返り討つ者
「まあ、座りましょうや。」
そう言って、勲さんは僕の左隣の席に座った。
結果的に2人の刑事と僕達は、テーブルを挟んで向かい合う事となった。
「ちなみに、こちらの『勲さん』と渡辺さんはどういった御関係で‥?」
「ああ、元々はお世話になった会社の先輩で、今でも個人的にお付き合いさせて貰ってると言ったらいいですかね。」
松上の質問に僕が答えた。
取り敢えず、敦子の存在は伏せておいた。
「なる程、元同僚って事ですか。因みに、今は何を?」
「ははっ、しがない不動産屋のオヤジですわ。」
勲さんは、軽く頭を掻きながら答えた。
「まぁ、私の職質はその位にさせて貰って、本題に入りましょうや。」
「そうですね。いや、仕事柄ですかね、ぶしつけに質問しちゃってすいませんね。」
「構いませんよ。」
「ただ、これからのお話は渡辺さん個人に対する、一部プライバシーに関するものとなってしまうと思うんですが‥‥。」
松上はそう言って、僕の方をチラリと見た。
「僕は構いませんよ。正直に言いますが、勲さんには、今回のあらぬ疑いへの対応について、相談に乗って貰ってますんで。」
「あらぬ疑いって‥‥、あなたねぇ‥。」
柏木の奴が、露骨に不満な顔をして見せた。
「わかりました。では、渡辺さんの了承も頂けましたので、配慮は無しで話させていただきます。」
「どうぞ。しかし、なんとももったいぶった言い方しますね。」
「いやあ、手厳しいですなぁ‥。」
松上は指先で鼻の頭を掻きながら呟いた。
そして、ポケットから1枚の写真を取り出し、僕等の方に差し出した。
「あっ、これ。」
思わず声を発してしまった。
そこに写っていたのは、緑色のリュックサック‥‥恐らくは僕が拾った例のリュックサックだった。
「おやっ、見覚えがおありですか?」
「ええ、以前百万円を拾って交番に届けた事は言いましたよね。その百万円がビニール袋に包まって入っていたのが、そのリュックサックだったんですよ。」
「おや、渡辺さん。百万円の事は以前確かに聞きましたが、リュックサックの事は初耳ですよ。」
柏木の奴が口を挟んだ。
一瞬、ムッとした表情で柏木の方を見た後、松上は続けた。
「このリュックサックなんですがね、殺された内田の部屋の押入の中から見つかったんですよね。
それともう1つ、内田が殺されたあの日、内田の自宅近くでこれと似たリュックサックを持って歩いている若い男を見たという目撃情報が入ったんですよ。
それで、我々としては、出来ればこのリュックサックに付着している指紋と渡辺さんの指紋を照合させて頂けたらと思いましてね。」
一瞬、言葉が出なかった。
もしかしたら、証拠品や目撃情報をでっち上げてくるかもしれないとは思っていた。‥‥が、両方一辺にとは考えてなかった。
「そんなっ、今僕が言った通り百万円がその中に入っていたのなら、そのリュックサックに僕の指紋が付いているのは当たり前じゃないですか。」
妙に空いてしまった間を埋めるべく、僕は慌てて答えた。
「いえ、そもそもその百万円の存在すら確認されてはいないんですよ。今初めて聞いたリュックサックについてのそんな都合がいい説明では、私達も引き下がる事は出来ないんですよね。」
「なっ‥‥」
続く言葉が出なかった。
(何か対抗出来る手段はないのか‥?)
(あるとすれば、こちら側も証人を立てる位か?)
(何を言ってる。敦子を巻き込む気か?ただでさえ、自分が原因を作ったと思って落ち込んでるのに‥)
(分かってる。じゃあ、どうする?)
その時だった。
「ちょと、ちょっと刑事さん。」
3人の意識の外から、会話に割り込んで来たのは‥勲さんだった。
「虚偽の証拠品や証人をでっち上げて、直樹を追い込むのは勘弁して貰えませんかね。」
僕に向けられていた筈の2人の刑事の視線は、途端、異議を唱えた人物の元へ方向転換を余儀なくされた。
2人にしたら、まさに虚を突かれた恰好だった。
「虚偽‥‥ですか?」
「あんたねぇ、突然何をっ‥」
食って掛かろうとした柏木が、続く言葉を呑み込んだ。
そうさせたのは、勲さんだった。
柏木の眼前に、突き出したその手には携帯用レコーダーが握られていた。
「ハハハハッ、安心して下さい。録音はしてないですよ。」
確かにそのレコーダーの録音中状態を示す赤いランプは点灯していなかった。そして、そのレコーダーに差し込まれたイヤホンがぶら下がって揺れていた。
瞬間的に息を止めてしまっていた柏木が、ふーっと息を吐き出した。
「人が悪いですなぁ。」
代表して松上が不平をを言った。
「人が悪いという点では、そちら様には到底敵いませんよ。」
「何の事ですかな?」
「あくまで、とぼけるんですなぁ。」
「だから、何をっ‥」
ようやく反撃に出ようとした柏木を、レコーダーを持っている手とは反対の手を上げて制すと、勲さんは松上の方へ向かって言った。
「どうぞイヤホンを付けて下さい。」
やや怪訝な顔をしつつも、松上はイヤホンを耳に装着した。
それを確認すると、勲さんはレコーダーの再生ボタンを押した。
再生時間は5分余りに及んだ。
その間、4人は一言も言葉を発しなかった‥。
長い沈黙が続いた。
「もう、いい。‥止めてくれ。」
松上の申し出を受けて、レコーダーは再生を終えた。
「松上刑事は、東北のご出身なんですねぇ。」
勲さんの声掛けに、松上は返事をしなかった。
ただ黙って、勲さんの方を一別した。
そして、直後に瞼に力を込めて目を閉じた。
数秒後、その目を開けると松上は言った。
「お邪魔しました。我々は、この辺で失礼しますわ。」
「えっ、松上さん、何で?」
理解出来ないといった表情をしていた柏木が、松上に尋ねた。
それに答えず、松上は席から立ち上がった。
「ちょっと待って‥」
「いいんだよっ!とぼけっ!」
食い下がる柏木を一喝すると、松上はそのまま部屋を出て行った。その後を、柏木が慌てて追いかけて行った。
あっという間の出来事だった。
僕と勲さんの2人だけが部屋に残された。