かまぼこ長屋の春(1)
第六話、第二章のはじまりです。
梅はすっかり満開。
昨日、肌寒いかと思えば、今日は、少し汗ばむほどの上天気。
海岸沿いの寒村は、ようやくやってくる兆しを見せはじめた春に、少々浮かれ気味だ。
近頃の流行り病に、少々沈み気味だった村人も、いくらかでも暖かくなって、梅の花が咲くのを見れば、そりゃあ元気も出るというものだ。
もっとも、流行り病の病人を抱えた家は、そんなことも言ってられないのだが、まあ、おおむねみんな、少しずつ、活気を取り戻してはいるようである。
気の早い連中が、桜のそばに縄を張り、場所取りをはじめていた。
まだつぼみにもならないその桜の老木は、『おやじさん』と呼ばれている。近隣で一番古く、枝ぶりも立派なので、方々から花見にやってくる、ここいらの名所のひとつなのだ。
四方には山があるばかりで、これといって他に何もない場所だが、毎年桜の季節になると、あちらこちらから場所取りの人間が現れ、ちょっとした名物になっている。
と、桜木のそばを、一人の若者が通りかかった。
真っ白な絹地に、猪鹿蝶の花札を散らした、知らない者が見れば『少々、おつむの方に問題があるんじゃないか?』と訝しむだろうド派手な着流しを袋袖に、若者はのんびりと春風に吹かれながら歩いてゆく。
「おや、ご隠居じゃないか」
声をかけたのは、健三。
普段はふらふらと遊び歩いているが、こと、花見だの夏祭りだのになると、張り切って瞳を輝かし、腕まくりして若い衆の先頭に立つ、まあ、いわゆる遊び人だ。
声をかけられて振り向いた、派手な着物の若者は、『ご隠居』こと、神宮寺竜之介である。
こちらの若者も、どうやって生計を立てているのか、日がな一日のんびりと本を読んだり、日向ぼっこをしたり、昼酒を喰らったりしているのだが、健三と違い、近所の人間には尊敬されている。
それは竜之介が、何かことがあるたびに、彼らに知恵を貸してやり、それがまた、ことごとく的を射ているからだ。
最初に助けられた地元の有力者の網元が、冗談で『まるで、ご隠居さんのようだ』と言ったのを面白がった人々は、爾来、竜之介のことを『ご隠居』と呼ぶ。
「おや、健三さんじゃありませんか。桜の下で何をやってるんです? 死体でも埋めてるんですか?」
「ちょ、人聞きが悪いなぁ。花見の場所取りだよ。『おやじさん』は人気があるからね。梅が咲いたらもう、場所取りに縄を張らなくちゃならないんだ」
「普段はぐうたらなのに、そう言うときはマメですね、お前さんは。何もこんな早くから、花見の準備をしなくてもいいでしょうに」
「やかましいや。そうは言うがね、ご隠居。場所取りだって、存外、大変なんだぜ? 縄を張っただけじゃ、切られて、取り返されちまうから、これから交代で、見張りもしなくちゃならないんだ」
竜之介は、肩をすくめると、大げさにため息をつく。
「ご苦労なことですね。私には、とても真似できない。騒ぎが終わってから、散りかけのやつを、のんびり愛でるとしましょう」
「ご心配なく。網元に言われて、ご隠居の分も取っておくから。桜祭りのときは、いつもみたいに寝坊しないで、きちんと顔出すんだよ?」
健三の言葉に、渋面を作りかけた竜之介。
「そうそう、網元がね『瀬戸の花嫁』を手に入れたって言ってたぜ?」
聞いた瞬間、ニヤリと破顔して、大きくうなずいた。
「ほう、そりゃ珍しい酒ですね。わかりました、必ず顔出しますよ」
健三は苦笑した。
「本当に、筋金入りの呑み助だなぁ」
「まあ、否定はしませんがね。しかし、網元がわざわざ、桜祭りの席を取ってくれるなんて、いったいどういう了見なんだろう? また、面倒な話に巻き込まれないといいんだがなぁ」
「あーそりゃあムリってもんだよ、ご隠居。網元がご隠居に酒を、それも珍しいのを飲ませる時ぁ、間違いなく、厄介ごとの相談をするときだからね」
「でしょうねぇ……はあ、面倒だなぁ」
「でも、聞いちゃうんでしょ?」
「まあ、『瀬戸の花嫁』じゃあねぇ。見て見ぬフリは出来かねますね」
健三は笑いながら肩をすくめると、少々まじめな顔になっていった。
「網元の話、多分、アレじゃないかな。最近、やたらと空き巣が多いだろう? あの空き巣を捕まえてくれ、ってな話なんじゃないかい?」
「それは、役人の仕事だと思うんですがね。でも、確かに、ここのところの空き巣は、妙ですね。やけに手際がよすぎる。どうも、村の中に犯人がいるような気がするんですが」
「えぇ! そうなのかい? いったいそれは、誰だ?」
「そこまでわかったら、千里眼ですよ。いろいろと話を聞いたり、調べてみないことには、わかりません」
「お、やる気になったね? さすがご隠居……じゃなかった。さすが、銘酒『瀬戸の花嫁』の神通力だ。ご隠居も、若妻の前じゃ形無しだね」
「人聞きの悪い言い方を、しないでくださいよ。それじゃ私が、色キチガイみたいじゃないですか。私はね、そう言う無粋なまねは嫌いなんです」
「わかった、わかった。そう怒らないでくれよ。俺が悪かったって」
謝りながら健三は、珍しく語気を強めた竜之介の顔を見て、少々、興味を引かれていた。
このひと、そういえば、浮いた話がトンとないもんなぁ。一体全体、どういうわけなんだろう?
そんな風に想像してみるのだが、もちろん健三の単純な頭に、回答は浮かんでこない。
とりあえずまだ頬を膨らませている竜之介を見て、こりゃあ三十六計逃げるにしかずだ、とばかりに、あわてて桜の木の下へ駆け戻ってしまった。
相手に逃げられてしまったので、竜之介も気を変えて、またのんびりふらふらと歩き出す。
その派手な着物のすそを、めっきり暖かくなった風が、ひらりとひるがえしていった。