第一話 あなたのことが嫌いです
「――あなたのことが嫌いです」
放課後、屋上へ来てください。
下駄箱に手紙を入れる古典的な呼び出し方をしてきた彼女は、バックの茜色に染まる夕陽にも負けず顔を真っ赤にして透き通った鈴の音を思わせる声で、そんなことを告白してきた。
「…………はい?」
予想外にも程があるだろう。
脳内に大量の疑問符を浮かべ、呆けた返事をした僕を誰が責められようか。いや、誰も責められやしない。
この世に命を授かり早十七年。残念ながら恋人いない歴と年齢が同じという辛く困難な人生を歩んできた僕が初めてラブレターと思しきものを受け取ったのだ。驚かずにいられるはずがない。
手紙で誰かに呼び出される状況に、浮かれない高校生など存在しないだろう。
手紙の差出人が知っている人で、且つ美人と評判の子なら、きっと尚更だ。
「あっ……すいません。自己紹介が先ですよね」
僕の呆然とした様子に、納得したように彼女が手を打つけど、その予想は大きく外れている。
というより、なぜ知らないと思われているのだろうか? そちらの方が疑問だ。
「知ってるよ。同じクラスの桜井さん、だよね?」
桜井美沙樹。
この春、この学校へと転校してきた女子生徒であり、立派に半年間クラスメイトだった人物だ。
腰まで伸びる漆黒のストレートヘアに、整った鼻目立ち。高い鼻筋も、小さな愛らしい桜色の唇も魅力的だが、何よりも、その瞳が神秘的だ。綺麗な睫毛に彩られた大きな瞳は、不思議な引力でもあるのか、真正面から向けられると自然と目を合わせてしまう。
身長は百六十と女子の平均より少し高めで、清楚な雰囲気もある。こういう人の事を大和撫子と褒め称えるべきなのだろう。
男子とは距離を取っているのだけど、それでも半年間で無謀な告白に挑む男子生徒の生きた屍が数体生み出されてしまっているのだから、彼女の人気が窺い知れる。
「えぇっ? し、知っているんですか!?」
なので僕としては、素っ頓狂な声で驚かれた方が驚きだ。
艶やかな黒髪を揺らし、彼女が前傾姿勢で訊ねてくる。普段の素っ気ない様子とは異なり、その愛らしい顔一杯に感情を描いている様も非常に魅力的なのだから、美少女とは伊達ではない。
しかし、元々一メートルほど離れて向かい合っていたのに、詰め寄られると彼女の顔が文字通り目の前にあり、目に毒だ。近い。僕にこの状況をラッキーだと思えるほどの豪胆な精神力は備わっていない。
反射的に後ずさる。
「そりゃ……まぁ」
「そ、そんな……」
言葉を濁す僕に、絶望した様子で声を漏らす桜井さん。
……名前を憶えられていることがショックなほど、彼女は僕の事が嫌いなのだろうか?
って、違う。それより先に色々と確認するべき事があるだろう。
半袖シャツの裾を所在なく触りながら、ようやく衝撃から幾分か回復した僕は桜井さんの真意を探るべく行動を開始した。
「……あー、それで、その……実を言うとさっきの言葉ちゃんと聞こえなかったから、もう一度言ってほしいなぁ、なんて――」
「あなたが嫌いですっ!!」
「……そ、そうですか」
聞き間違いだと祈っていたのだが、語尾を被せる勢いで断言されてしまった。先ほどより声が大きいのは気のせいであって欲しい。
彼女の勢いに押され、僕まで敬語で喋ってしまう。
い、いや負けるな。可能性を探るんだ。諦めればそこで試合終了だぞ。
「……もしかして、ドッキリ企画の罰ゲームで無理に変な告白させられているとか……」
「いえ、私の誠心誠意の気持ちです!」
誠心誠意の嫌いとはまた風流な表現だなぁ。
「……じゃあ、僕の行動に不満な点があったりとか、どこか指摘したい問題が生じたりとか……」
「いいえ、あなたの全てが嫌いなんです!」
「……さ、さいですか」
これがきっと、俗に言う『無理ゲー』なんだろうなぁ……。
桜井さんの瞳から視線を外し、屋上から見渡せる空を眺める。
つまり、こういうことだろうか?
彼女こと桜井美沙樹さんは、夏休みが終わり約一か月。長袖シャツが恋しくなってきた今日この日に、僕こと里見修樹をこの学校の告白スポットの一つ、本館校舎屋上へと呼び出し、想いの全てを伝えてくれた、と。
――僕の事が、嫌いだ、と。
うん、分からないな。
「あの……分かってくれましたか……?
大自然の象徴たる大空へと現実逃避したくなっていた僕とは対照的に、スカートを震える手でぎゅっと握りしめ、遂には耳まで赤くして、潤んだ瞳をひたとこちらへ向けていた桜井さんが、耐え切れない、といった様子で確認してきた。
今にも泣き出しそうなほど緊張している彼女に、僕は全力で作り笑顔を浮かべて言ってあげる。
「うん、理解したよ」
「そうですか! よかったぁ……」
精一杯の強がりに、満面の笑みで安堵の息を零す桜井さん。
――ちょっと泣きそうだ。
嫌いだと理解してもらえて喜ばれるなど、彼女の里見修樹嫌悪レベルがどれほどの領域へと至っているのか恐ろしくなる。確認するのも怖いほどだ。
構図だけを見れば、僕が告白してあっけなく振られてしまったような有様の中、落ち着かないのか、彼女の大きな黒目が地面と僕を忙しなく行き来している。
黙って見守ること数秒。照れ笑いを浮かべた桜井さんが一言。
「あっ……そ、それじゃあ、私、先に帰りますね!」
「ああ、うん。そうしてくれると助かるかな」
一緒に帰るという選択肢はあり得ないのだから、桜井さんが先にお暇してくれるのは本当にありがたい。
「じゃあ、里見くん、また明日です!」
無邪気な笑顔を浮かべ、桜井さんは小さく手を振って、パタパタと心地いい足音を響かせて屋上を後にした。
「ふぅ……」
一人残された僕は、振り返していた手を下ろし、隠すことなく溜息を一つ。
「僕は一体、何をやらかしたんだ……?」
深淵なる疑問は、グラウンドから聞こえる騒音と混じり合い――儚く消えた。
当然、誰も答えてくれることはなかった。
こうして、僕の人生初の告白イベントは終了した。




