺さった大剣はそのままに彼は私の剣の軌道を蹴り上げることで逸らした。がら空きになった腹部に拳がめり込む……ことは分かっていたので後方に退く。
「ふむ、大分慣れてきましたな。まだ拙いですが判断が早くなってきている。アリシア様の目が覚めたようでなにより」
「……今まで殺しにきた暗殺者よりも今のバルドゥールの方がおっかないですから」
「失礼、まだ目が覚めていませんでしたか。もう一戦すればアリシア様の口も回らなくなりますかな?」
軽く冗談を言ったつもりが怒らせてしまったようだ。バルドゥールは自身の剣が刃こぼれしていないか確認すると笑顔でこちらに大剣を向けた。これはもう一戦しないと彼の気は収まらなさそうだ。私は溜息を吐いて剣を構えた。
もう一戦とか言いつつ両手で数えきれないほど痛めつけられた。カーテンが燦燦と輝く日光を閉じ込めているのを見て、もう昼なのだと驚いた。私たちしか使わない質素な訓練場の外が慌ただしいわけだ。昼食の用意が出来たのか召使が慌ただしく動くのが扉越しでも感じ取れた。きっと王族用なのだろう。何人もの足音が廊下を木霊してここまで聞こえてくる。これは召使が一列になって料理を運んでいるのか。
バルドゥールも気付いたのか忌々し気に扉の向こうを見つめている。
「なんだもう昼か。……アリシア様、食事を召し上がった後は短剣、体術の訓練。夜は数学の勉強ですぞ。気を抜かれぬよう」
「……分かっています」
訓練は一時中断。バルドゥールは食事を取ってくると出て行ってしまった。元々手狭だった訓練場だが彼がいなくなると、どうにも広く感じてしまう。変なことを考えてしまいそうなのが怖くてカーテンの隙間から、こっそり庭園を眺めた。この暗さとは別世界だ。どこもかしこもキラキラしていて活気がある。
私が子供だったなら、外に出て遊びなさいと叱られるのだろうか。一度も言われたことがない言葉が頭を過るが視界の奥に捉えた矢を引く弓兵を見つけて我に返った。慌ててカーテンを閉める。窓から数歩離れると示し合わせたように扉が開いた。
「ああ、アリシア様。こちらにいらしていたのですね。昼食をお持ちいたしました」
料理を持った召使が入ってくる。およそ王族に出すとは思えない質素な食事だが、民から見たら十分豪華なのだろう。
「ありがとう。そこに置いておいてください」
「何をおっしゃいますか。私には食事を片づける責務がございます故、アリシア様が食事を終えるまで見守らせてください」
「…………」
有無を言わせぬ笑みだ。本当に私が食べるまでここに居るつもりなのか。
「体調が優れません。食事を下げてください」
「許容いたしかねます。アリシア様はいつも我々が作った食事を召し上がってくださらない……。料理人一同、胸を痛めております。彼らのためにも一口でいいので召し上がってください」
私が邪魔な王族でなかったら、彼らはもっと畏まるのだろうか。……ああ言い間違えた。私は今やもう王族ですら無い、存在しない王女だ。妹が生まれた一年後に私という存在は病死で消されたのだった。何もかもが今更すぎる。小さいころのように王女扱いされたいわけじゃない。ただ善意の皮を被ってこちらの罪悪感を刺激する殺意にはいつまで経っても慣れそうになかった。
何と言って断ればいいのか。悩んでいると食事を持ってきたバルドゥールが召使を見るたび目の色を変えた。堪忍袋の緒が切れてしまったか。彼は召使の胸倉を掴むと、扉の向こうへ力任せに放り投げる。肉と大理石の床が嫌な音をたててぶつかった。打ち所が悪かったのか呻き声を上げる男に、追い打ちとばかりに怒鳴りつけて扉を閉める。厳重に鍵を掛けた後、次に彼の矛先が向かったのは私だった。
「アリシア様、なぜあのような男をここに招き入れるのか! 貴方は毒入りの食事を食べて自殺するつもりなのか!」
か弱い乙女なら畏怖しそうな剣幕で怒鳴りつけられる。そうだ、私のお世話をするのがバルドゥールの役目なのだから怒って当然だ。危ない、彼から職を奪う所だった。
「……私が悪かったです。貴方の不都合にならないように気を付けます」
「違う、そうではない。そうではないのですアリシア様」
「何が違うのです? それはそうとご飯が冷めますよ」
「…………」
毒入りの料理は片づけてバルドゥールが持ってきたバスケットを開ける。中にはサンドイッチとスープが入っていた。おかずも豊富だ。食欲を誘う甘辛い匂いは照り焼きだろうか。肉と野菜のバランスも良い。流石バルドゥール、何でもできる男だ。
彼は何か言いたそうにしていたが食事にしか興味を示さない私に飽きれたのか、溜息を吐いて胡坐をかく。私に対して明らかに苛ついているが、私の分まで取り分けてくれた。
「……貴方の食事は、厳しい鍛錬に付いていけるよう精の出るものを作っております。他の者の食事など食べて倒れたら困る」
小言を並べながらも皿に盛られた料理を平らげていくバルドゥールに感心する。器用なことをするものだ。負けじと私もサンドイッチを口に詰め込むが追いつきそうにない。そもそも量が多すぎる。彼の作る料理はいつもそうだ。
「お残しは許しません。後で困るのはアリシア様ですぞ。倒れたくなければ早く食べるのです」
「残しませんけど……量が多すぎます。バルドゥールと私は体の大きさからして違うのですから、胃袋の大きさを考えてください。……このままだと貴方並みに逞しくなってしまいます」
「はは、そうなれば暗殺者も寄ってこなくなって安泰ですな。およそ女だとは思われますまい」
私を熊みたいにさせる気か。
だけど、まあ、そうなったら今より平和になるかもしれない。
愉快だと笑いながら食べ終わった彼を見てそう思う。バルドゥールに剣の指導を頼まなくてもよくなるし、彼の自由も増えるはずだ。
ずっと彼に頼ってきた。だけど最近バルドゥールのシワが増えてきた。ーーーああ、早く誰も寄せ付けないほど強くならなければ。
「さあアリシア様、早く食べ終わりますよう。ここが戦場なら死んでおりますぞ」
「分かってますよ。ああそうだ。バルドゥール、私ーーー」
その時、扉が乱暴に叩かれた。
弾かれたように飛び退り剣を握る。誰だ、こんな真っ昼間に堂々と殺しに来るなんて。バルドゥールと目配せして、音を立てずに後退する。もし武装した兵が大勢で押し寄せたら応戦よりも逃げるのが得策。敵を分散させ1人ずつ確実に仕留めた方がいい。
とうとう扉は破られ兵士が中に入ってくる。数が多い。バルドゥールは残って応戦、私は敵の分散だ。窓際へ走る。しかし兵士の1人が大声を出したことで私たちは止まらざるを得なくなった。
「これは王の勅令である! 剣を収め、急ぎ王の御前に馳せ参じろ。抵抗するなら逆賊として処刑する!」
これで抵抗したら正当な理由で私を殺せるようになってしまう。今まで殺される理由は表向き無かったバルドゥールも巻き込むだろう。剣を収める私を見てバルドゥールは目を丸くする。
「向かいましょう」
これでいいのだ。今にも殴りかからんとする彼に微笑む。
私は上手く笑えていただろうか。笑うのを暫く忘れていた。苦々しく顔を背けられて失敗してしまったのだと理解した。
これが私がフォード王国から姿を消す3時間前の出来事である。




