抑止する者
翌朝、出社した僕は、直ぐさま上司から早退を勧められた。
警察から僕に任意の出頭依頼があったからだった。
勿論、任意であるのだから拒否も出来るし、警察の方から会社に出向いてもらう事だって可能だったであろうが、会社としては、僕が出頭して取り調べを受けるのがベストだったのだろう。
僕は、この勧めを受け入れた。僕自身、早い段階で警察に会っておきたいという思惑があったからだった。
1、‥‥2、‥‥3、‥‥4。案内役に導かれた僕が、取調室に辿り着くまでに通過した扉の数だ。
その間にすれ違った、警察官の視線は僕に何とも言えない圧をかけてきた。自分達の同志の敵に対する憎しみなのだろう。
恐らく彼等には、僕が犯人だというのは既成事実に違いない。
「本日はご協力ありがとうございます。まぁ、お掛け下さい。」
丁重な言葉で、僕を迎えたのは年配者の松上だった。
そして、その隣には‥‥、相変わらずの無愛想な表情をした柏木がいた。
「その後、何か判りましたか。」
僕は敢えて先に質問をぶつけた。
「いやっ、それが捜査線上に一向に容疑者と言える人物が浮かび上がらなくて‥‥、正直困ってるんですよ。」
「僕以外は‥‥ですか?」
「ははっ、手厳しいですね。私は渡辺さんを疑ってなんかいないですよ。犯人逮捕に向けての協力をお願いしているだけなんですがね‥。」
そう言って松上は頭を掻いた。
「松上さん、時間も限られてますから‥。」
隣の柏木が、強めの語気で取り調べの開始をせっついてきた。
「わかったよ。」
松上は僕の向の席に腰を下ろした。
柏木は立ったままだ。
「ところで、僕の方からもお願いがあるんですが‥。」
「なんですか?」
「ここでのやり取りを、録音させて欲しいんですが‥。」
そう言って、僕はポケットからレコーダーを取り出した。
瞬間、松上が僅かに顔を顰めた気がした‥。
柏木は露骨だった。
「そんなの許される訳ないだろうが。」
声を張り上げ、同時に机を叩き威嚇してきた。
「何故です?何が問題なんですか?」
僕は落ち着くように努め、敢えて機械的な口調で質問をした。
「取り調べの可視化が求められている昨今の社会下で、善意で任意の聴取に応じる僕が、その程度の要望をするのが可笑しいとは思えないんですが。」
さらに正論をぶつける僕に、無計画な発言をした柏木の奴は次の言葉を失っていた‥。
「ははっ、そう言われちゃ敵わない。いいですよ、どうぞ録音して下さい。」
一呼吸おいて、松上が、机を叩いたままの状態にあった柏木の腕を左手で軽く制し、僕の申し出を認めてくれた。
そうして、始まった聴取での2人の口調は、露骨に穏やかなものだった。
テーマは犯行時刻の僕のアリバイと、僕が紛失してしまった預かり証の事だったが、『一人で部屋にいた。』『机にしまっておいた筈が、何故か無くなってしまった。』という僕の繰り返しの証言に『なる程‥。』と言って頷くだけのものだった。
「それでは、どうも御協力ありがとうございました。」
約15分後、そう言って松上は席から立ち上がった。
それは、彼等にとって特段の進展もなかったであろう聴取の終了を意味していた。
「それでは、失礼します。」
そう言った後、部屋から出て行こうとする僕に松上が声をかけてきた。
「渡辺さん、前回お会いした時とは何か変わりましたね。」
振り返ると、ムッとした表情をしている柏木の横で松上はうっすらと笑みを浮かべていた。‥‥ただし、その目は笑ってなどいなかった。
「別に‥。自分が善意の通報者である事を改めて自覚しただけですよ。」
彼等のその後の言葉を待たずに、僕は取調室を後にした。
会社に戻る道すがら、僕は考えていた。
もし、録音の申し出をしなかったら、聴取の様相は全く異なるものになっていたのかもしれない。
事実、彼等の対応は、想定外の状況に対して、やり過ごすといった感のものだった。恐らくは、僕に対して追い込みをかけるつもりが、それを控えざるを得なかったのだろう。レコーダーへの録音を申し出るという、勲さんからのアドバイスが功を奏したという格好だった。
『警察という組織が1番嫌がるのは、大衆からの非難だ。それを回避するために彼等が注意しているのが、人権侵害、職権乱用と取られる行動の抑止だ。』
勲さんが言った言葉を、思い出していた‥。
これで、多少は警察に対しての抑止力を働かせる事が出来たかもしれない。どの程度効果が持つかは分からないが‥。
会社に戻った僕は、営業課の部屋に戻る前に使用されていない小会議室に向かった。
誰もいない室内で、僕は続けて2人の人物に内線をかけた。
幸い、2人とも在席しており応答した。
そして、2人と社外で会う約束を取り付けた。
勿論、それは彼等の弱点をつき、強制的にさせた約束ではあるのだが‥。




