第五話 食堂×談話②
考え事をしていると、すぐに桜井さんが取っておいてくれたテーブルに着いていた。
「美沙樹、待たせて悪かったわね」
お弁当箱を広げて待ってくれていた桜井さんの隣に腰下ろす清水さん。さすが気配り精神に長けた女の子は先に食べるなんてことをしないのか、と胸の内で言葉を零しつつ、僕は二人の向かいに座ることにする。
二人とも教室で声をかけてきた時に比べれば表情筋が柔らかくなってくれた模様で、僕としては大変位に優しい状況となっていた。……周りから突き刺さる視線は変わらずだけど。そりゃ僕だって当事者でなければ興味を引かれる組み合わせだ。傍観者たちが羨ましい。
「ほーんと、アンタの弁当は小さいよね」
いただきますを唱和した清水さんが、桜井さんの弁当箱を半眼ジト目で睨んでいた。どうやら最近の彼女は、ありとあらゆるものに敵対意識を持つことを信条としているようだ。
「そ、そうですか? これでも少し残しちゃったりするんですけど……。私、暑くなるとまったく食べられなくなるんで……」
「羨ましいわねぇ。夏休みの間にまた痩せたんじゃない? これ以上細くなってどうするのよ」
「ひゃっ! ちょ、ちょっと朱里ちゃん! やめてくださいっ!」
反対側に座る僕からは見えないが、どうやら清水さんが桜井さんの腰にでも手を伸ばしたようだ。……できれば男子の眼が届かない場所でやってほしいコミュニケーションだ。対応に困る。
「いいじゃない。どこに出したって恥ずかしくないスリムな腰よ。くっ……! 夏に食べたアイスが恨めしいわ……!! なんで夏休みに学校の帰り道に美味しいアイスの屋台ができたのよ! アイス好きのあたしに買ってくださいって言ってるようなものよ、あれは! あたしの体重は一切減らなかったわよっ!」
「清水さん、情緒不安定だよ」
箸を置いた右手で自分の腰に手を伸ばした清水さんが唸るのを呆れながら見つつ、僕はコロッケを頬ばる。うむ。可もなく不可もなく、感想を付けるような要素が見当たらない、普通のコロッケだ。
お次はこれまた何とも微妙な味わいの味噌汁を啜っていると、清水さんの敵意の宿る視線が僕へと移っていた。男子相手でも遠慮しないその心意気には恐れ入る。
「うるさいわね、修樹。アンタに十代乙女の繊細さなんて理解できないのよ」
「…………繊細な、乙女、心……?」
「何を言いたいのかよーく分かったわ。――表に出なさいよ。その貧弱な体、へし折ってやるわ」
物騒なことを呟き、指の骨をバキバキと鳴らしている彼女の目は本気だ。
僕は負けじと睨み返し、
「ふん、舐めないでくれよ。中学までへにょへにょと野球をしていた僕の骨と皮だらけの肉体が君の攻撃に耐えられるはずがないだろう?」
素直に降参のポーズを取る。勝算のない勝負はしない主義だ。
「……なんで自慢げなのよ、アンタ」
怒る気も失せたのか、清水さんは呆れたようにそう呟いた。
「……里見くんは野球をしていたんですか?」
怒りの矛を収めてくれたことに一安心していると、予想外にも桜井さんから質問が飛んできた。
一瞬言葉に詰まってしまったけど、桜井さんの表情を見る限り純粋な疑問らしい。一呼吸挟み、答える。
「まぁ……中学生の頃にちょっとね」
「なーにがちょっとよ。遼平が自分より上手いって言ってたわよ」
彼は僕を出汁に自虐ネタで女子と話を盛り上げていたらしい。許すまじ。
「この学校の硬式野球部はお世辞にも強くないから」
「うーわ。野球部の人に聞かれても知らないわよ」
「安心してくれ。本人たちに面と向かって言っても首絞めをされる程度だ。遼平なんて『そうだろ』なんて笑ってるくらいだ」
『お前がいりゃもうちょっと勝てるかもしれねぇんだぞ!』などと文句を言ってくる割に、野球部の面々が強引に勧誘をしてきたことはない。言い方が悪いけど、遼平だけでなくこの学校の野球部の奴らは部活にその程度の熱意しか注いでいないのだ。長期休暇に練習が連続して入っているとダルいと文句をぼやき、雨天で練習が休みになればこれ幸いと僕などの帰宅部面子を誘って遊ぼうとする。練習だって学業に支障がない程度。
人によってはやる気がないと非難しそうだけど、僕は別にその程度でも問題ないと思っている。一番大事なのは彼らが楽しんでいるかどうかだ。気分転換に軽く体を動かしたい、なんて理由で部活動に参加すること自体は何も間違っていないはずだ。誰しもが勝利のためだけにスポーツをする訳でもあるまいし、進学校のこの学校なら部活は楽しんだ者勝ちのはずだ。
「まぁ、あのバカは例外でしょ。……で、何で野球止めて帰宅部になったのよ?」
「……特に理由は。敢えて言うならやる気がなくなっただけだよ。無理矢理やるものでもないからね、スポーツは」
「ふぅーん……ま、それもそうね」
僕の返答がお気に召さなかったのか、如何にも納得できてなさそうな声音を出す清水さん。別に理由なんてどうでもいいじゃないか。
「ほ、他の部活に入ろうとは思わなかったんですか?」
二人して少々気まずい雰囲気になっていると、気を効かせてくれたのか、桜井さんが上半身を乗り出す様な体制になって問いかけてくる。
……何を桜井さんに気を使わせるような状況を作っているんだろうな、僕は。
それにしても、他の部活か。
「高校から新しく別のスポーツってのも色々と大変だと思ったからね。で、文化系の部活は最初からあまり興味もなかったんだ。……桜井さんも確か無所属だったよね? どこかに入ろうとは思わなかったの?」
「興味がなかったわけではないんですけど……やっぱり二年生から転入してきたので」
「そりゃ中途入部は勇気がいるよね」
曖昧な笑みを浮かべる桜井さんに僕も表情に苦笑を交えてしまう。
あまり自身の主張をはっきりと表に出す正確には見えないし、よほど熱意が無い限り既に関係のできあがったコミュニティーに参加しようとは思わないのだろう。
「だーかーら、テニス部ならクラスメイトも多いからって言ってるのにねー」
今のやり取りの間にリセット完了したのだろう、先ほど同様、横腹をつきながら茶々を入れる清水さん。
「でも私、球技は全然駄目ですから……」
「そんなこと……あるけど、問題ないわよ、ええ。大丈夫、だいじょーぶ。何とかなるわよ。…………きっと、多分」
「せめて最後まで強がってくださいっ!」
まったく目を合わせようとしない清水さんに必死に詰め寄る桜井さん。軽く涙目だ。
「それほどひどいのか……?」
「凄いわよ」
思わず訊ねると、即答された。……どれほどだ。
「運動神経が悪くないから猶のことよ。一回だけ練習休みの日に美沙樹を誘ってクラスの女テニのメンバーでテニスしたことがあるんだけど、ラケット持ってボール打たせた瞬間に……ミラクルね」
「……具体的には?」
「ラケットが相手コートに鋭く突き刺さった。エース間違いなしの速度でね」
「オッケー、分かった」
確かにイッツ・ミラクルだ。
「あ、朱里ちゃん、秘密にしてってお願いしたじゃないですかっ! 違うんですよ、里見くん! 練習したらボールもちゃんと飛んだんですからっ!」
弁解している所悪いが、ボールも、の時点でアウトだ。
「ダブルスで味方前衛を襲うボールに相手前衛を襲うラケット」
「……それはミラクルショットじゃなくてデンジャーショットじゃないか?」
「このボールとラケット、誰を襲うかまったく分かりません! 私にも、death! ――って感じかしら? 女テニ部員を戦慄させたそのショットの名前は満場一致でナックルショットに決定したわ」
「……赤目の悪魔くんに謝った方が良いだろ、そのネーミング。……それに、それって球技が苦手って言うのか……?」
「でもサッカーでも味方のハンドを的確に狙い撃つシュート。バスケだと敵味方関係なく襲う鋭いパスよ? マシなのはドッジくらいね。――味方にぶつけてもアウトにならないから」
「おおぅ……」
球技との相性が最悪だな。ここまでくると逆に素晴らしいと思えてしまいそうなほどだ。
自然と僕らの視線が桜井さんへと集まり、彼女は俯きながら弁明する。
「私、ボールに集中しちゃうと他の事に全然意識が向かなくなっちゃって……」
耳まで赤くなった桜井さんが蚊の鳴くような声で囁いた。そして何となくだけど、ピンときた。
「もしかして、一つの事に集中すると周りが見えなくなる性質? 僕もちょっと分かるよ、それ」
これは目の前の事に集中していると言えば聞こえは良いけど、ただ要領が悪いだけとも言える。実は僕が野球でピッチャーになろうと考えたのもこれが原因だったりするので他人事だと思えず頷いていると、彼女が軽く身を乗り出して問いかけてきた。大きな黒目が僕を捉える。
「里見くんも、ですか?」
「うん。直そうと思っても、気が付いたら勝手に」
「そうですよね」
「ホント、困るよね」
二人して、軽く笑みを浮かべる。
未だ互いの距離感が掴めぬからか、言葉足らずになってしまったけど、今日初めて桜井さんが僕に向けて笑ってくれたことに密かに安堵していた。多少の固さが残っているとはいえ、落ち着いた雰囲気が流れる。
「そうね。二人して会話に夢中になったらまったく箸が進まなくなってるもんね」
そんな僕らに清水さんから余計なひと言。
「……清水さん、できればもう少し早く指摘してくれない?」
「わっ、急いで食べないと授業が……。朱里ちゃん、もう少し早く言ってくださいよっ」
「あのね、二人して何であたしが悪いみたいな言い方なのよ?」
と、既に定食を完食している清水さんに呆れ声で論破される。こちらとしても悪いのはどちらかなど議論する余地すらないと理解しているため黙って箸を動かすことに。
先ほどから会話中にも上手いタイミングで箸を動かしていた彼女と違い、僕と桜井さんはまだ半分も食べ進めていない。気を使う相手との会話に集中し過ぎて、そういう気質であると自覚しながら食べるのを中断していた二人。……耳が痛いとは正にこのことだ。教室からの移動時間に普段より時間を使ってしまったのもあってか、休み時間は残り十分程度しかない。
日替わり定食のコロッケとから揚げを頬張り、ご飯をかきこむ。少し冷めてしまって、味が更に微妙な物へと進化……退化しているけど、この際文句は言ってられない。言えたところで料理技術が低い僕には食堂を利用する以外の手は存在しない。
「食べきれる気がしないです……」
「諦めるの早っ。もー、ちょっとは手伝ってあげるから頑張りなさい。…………そして、食べた分太りなさい」
「今さらっと本音を言われた気が……」
和気あいあいとした雰囲気の中にしょうもない策謀を織り交ぜながら食べ進める女子二人。奪い去るように桜井さんが箸で持っていたから揚げをひったくった清水さんが淑女らしからぬ大口で丸ごと口に放り込み、目を見開く。
「アンタ、また腕上げたんじゃない? 学校のから揚げを食べた後だからギャップ効果のせいかもしれないけど」
「桜井さんは自分で弁当作ってるの?」
ナチュラルに学校の食堂をけなしているけど、同意見なのでその点は流しておき、気になる点を本人へと訊ねた。
「はい。お母さんも働いているので、家族全員分、私が作っているんです」
「……凄い女子力だね」
「……修樹があたしの方を見てるのが非常に不本意だから言っとくけどね、一人分作るなら三人分作るのと大して変わらないわよ」
「さすが食堂組の清水さんだね。よく理解していらっしゃるようで」
「オーケー、喧嘩なら買うわ」
「オーケー、僕が悪かった」
別に清水さんが女の子らしくないと思っているわけではないのだけど、比較するとどうしても仕方ないことだってある。敢えて言うなら比較する相手が悪い。僕は悪くないはずだ。
「美沙樹の弁当が美味しいのは認めるわ。このから揚げだって食堂のから揚げと比べれば月とスッポンね。……そんだけ美味しいんだから残さず食べなさいよね……! あたしが食べちゃうじゃない……!」
「清水さんって桜井さんと一緒の時はずっとこんな感じなのか?」
おそらくは円滑なコミュニケーションを図る上でのモーションなのだろう。けど桜井さんの文句の付けようのないプロモーションへと突き刺さる嫉妬の視線には本気が九割近く混ざっているような気がする。……殆ど本気じゃないか。
「ふん、アンタも食べてみたら分かるわよ。……美沙樹、やりなさい」
「えぇっ!? ほ、本気でやるんですかぁ……?」
「あんたもやる気だったでしょうが」
何の話だ、と内心首を傾げているとほらほら、と急かされる桜井さんが何やら必死な……それを通り越して剣呑にすら見える表情で僕を見据えた。敵意があるゆえではないことを願おう。
「あ、あの!」
「……何かな?」
彼女の態度がつい先日の告白の時と似ているように思えてならないため、反応が遅れる。
「ちょっと食べきれそうにないので……里見くんも一ついかがですか?」
「いいの? なら是非」
なんだ。そんなことか。
と安堵しつつ箸を伸ばす。
「そ、それなら……あ、…………あーんっ……?」
そんな僕へと向けてから揚げを挟んだ箸を向けて来る桜井さん。
僕らの席を中心とした食堂の一角が静まり返った。
なぜ直接? なぜ疑問形? なぜ顔がトマト? なぜか顔が赤い桜井さんは非常に可愛らしいなぁ。こんな初々しい反応を見せる彼女からあーんをしてもらえるなんて超幸せだなぁ。やるぅ、こいつぅ。ハッハー。はっ、ははっ……。
……と数秒の間、軽く現実逃避していたのだが、そんな僕に突き刺さる非難の視線。言うまでもなかろう。ぷるぷる震えていらっしゃる桜井さんの隣に座っている清水さんからだ。要件も言わずもがな。早く食べてやれ、なのだろう。周りの視線やら自身の羞恥心やら様々な問題があったけど、諦めて要望に応えることにした。でないと、桜井さんが熱暴走で倒れそうだ。そして僕は清水さんに始末されることだろう。今の清水さんを簡潔に表現しよう。ずばり、般若。
「……」
ばっちこいや、と無言で口を開ける。素直に白状しようと思う。第三者に見られている状況でこれは非常に恥ずかしい。なのでできれば手早く終わらせてほしい。
「ど……っ、どうぞっ!」
そんな僕の願いが通じたのか、桜井さんの動きはとても素早かった。僕が口を開けたと見るや、素早く箸を動かし始める。緊張が限界点を突破でもしたのだろうか、目を瞑っている。
軽快な動きで箸が前進。僕の口の中にから揚げが到達し――尚も勢いよく直進した。
どうやら僕の願いは過剰送信されていたらしく、箸には等速直線運動を遂行する以外の命令が受信されていなかったらしい。
結果、
「……のっ!?」
から揚げを喉へとクリーンヒットさせられた僕の口から奇妙な叫び声が出た。
小振りなから揚げとて喉を堰き止めるには十分すぎるほどの大きさだ。呼吸が止まりそうになる。
「かっ……こ……っ!」
「ちょっ……修樹、アンタ大丈夫!?」
「さ、里見くん――っ!? あのっ、これ飲んでください!」
確認するのすら惜しんで、僕は差し出されたペットボトルをひったくるように頂戴して、その中身を煽った。ゴキュゴキュと豪快な音を立てること数回、お茶の勢いに屈したから揚げが食道へと落ちていった。
「ふー……」
大きく息を吐き、吸い込む。酸素を吸えることがこれほど素晴らしいこととは知らなかった。
「あの、ごめんなさい……! 私、新しいお茶買ってきますね! 里見くんの分も!」
飲み干したペットボトルを見て、なぜか顔を赤くした桜井さんは慌てた様子で食堂の外にある自販機へと小走りで向かっていく。
そんな彼女の背中を見送りながら、僕はポツリと一言。
「桜井さんは別に、僕に恨みがあるわけじゃあないんだよね……?」
「…………多分」
視線の端で、清水さんが露骨に僕から視線を外したのが分かった。




