質問する者
翌日は平穏だった。
引き続き本社勤務の僕は、与えられた資料整理の作業をマイペースでこなして過ごした。
時折、奴等が声を掛けてきたが、無感情に差し障りのない応答を繰り返す僕に、やがて飽きたのだろう。1人、2人と営業室から出て行き、昼休みの時間を迎えた時に残っていたのは、僕と天野だけだった。
手元の資料類をいったん片付け、昼食に出掛けようと僕は席を立った。
恐らくは、それを待っていたのだろう。
「あっ、先輩、お昼ですか?」
天野が声を掛けてきた。
「ああ。」
素っ気ない返事をしたつもりだった。
しかし、そこは流石僕が鍛えた営業マンだ。
そんな事で怯んだりはしない。
「一緒に行きませんか?先月オープンしたイタリア料理店の割引券があるんですよ。」
僕にとってのささやかなメリットをアピールし、勧誘してきた。
「まぁ、いいか。」
決してその割引券に惹かれた訳ではないが、僕は天野の誘いに乗った。
「よかった~。なんか昨日先輩と変な空気になっちゃったから、気になっちゃって‥。今日はおごらせて下さい。」
一昨日までなら、きっとその言葉を素直に受け入れられただろう。しかし、今の僕には稚拙な芝居にしか思えなかった。
開店当時は混雑していたという店内は、意外と空いていた。
開店キャンペーンの1ヶ月間が終わって、客足が落ちてきたのだろう。
(この店もこれからが正念場だな‥。)などと一瞬考えた。
‥が、自分が人の心配などをしている場合ではない事を、直ぐに思い出した僕は、つい失笑してしまった。
結果的には、空いていたおかげで、僕らは数席しか用意されていない個室でのランチにありつけた。
勿論、僕に聞き込みをしたかった天野が、店員に個室の利用を希望したという前提があった上での事だが‥。
ランチのセットメニューがテーブルの上に揃い、ウェイトレスが退室すると、天野が背筋を伸ばし、椅子に座り直した。
それまでは、差し障りのない日常会話に終始していた奴が、恐らくはスイッチを切り替えたのだろう。
「あの~‥先輩。」
「何だよ。」
「ストレートに聞きますけど‥先輩は犯人じゃないっすよね。」
こちらをジッと見て‥奴は訊いてきた。
「ああ、勿論違うさ。」
僕は事実を答えた。
「ただ、他の奴等はそう思ってないみたいだがね‥。或いは僕を犯人にしたい奴等がいるのかもしれないな。」
更に、わざと周囲を疑っている事を告知してやった。
すると、天野は言った。
「そうですね‥。正直言って、警察から聴取を受けた際の刑事の発言のニュアンスを踏まえて、係長も課長も先輩に対して疑いを持つようになったんだと思います。
でも、僕は先輩の事は信じてます。先輩が違うって言うんだから、違うに決まってます。」
「本当にそう思ってくれてるのか?」
「当たり前です。」
天野の奴は、きっぱりと言いやがった。
くどいようだが、これが昨日の彼等の会話を立ち聞きする前だったら、恐らく僕はこいつの言葉を信じただろう。
しかし、今の僕は客観的にコイツの事を観る事が出来た。
今の会話についても、
①まず相手の不満点について聞き出す。→②相手の考えに同調し、自分が相手にとっての理解者である事を認識させる。→③良きアドバイザーとして一緒になって問題解決策を模索する。
という何の事はない‥、かって僕が天野に教えた苦情対応手法に則ったものに他ならなかった。
「じゃあ、お前に教えて欲しい事がある。」
僕は、その流れからは逸れるような形で質問をした。
「まず、お前は上司からどんな指示を受けた。それから、刑事からどんな情報を与えられ、どんな質問をされた。そして、それに対して何て答えた。」
「えっ?」
天野は一瞬強ばった表情をした。
「いえ‥、上司から特段指示は受けてないですし‥、警察からも一切他言しないようにと釘を刺されちゃってますから、それはちょっと‥。」
「はあ?こういったケースで、会社から指示が出てない訳がないだろうが。」
「いえ、本当に‥。」
そう言ったきり、天野の奴は急に無口になりやがった。
「まあいいさ、どうせ強制的に話させるつもりだったから。」
僕はそう言って、例の勲さんから預かった写真を、天野の前に差し出してやった。
「えっ‥‥」
天野の奴は、そう呻いた後、固まってしまった。
そこに写っていたのは、天野と40歳過ぎとおぼしき女性の姿だった。
2人は腕を組んでいた。女性は体を天野の方に預け、やや頬を赤らめた恍惚の表情を浮かべ、天野に向かって微笑みかけている。
そして、その背景にはいかにもといったホテルが写り込んでいた。客観的に見て、2人が事を済ませて其所から出て来たという状況を物語っていた。
以前、「俺、結構熟女好きなんですよ!」と飲み会の場で天野が言っていた事があった。
女性陣からは「きゃー!うそ~!」等と面白ネタとしてウケていた。‥が、これがガチとなると話は違って来るだろう‥。
固まったままの天野を無視して、僕は言った。
「これから、僕が質問をして行く。
お前は、それに対して真実のみを必ず答えろ。
もし、嘘をついたら‥俺はおまえが最もダメージを負うように、この写真を活用する。
ちなみに、嘘か本当かの判断は俺の独断で決めさせて貰う。
安心しろ、お前とは決して短い付き合いじゃない。
嘘か本当か位、見抜けるつもりさ。
だから‥‥、嘘だけはつくなよ。」
僕の言葉に、天野は俯いたまま、小さく頷いた。
「じゃあ、最初の質問だ。
このお前と一緒に写っている女性は、誰だ?」
「‥‥水沢係長の‥奥様です。」
「いいぞ!本当の事を答えてくれたな。この調子で、この後も頼むぞ。」
「答えます!ちゃんと本当の事を答えますから‥‥その写真を水沢係長に見せるのだけは、勘弁して下さい!」
そう懇願してきた奴は、涙目になっていた。
「大丈夫、心配するなよ。嘘さえつかなきゃいいんだから。」
僕はわざと笑顔を作って見せた。
その後の奴は、無抵抗だった‥。
こちらの質問に、真摯な態度をもって、恐らくは真実のみを答え続けた。
約30分間にわたって、質疑応答は続き、僕が事前に用意してあった質問は全て片付いた。
ある意味、僕の頭の中は多少スッキリした。
然しながら‥、その替わりに、新たな事実を知った事で、僕の中にその不条理に対する怒りが沸々と湧き上がってきていた‥。
「‥もう、いいですか?」
暫く黙っていた僕に、天野が訊いてきた。
「ああ。とっとと俺の目の前から消えてくれ。」
僕は天野に退場を許可してやった。
頭を垂れて部屋を出て行く天野に、
「この事を他言したらどうなるかは‥‥、解ってるな。」
と釘を刺すと、
「も、勿論です!」
と言って何度も頭を下げた。
怯えきった天野を見て、僅かだが、彼に対して哀れみを感じた。
奴もサラリーマンとして生きて行く上で、選択せざるを得なかった行動だったのだろうから‥。