かまぼこ長屋の秋(4)
四話目です。
銀かまの奥座敷。
竜之介、網元、健三、銀二、ツネ、そして例の女が集まっている。
ツネは青白い顔を一層青くして、銀二はふてくされた様子で、女は下を向いたまま、それぞれ座していた。
お茶をもってやってきた一番番頭が、なにごとが起こるのかと不安そうにツネの顔を見る。
ツネが黙ってうなずくと、心配そうな顔のまま、店に戻っていった。
それを見定めてから、網元が口を開く。
「銀二」
銀二は「へい」と低く答えた。
「おめぇさん、身に覚えはあるのかい?」
「そりゃ、ないとはいいませんがね」
「あんたっ!」
ツネの怒りもどこ吹く風と、銀二は平然とした顔で座っている。
「ひでぇですよ、銀二さん」
憤る健三を網元が制した。
「健三、おめぇは黙ってな。話がややこしくなる。それで、そっちのおめえさん、お志野さんとやら、あんたはいったい、どうしたいんだ?」
「女ひとり、いえ、おなかの子とふたり生きてゆければいいと思ってます」
すると、黙っていた竜之介が声をかけた。
「お志野さん、それじゃあ、あんたは銀二の女房になりたいってわけじゃないんですね?」
「ご隠居!」
竜之介は、叫ぶツネを押しとどめ、だまったままの志野をうながす。
志野はそれでもしばらく黙って下を向いていたが、やがて顔を上げた。
「そりゃあ、なれれば嬉しいですけれど、そういう訳にもいかないでしょうから」
「そりゃ、そうだ。だがもし、銀二が店や女房を捨てて、あんたと一緒になると言ったら?」
志野は驚いた顔で、竜之介を見、それから、銀二を見、最後にツネを見た。
ツネは恐ろしい顔で、志野を睨んでいる。
その顔からゆっくりと視線をはずした志野は、 毅然とした表情でうなずいた。
「銀二さんがそうしてくれるなら、願ってもないことです。私は、銀かまの身代なんて、露ほども欲しくありません」
「な……志野……おめえ」
銀二は明らかに動揺していた。
彼は急激に金を持ってからこっち、どうにもヒトが信じられなくなっていて、志野もきっと、自分の背後にある金を目当てに身体を許したのだろう、くらいにしか思っていなかったのである。
ツネの顔は、いまや般若にも似ていた。
「何言ってるんだ、この泥棒猫!」
烈火のごときその叫びは、部屋中に響き渡り、健三が思わず首をすくめるほどである。
肩を震わすツネを、網元がまあまあととりなし、竜之介は銀二を見る。
「銀二さん、あんたぁ、どうしたいんです? このヒトにそれ相応の金をあげて、銀かまを続けますか? それとも、このヒトと一緒に、銀かまを出てゆきますか?」
「ご隠居! あんたっ!」
ツネが叫ぶ。
しばらく考えていた銀二は、やがてぽつりと言った。
「志野と、行く」
「あんたぁ!」
ツネの叫びも、いまや銀二には届かないのか。
彼は志野の顔をしっかりと見つめると、ついと視線を滑らせて龍之介を見、はっきりとした口調で言った。
「俺は今まで、博打三昧のロクデナシだった。それから富くじに当たり、あれやこれやでいつの間にか大店の主に収まっていた。だが、どうも俺には、性に合ってないらしいや」
「そうですか?」
「ええ、ご隠居。俺はね、生き生きと店を切り盛りしてるツネを見ながら、いつも劣等感を感じてたんですよ。俺がしたのは、博打と富くじを買ったことだけ。ツネは水を得た魚のようにがんばって、銀かまをここまで大きくしてくれました」
「それで?」
「でもね、そこに俺がやったことなんて、これっぽっちもないんです。俺はただ、ツネが大きくした店の主人として、何もしないで転がってるだけなんですよ」
「商売に精を出したらいいじゃないですか」
「そうも思ったんですが、でもね、やっぱり根がばくち打ちなんでしょうね。なにかてめえで、でかいことをして見たくなったんですよ。それが何なのかは判りませんが、丸裸の俺でもいいって言ってくれる志野がいるなら、何かやれそうな気がするんです」
「あんた……」
消えそうなツネの声にかぶせるように、竜之介が言った。
「わかりました。そこまで言うなら、止めません。ツネさんも、銀二のこころが繋ぎとめられないことは、よく判ったでしょう? ここはひとつ、銀かまの身代を慰謝料代わりに、身を引いてもらえませんかね?」
長いこと。
ずいぶんと長いこと考えてから。
ツネは小さくうなずいた。
その瞳からこぼれた涙が、畳に小さなしみを作った。