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かまぼこ長屋の春(3)

第八話です。

二章の三話です。

 

 月明かりを雲が隠す。


 なにもないど真ん中には、くだんの桜木『おやじさん』。


 老木の下には、二人の男が座っている。


 そのうちのひとり、勘吉が、我慢できないといった調子で立ち上がる。


 そばに置いてあった行李こうりの中から、徳利と杯をとりだし、もう一人の男がとめるのも聞かず、乱暴に酒を注ぐと、ぐいぐいとりはじめた。


 あきれた仲間は肩をすくめると、こちらも生来、嫌いではないのだろう。並んで座り、一緒になって呑み始める。やがて程よく出来上がったふたりは、腕枕に眠り込んでしまった。


 昼間、ここを狙う男たちを、大勢で追い返したという事実に、安心する気持ちもあったのだろう。



 と。


 闇の中、がさがさとうごめく気配。


 ちょうど雲が切れ、月明かりがあたりを照らす。


 照らされて、きらり、白刃が光を放った。


 刀を構えた男たちは、そろそろと、寝入る二人に近寄ってゆく。



 まさに、凶刃が二人を襲う直前。



「そこまでです」



 凛とした声に、男たちはビクンとすくみ上がる。


 次の瞬間、寝入っていたはずの勘吉と仲間が飛び起きて、脱兎のごとく逃げ出した。あわてた男たちは彼らを追おうとし、その先に大勢の人間が立っているのを見ると、驚いてきびすを返す。


 しかし、後ろもすでに、幾人かの人間に囲まれているのを見ると、背中合わせに車になって、四方に刃を構えた。


 そこに、先ほどの声―――竜之介の声がかかる。



「あきらめなさい。桜の下のものは、もう、私らが掘り出しました。ここには何もありません。おっつけ役人もやってくるでしょう。何もしないで、諦めて帰るなら、見逃してあげますが、万が一、またここにやってくるというなら、今度は容赦しませんよ?」



 男たちは、それでも黙ったまま、じりじりと刀を構える。


 引く気はまったくないようだ。


 剣気が徐々に膨れ上がり、いまや、一触即発の状態である。



 すると竜之介は、片手を挙げて合図を出した。


 とたん、周りの人間の持っていた提灯ちょうちんに、一斉に火が入る。


 あたりは突然、たくさんの提灯に照らされて、ぼうと明るくなった。



 男たちの顔や姿も、よく見えるようになる。


 竜之介は、その中をゆっくりと歩を進める。


 男たちは警戒しながら、竜之介に向かって刀を構えた。


 その姿に、竜之介は片手を上げて制する格好をすると、手に持っていた脇差を、すいと持ち上げてみせる。



 これは戦うつもりかと、男たちが一斉に力んだところに、竜之介の大きな声が響いた。


 腹の底から響くその声は、彼らを凍りつかせるだけの、迫力と威厳を備えている。



「この脇差の紋を、しかと確かめよ! 私は、将軍様の妾腹にして、市井の悪を正す、隠密同心のお役目をいただいた、神宮寺竜之介だ。このままゆくなら、貴様らの悪事は見逃そう。だが、引かぬというのなら、私も容赦はせぬ。町奉行に捕まっていたほうが、ずっと幸せだったと後悔することになるが、それでもよいのだな?」



 唖然。


 男たちも、提灯を持った人々も、同じように目をむいている。


 やがて。



「わかった。我々はこのまま出てゆく。先に半分ほど掘り出してあったものは持ってゆくが、構わないな?」


 竜之介は、黙ってうなずいた。


 男たちは、例の小屋にとって帰り、一畳くらいはありそうな大きな行李を担ぐと、肩を落として、とぼとぼと出て行った。


 その姿を見送ったあと、周りが俄然、騒がしくなる。



「ご隠居! 凄いじゃないですか! 隠密同心だなんて!」


「バカ、健三! 無礼なことを言うな! 将軍様の御落胤らくいんだぞ! ご隠居……じゃなかった、竜之介様! 数々のご無礼、平にお許しください」



 戸惑うみなに、竜之介はにやりと笑って答えた。



「あのねぇ、隠密同心だの、御落胤だの、嘘に決まってるじゃないですか。だいたい、不正を正す隠密同心なら、こんな何の事件もないような寒村じゃなくて、江戸にいなくちゃまずいでしょ?」



 一同、またも唖然。



「刀の紋だって、よく見てくださいよ。三つ葉葵に見えますか? まあ、わざと提灯を背にして、見えづらくしたんで、彼らは信じていたみたいですがね。褒めるなら、私の演技力を褒めてください」



 一瞬の間があってから、そこにいるほとんどの人間が爆笑した。



「ところで、ご隠居。掘り出したものってのは、なんだったんです?」



 健三が聞くと、みな笑いやめ、竜之介を見る。


 竜之介は、にやりと笑った。



「あのね、健三さん。お前さんたちが、そこにずっといたから、彼らは、掘り出せるものも掘り出せなくなったんですよ? どうして私が、ひそかに掘り出せるんです? もちろん、ハッタリですよ。明日、みんなで掘り出しましょう。アレだけ必死になったんだ。きっと凄いお宝でしょう」


「役人に届けなくていいのかな?」


「何言ってるんです! そのためにわざわざ、役人を呼ばなくてすむ、こんなハッタリを考えたんじゃないですか! 村の財産にして、みんなで分け合いましょう!」


 とたん、今迄で一番大きな笑いと、歓声が上がる。


 そして人々は、このハッタリ屋で大嘘つきの、しかし、抜群に面白い『ご隠居』を囲んで、貧しいけれど、楽しい我が家へと帰路に着いた。




 数刻後。


 みながいなくなり、静かになった中に、影が動く。


 影はそうっと桜の下に立つと、なにやらせっせと地面を掘り始めた。


 月はいつの間にか、雲の中に姿を隠している。



 しばらくそうして、作業していた影は、やがて、小さな歓声を上げた。


 その足元には、千両箱らしきものがひとつ、ごろりと転がっている。


 影は、いそいそとそれらを抱えあげると、穴の外に 出てきた。



「それを、どうするつもりです?」



 声にびっくりして振り向くと、そこには、帰ったはずの竜之介と、網元、それに健三が立っていた。健三は、悲しそうな顔で、影に向かって叫ぶ。



「勘吉! おめぇだったのかよ!」



 影―――勘吉は、いまだ驚愕から覚めやらず、きょとんとした顔のまま三人を見つめた。


 それからしばらくして、状況を理解したのか、急にぶるぶると震えだすと、その場に座り込んでしまった。



「勘吉、空き巣は、おめえの仕業だったんだな?」



 網元の野太い声でそう問われ、勘吉は震えながらうなずいた。



「おめえ、何で空き巣なんて? 困っているなら、俺に言ってくれりゃぁ、どうにかしてやったものを」


「ムリですよ、健三さん。いくら健三さんだって、10両なんて大金、持ってないでしょう?」


「10両? おめえ、いったいなんでそんな大金を? また、バクチで借金をこさえやがったのか?」



 健三は首を振ると、突っ伏して泣き出してしまった。


 その背中に、竜之介が優しく声をかける。



「流行り病ですね? おうちの方が誰か、流行り病にかかられたのでしょう? もうずいぶんと下火になってはいるけれど、今回の流行り病は、命に関わることもあるようですから」



 勘吉は、はっと顔を上げると、涙に濡れたまま、ブンブンとうなずく。



「流行り病か。しかし、確かにあの病の薬は高いが、それは網元が金を貸してくれるじゃねえか。みんなそうやって、治しただろう? なんで、言い出さなかった?」



 健三の言葉に 勘吉が黙っていると、竜之介が代弁した。



「勘吉はもう、借金で首が回らないんですよ。そりゃあ、それでも網元は貸してくれるでしょうが、これ以上、借金をしたくなかったんじゃないですか?」



 勘吉は、驚いて竜之介を見たあと、うなずき、やがて、ポツリポツリ話し出した。



「娘が病にかかっちまいまして。それまで俺ぁ、バクチ三昧の、ダメな父親でした。でも、熱を出して苦しんでる娘を見て、心を入れ替えようと思ったんです」


「なら、どうして?」


「網元に金を借りに行こうとしたら、その娘が止めるんです。『もう、これ以上お金を借りないで』って。俺は、涙が出て来て止まりませんでした」



 勘吉は、泣きながら話す。



「俺のバクチの借金取りに、娘はずいぶんと嫌な思いをしてたようです。なのに俺は、そんなことにも気づかないで、バクチをやっちゃ、借金をこさえてました。娘は、これ以上金を借りたら、自分が売られると思ったんだそうです」


「ばかな……」



 健三が言うと、勘吉はそちらをみてうなずく。



「ええ、もちろん俺に、そんなつもりはありませんでした。でもね、娘が心配してたのは、自分が売られちまったら、俺の面倒を見る者がいなくなるってことだったんですよ。自分が売られることを心配するんじゃなくて、俺の心配をしてくれてたんです。俺は、それを聞いて……」



 あとは、言葉にならない。


 勘吉は、うつむいてしまう。


 やがて、網元がぽつりと言った。



「バカたれが」



 言葉はきついが、しかし表情は限りなく優しい。



「勘吉、盗んだものは、もう、金に換えたのか?」



 勘吉が首を横に振ると、網元は大きな声を出した。



「それじゃあ、それを持って、一軒一軒、謝りに行くぞ! 俺も一緒に行ってやる! それで全部返したら、娘を売れ!」


「あ、網元……」


「網元!」



 勘吉と健三が網元に言うと、網元はにやりと笑っていった。



「俺が買ってやる。俺のところで、奉公しろ。10両分な」



 竜之介がその後を引き継ぐ。



「そのあいだ、勘吉さんは死んだ気になって働くんです。で、バクチの借金を全部返したら、晴れて、堂々と、娘さんを迎えにゆけばいいんですよ」


「あ……あぁ……」



 勘吉の声は、もう、言葉にならない。


 やがて、その場に崩れ落ちると、おうおうと声を上げて泣き始めた。今度の涙は、しかし、さっきよりはずいぶんと暖かで、希望に満ちたものだった。


 健三は、うれしそうに、ふたりへ微笑みかける。



「なんだ、健三。にやにやして、気味悪いな」


「健三さん、ヘンな薬でもやってないでしょうね?」



 照れ隠しなのだろう、ひどいことを言う二人に、それでも健三はうれしさを隠せず、満面の笑みを浮かべて言った。



「俺ぁね、網元、ご隠居。あんたたちが、大好きなんですよ」


「やめねえか、薄気味悪い!」


「お前さん、男色の気があったんですか? おお、怖い怖い。網元、健三さんにオカマ掘られる前に、とっとと帰って、『瀬戸の花嫁』をあけましょう」


「なに? ご隠居、なんで『瀬戸の花嫁』のことを知ってる? どっからそんな話を聞きつけたんだ? まったく、酒に関しちゃ、油断もすきもないな、あんたは」



 掛け合いながら、帰路に着くふたりの後ろ姿に、深く礼をしたあと。


 健三は振り向いて、勘吉の肩をつかんだ。



「さあ、勘吉、帰ろう。おめぇ、しばらくみんなに、頭があがらねえな?」



 勘吉は、泣き笑いしながら、強くうなずいた。




 

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