謝罪した者
15分後、僕は目的地に到着した。
最寄駅から2分程の商店街の一角にその建物は立っていた。
お決まりのチェーン店が数店舗ある、大して特徴のない商店街である。
入口上部の看板、店舗の道路側のガラスに所狭しと貼られている物件情報案内を見れば、其処が不動産屋である事は誰の目にも明らかだった。
「こんにちは。」
僕は入口を開け、中に入った。
「いらっしゃいま‥‥あれ、直君。今日は仕事じゃないの?」
振り向いて僕を迎えたのは、僕の彼女の赤木敦子だった。
「ああ、あっちゃん。ちょっとね‥。急に来ちゃって悪いんだけど、お父さんはいるかな?」
「え、ええ居るわよ。」
「ねぇお父さん、直君が用事があるんだって~。」
彼女は後ろの階段の上方に向かって声を掛けた。
「分かった、すぐ行くよ。」
すぐに返事が返ってきた。
そして程なく、トン、トン、トン‥、階段を下りて来る足音が聞こえた。
「おうっ、直樹。久しぶりじゃないか。どうした?敦子と喧嘩でもしたのか?‥‥だったら男が謝らんと上手くいかんぞ~。」
そう言って現れたのは赤木勲、僕の彼女の父親であり、1年ちょっと前までは寮での僕の隣人でもあった人物だった。
地元の人間以外で僕の事を下の名前で呼ぶのは、この2人だけだった。
「ちょっとお父さん、なお君、まだ何も言ってないでしょっ!」
「こりゃ失礼。で、どうした?まあ上がれよ。」
彼に促されて、僕は事務所の奥にある和室に通された。
部屋には炬燵が置かれていた。不思議な事に、その布団の中に足を投げ出し、僕の所定の位置に収まると若干気持ちが落ち着いた。
勲さんには、1年ちょっと前に彼が会社を辞めるまで‥よく色んな相談に乗って貰った。対人関係における立ち回りの仕方、営業成績を伸ばす為のテクニック、顧客トラブルへの対応術‥色々なアドバイスを貰ったが、そのどれもが的確だった。
自分の自尊心を損なわない程度‥‥部下が過剰に成長しないように、程々の指導・育成しかしようとはしない何処かの上司達より‥僕の成長を助けてくれたのは、勲さんだった。
「実は‥‥、勲さんに相談に乗って貰いたい事がありまして。」
そう言って口火を切った僕の顔を、勲さんはジッと見た。
「大丈夫か?だいぶ逼迫しているようだな‥。」
過去に僕から何度も相談を受けた事がある勲さんには、これまでとは違う、差し迫った空気感が伝わったのかもしれない‥。
「まあ、何があったのか、とにかく話してみろよ。」
軽く笑みを浮かべて‥勲さんは言った。
「出来るだけ、細かい点まで‥具体的にな。」
「‥はい。」
僕は、自分に起こっている事全てについて、事細かに話した。
「‥以上です。」
僕の話しが終わると、勲さんは小さく何度も頷いた。
「‥なる程。」
そう言ったきり、勲さんは黙った。
いや、正確には考えていたと言った方が正しかったのだろう‥。
数分間の沈黙を経て、勲さんは口を開いた。
「これはあくまで俺の推測だが‥‥」
そう前置きしたうえで言った。
「この状況は、予め仕組まれ、造り出された物だろう。
奴等は周到な準備をしていた。対してお前は、あまりにも無防備だった。陥れられるべくして、陥れられたという事さ。」
晴天の霹靂だった。
僕の認識では、僕は何かに巻き込まれたと思っていた。
しかし、勲さんの物言いは、僕が狙われたという事を意味していたのだ。
「奴等って誰ですか?何で僕が狙われるんですか?」
即座に僕は質問した。
きっと、必死な形相をしていたのだろう。
「気持ちは解るが、一日時間をくれ。俺自身、もう少し時間を掛けて考えてみたいんだ。」
勲さんはそう言って、僕をなだめた。
「分かりました。」
そう言いながらも、不安な表情を隠しきれなかった僕に、勲さんが言った。
「なんとかなるさ。」
これは、勲さんの昔からの口癖だった。
「何より‥。」
勲さんの言葉は続いた。
「今回の件では、俺にも責任がある。」
「勲さんに?何で?」
僕には、その意味が解らなかった。
「聴いてるんだろう?敦子!」
勲さんが事務所の方に向かって声を掛けると、その扉が開いた。
そして、敦子さんが顔を覗かせた。
「敦子、直樹が拾った100万円の落とし主はお前なんだろう?」
この問いかけに、彼女は黙っていた。
否定しなかったのだ。
「何故っ‥‥」
言いかけた僕を、勲さんが制した。
「直樹、お前、敦子と付き合って何年になる?」
「3年‥です。」
「敦子はお前の2つ年上だから‥‥今29歳だ。
この前、2人の間で結婚についての話が出た時、お前は言ったそうじゃないか。
気持ちとしては、今すぐにでも敦子と結婚したいが蓄えがないって。それで、あと100万円貯めるまで待って欲しいと‥。
それを聞いた敦子が、結婚資金なら自分が多めに出すと申し出ても、『それじゃ、男の面子が立たない。』と言って断ったんだってな、‥でも、早く結婚したいという女心がお前には解ってないんだよ。敦子は相当ガッカリとしていたぞ。
それで、俺が提案したんだ。
だったら、わざと敦子がお金を落として、それを直樹に拾わせてしまえばいいって‥。
直樹の事だ、恐らくそれを盗ってしまう事は期待できないが、警察に届ける事には応じるだろう。そうすれば、3ヶ月後にはその金は晴れて直樹の物って訳だ。
半分冗談のつもりだったんだが‥、どうやら敦子には名案と取られてしまったらしい‥。
それが、こんな事になるなんて考えもせずにな‥。
すまん、直樹。」
勲さんは謝罪した。
「ごめんなさい‥。ごめんなさい‥。」
敦子も謝っていた。その目には涙が浮かんでいた‥。
僕はショックだった。
敦子が悪い訳ではない。寧ろ自分が‥。
自分には全く原因など無いと思っていた。
しかし、実際は彼女の想いに気付けず‥自分の見栄にこだわった自らの器の小ささが、間違いなく原因の一つだったのだ。
「それじゃあ、明晩また伺います。」
そう言って、帰宅しようとした僕を、勲さんが呼び止めた。
「直樹、ちょっと待ってくれ。」
運転席にいた僕の元に、勲さんは駆け寄ってきた。
「直樹の方でも、出来れば情報収集をして貰いたい。これは、その為に使える筈だ。」
そう言って、僕に1枚の写真を手渡した。
「これは、誰ですか?」
僕が尋ねると、勲さんは耳元で説明をした。
「‥‥。」
「何で、そんな写真が。」
「まあ、それはまた改めて話すから‥。」
「判りました。」
僕はスーツの内ポケットにそれをしまい込むと、軽く会釈をした後、車を発車させた。