廃人市街怪奇譚(ゴミムシティかいきたん)【読了13分】
どうも初めまして。牛乳大好きです。この小説は僕が文芸部に入部して最初の文化祭のために書いたやつです(累計二作目)。今よりも稚拙な文ですが、そこそこ高評価だったので掲載します。
【少女自宅】
少女は目を覚ますと自分が虫以下になっていることを発見した。別段容姿が変わったなどということも、馬鹿になってしまったということもないのだが、少女は自分がひどく矮小で劣悪な存在に感じられてならなかったのである。枕元の目覚まし時計は午前八時を指していた。遅刻である。元々学校なんてものは好きでも何でもないが、高い授業料を払ってもらっているからには行かなければならない。少女は学校指定の白いブレザーをクローゼットから取り出すと、寝巻きをだるそうに体から剥ぎ取り、ゆっくりと時間をかけて制服に着替えた。どうせ遅刻である。今更急ぐ必要もないだろう。
いつもなら台所にいるはずの母親がいなかった。少女は不思議に思ったが、食卓に朝食が用意してあったので、ごみを出しにちょっとそこまで出かけているだけだろう、と結論付けた。そして誰もいない家に、
「行ってきます。」
と言って学校へ行くことにした。
【廃人通路】
「どうなってるの?」
今は朝の八時ではなかったのだろうか。玄関を開けるとそこは夜の街だった。真っ黒な空に赤い月が浮かび、街灯のはかなげな弱い光に吸い込まれるように羽虫が飛んでいた。少女は一回深呼吸すると、携帯電話で時刻を確認した。『AM8:15』どうやら目覚まし時計が狂っていたというわけではなさそうだ。学校どころではない気もするが、このままここに突っ立っているというわけにもいかない。どうせもう着替えてしまったのだし、夜の街をぶらぶらと散歩するのも悪くない。とりあえず少女は駅へ向かうことにした。
【廃人鉄道】
駅に着てみたはいいものの、少女はこの街がいつもと少し違っていたことが気にかかった。道路標識、信号機、民家。うまく言葉で表せないが何かが違っている。ここにくるまでの道も何かおかしかった。その何か、がいったい何なのか、少女には分からなかった。
『まもなく十三番線に列車が参ります。危ないですから黄色い線の内側に……』
えらくタイミングよく電車が来てくれた。これはもしかしたらものすごく運がいいのかもしれない。うまくいけば一限には間に合うかも……。少女はそう思いながら電車へ乗った。
『まもなく○○〜、○○〜、お出口は左側です。』
「あれ?」
確かこの次は『××学園』だったはずなのに。おかしい。家から駅までの道といい、さっきまでの停車駅といい、いつもと違う。普通じゃない。少女はこの異常な世界に気がつくのが少し遅すぎたのかもしれない。
【廃人長屋】
ようこそ○○市へ。そんな看板が駅を出た瞬間に少女を出迎えた。聞いたことのない地名である。見たことのない場所である。少女はいままでのように名前が変わっているだけで、この場所はあくまでも『××学園前』だと思っていた。しかし、駅から出てみるとまったく見たことのない街が広がっていた。
少女はしばらく途方にくれていたが、やがて何を思い立ったのか、一軒のアパートの前で立ち止まり、表札のかかっていない部屋のチャイムを鳴らした。やがてしばらくすると、ぽっちゃりとした男がドアを開けて、体を半分こちらに乗り出した。
「どちら様?」
「私は少女といいます。」
「少女さん……ですか。何の御用ですか?」
「ここがいったいどこなのか教えていただきませんか?」
「ここですか?ここは廃人市街です。」
「ごみむ……してぃ?」
聞いたことがある、ないの問題ではなかった。
自分が住んでいた世界にはそんな腐った名前の街は絶対にない。やはり自分は別の世界に来てしまったのだと、少女は失望した。そもそも、初対面の身元も知れない男に言われたことを馬鹿正直に受け止めてしまうあたり、少女もかなり滅入っていたのだろう。
「ここはどんな場所ですか? 例えば・・・・・・名所とかはありますか?」
少女は、どうやって元の世界に戻ろうかとか、これからどうしようかとか、ありきたりな考えを頭から追い出してしまっていた。とりあえずはこの世界で楽しもう、生きていこうと心に決めたのである。なぜそんなに簡単に元の世界に戻ることを諦めてしまえるのか、そんなことは少女自身が知りたいくらいであった。
「名所? そんなものあるはずがないよ。こんなところにくるのは僕たちみたいな虫以下の人間だけだもの。」
「あなたはここで何をしているのですか?」
少女はこの男が何者であるのか知っておきたいと思った。
「僕? 僕はインターネットでミュージシャンをしているんだ。」
そういうと男は一度部屋の中に引き返すと、すぐに玄関先まで戻ってきた。手にはノートパソコンを持っていた。
「これが僕の公式サイトなんだ。で、これが僕の似顔絵ね。」
男は手馴れた手つきでウェブページを立ち上げると、イラストの描かれたページを開いた。男が指差した似顔絵は、お世辞にも男に似ているとは言える代物ではなかった。
「毛ほどにも似ていないですね。」
「まあね……ファンの女の子に描いてもらったんだ。まあ、それが本当に女の子かどうかも分からないんだけどね。」
インターネットというものは実に恐ろしいものである。顔も名前も性別も知らない誰かと、いとも簡単に繋がることができてしまう。この男はまさにその代表のような存在だ。
「どうして、ミュージシャンになろうと思ったんですか?」
少女はその男がどんな人間か見極めようと思った。
「女の子にもてたいからさ。ちやほやされたいからさ。」
最低だった。
「音楽なんて本当はどうでもいいんだ。でも若い女の子たちは音楽が好きだ。そしてその作り手に勝手にあこがれてどんな人間か、勝手に想像して創りあげるのさ。だから僕は必死に音楽の勉強をしたんだ。そうしたらここに行き着いた。この街に来てしまったんだよ。この街からでもインターネットに繋ぐことはできるんだ。でもその繋がった先は元の世界なんだよ。この街の人間は誰一人いない。だからインターネットの向こう側にいるファンの女の子と会うこともできないんだ。これは罰なんだよ。」
少女は男の長い話を適当に聞き流した。この人間も、やはり自分と同じで虫以下であった。少女はもっと虫以下の人間を見てみたいと思った。思わなくてもこの街はそんな人間しかいないのだというのだから好都合だ。どうせここから出られないのなら、この街を楽しむのが正しい生き方だ。少女はそう思った。そして男に別れを告げると見知らぬ街へ、どこへ行くというあてもなくふらふらと歩き出した。
【廃人食堂】
駅のほうまで戻ってみると、さっきまで気づかなかったが、定食屋があった。少女は、財布の中身を確認して、それから携帯電話を開くと現在の時刻を確認した。『AM11:45』歩き通しでお腹も減ったし、そろそろ昼を食べてもいいころだろうと思い、少女は定食屋ののれんをくぐった。
店内には味わうどころか咀嚼するのもはばかられるようなメニューを食べている客が数人、普通の定食を食べている客が一人いた。
「このメニューは何ですか?」
少女は店主に訊ねた。
「ああ、それは廃人用の定食だよ。とてもまずいって評判なんだ。」
店主は調理場から、こちらに背中を向けたまま、答えた。
「廃人用・・・・・・ですか。それではこれは?」
「それは、新入り用だよ。見たところ、あんたもここに来て間もないようだ。すぐに出来るから待っていてくれ。」
少女はテーブル席を一望して、まばらではあるが客がいることを確認すると、カウンター席のもう一人の新入りらしい少年の隣に座った。
「あなたはどうしてこの街に来たの?」
少女は料理ができるまでの間に、この少年が、いったいどんな人間なのか確かめたいと思った。
「俺か? 俺は人を殺したんだ・・・・・・。」
少年は土砂降りの雨に降られた捨て犬のように、弱弱しく答えた。
「それは最低だね。何人殺したの?」
少女はこの少年がそんじょそこらの殺人犯とは違うことなどはなから分かっていた。ただの殺人犯なら、元の世界で罪を裁かれて、一生をかけて罪を償うか、その命をもって償うかでこと足りる。それがこの街に来てしまったのだから、どれほどすごいのだろう、と少女はわくわくしていた。
「三十五人。」
あっさりと、一瞬で少年は答えた。『殺した人数』を覚えていたわけではないだろう。
「クラスメイト?」
「はい。」
そうだろう。この街に居るということは、よほど人格が破綻しているということなのだろう。狂っているのだ。
「どうして? クラスメイトだったんでしょ?」
少女は自分の顔がにやけてしまっているのを必死に隠しながら、嘲るような声で、少年に問うた。
「おいしそうだったから。」
「う。」
思わず声が出てしまった。ここまで狂っているとは思わなかった。いくら殺人犯とはいえ、少年である。少女はどうせくだらない理由だろうと高をくくっていた。しかし少女の予想に反して少年の殺意の理由は笑えないものだった。
「おいしそうだったから・・・・・・って食べたの?」
少女は動揺を隠せなかった。語尾が上がり、情けない声を上げてしまった。
「食べたよ。すごくおいしかった。肉がね、口の中で弾けるんだ。きっと水分が多いからなんだろうね。」
考えただけでもぞっとする。少女はこんな話を聞いた後に定食なんて食べられる気がしなかった。
「だからさ、この定食、なんか物足りないんだよね。よく見たら君、おいしそうだよね――-」
少女は少年の言葉を最後まで聞く前に定食屋から逃げ出していた。
【廃人図書館】
狂っている。少女は駅まで引き返し、トイレの個室に入ると何も入っていない胃袋から無理やり何かを吐き出そうと、喉に指を突っ込んだ。
「うぅ・・・・・・。」
さっきの少年の薄気味悪い笑顔が脳裏から離れない。いったい私が何をしたというのだ、私はなぜこんな狂った人間たちと同じ空間に放り込まれたのだ、少女はだんだん自分がこの街にいることの理由を知りたいと思った。
駅には人一人おらず、電子掲示板の表示も消えている。駅員も居らず、改札は閉じたまま開くことはない。少女は本当にこの場所に閉じ込められたのだ。
「そこのお嬢さん。」
後ろのほうからしゃがれた声が聞こえた。少女が振り向くと、そこには見覚えのない老人が立っていた。この街に見覚えのある人間などいるはずがないのだが、この街の人間から声をかけられたことも今の今までなかったのである。驚くのも無理はない。
「お嬢さん、自分がなぜここに居るのか知りたそうな顔ですね。」
老人はすべてを悟ったような顔をして、焦点の定まらない、大きな瞳で少女を見つめた。気持ち悪い、少女は老人に対して生理的な嫌悪感を覚えた。しかし、老人はそんな少女を気にもとめずに少女に、告げた。
「あそこに大きな建物があるだろう。あれは図書館だ。この街の全部がそこにある。一人一人のこの街に来た理由が、一人一冊の本になって、その理由を知らない誰かのために、書き留めてある。誰がそんな場所を作ったのか、誰がそんな本を書いたのか、誰も知らない。」
少女は歩いていた。勿論、あの大きな図書館へ向かってである。この街で一番大きい建物に向かって、少女はゆっくりと歩いていた。
「新入りか。図書館に行くんだろ? 案内してやろうか?」
気づいたときには目の前に、さっきの少年が立っていた。
「う。」
少女は逃げようと、反対側に向かって駆け出そうとした。が、その前に少年に手首を強くつかまれてしまった。
「放せ!」
「別にとって食おうってわけじゃないんだ。さっきはごめん。」
食人鬼を信じろというのも無理な話だ。だが少女は不思議と落ち着いていた。
「で、どうしたいの?」
「俺も一緒に図書館に行かせて欲しい。」
「どうして?」
この少年はすでに自分がこの街に来た理由を知っている。なのになぜ図書館に行こうというのだろうか。
「どうして・・・・・・って、そうだな。俺がやったことが本当に虫以下だったのか知りたいんだ。どこら辺が、どんな風に、虫以下だったのか。」
狂っていると思った。クラスメイトを殺して、それを食べて、自分は本当に虫以下なのか?サイコパスもいいところだ。
「お前、狂ってるよ。人を殺すのは悪いことだ。それを食べるのなんて言語道断だ。虫以下だろう。」
「でも・・・・・・。」
でも? でも、何だっていうのだ。そんなこと明らかじゃないか。この少年は虫以下だ。それどころか虫以下な私以下だ。矮小で劣悪で冷酷で残忍だ。少女は思った。
「でも、スズメバチだって人を殺すよ?」
「スズメバチは人間を食べない。」
「でも、殺す。」
「ハエだって死体を食べるよ。」
「ハエは人を殺さない。」
「でも、食べる。」
少年の主張は筋の通っていないただの屁理屈だったが、この数時間で精神がすり減っている少女を論破するくらいのことは簡単であった。
「分かったわ。連れて行けばいいんでしょう。」
少女はいやいやだが少年と一緒に図書館に行くことにした。もし頑なに断り続ければ何をされるか分からない。とりあえずは襲ってこないようだし、一緒に行くくらいならいいか、と思えてきた。冷静になってみればハチは自分の身を守るために人を殺すのであって、食べるために殺すのではない。ハエだって自分の好物の腐った肉があるから食べるだけであって、人間が好物で好き好んで食べているわけではない。ただの屁理屈ではないか。少女がそれに気づいたときには、図書館はもう、目の前まで迫っていた。
ここに来るまでの道のりで人と出会うことがなかったのは、おそらくこの街の住人があまり外に出たがらないからなのだろう。図書館の本の量は並大抵ではなく、そこから自分の名前を探すのは至難の技と呼べるであろう。少女はとりあえず、この本というのがどのような構成になっているのか一番手ごろな棚の手ごろな本を手に取った。本はハードカバーで背表紙に金色のアルファベットが筆記体で記されていた。人の名前である。中を開くと、どうやら保存状態が悪いらしく、どのページも紙魚だらけで黄ばんでいた。本にはおおよそ次のようなことが書いてあった。
●氏名 丸山 内広
●罪状 結婚詐欺
●虫 ハリガネムシ以下
そして残りのページはすべて空白だった。二百ページほどの一冊の本に内容量がこれだけである。大方、くだらない人間だ、というこでも表現したいのだろう。広大な本の森から自分の名前を見つけ出す、という途方もない作業は、翌朝まで続いた。十二時間労働である。
何人かの本を試しに読んだが、『虫』という項目が気になった。例えば窃盗なら寄生虫、殺人なら毒虫などと、どうやら罪状に見合った虫があてられているようだった。しかし、少年は――クラスメイト全員を殺して、食べてしまった彼は――少し、違った。
●氏名 池垣 治
●罪状 なし
●虫 ゴミムシ
「嘘・・・・・・。」
少女はひどく混乱した。少年は、『殺人者』であっても、この街では罪はなく、そして少年は、ゴミムシと形容される。死肉を食らう虫にして、この街の象徴といっても過言ではないであろう虫。いわばこの街の長である。
「ほらね、やっぱり。人間を殺して食べても、いいんじゃあないか。僕は虫以下じゃあない。この街で唯一無二の虫なんだ。虫以下じゃない。虫なんだ。確かにあの日、僕はクラスメイトを全員殺した。でもそれは事故なんだ。」
少女は何も言うことができなかった。
「僕は知らなかったんだよ。あのガラス瓶に何が入っていたのか。今も知らない。あれは一体なんだったの?」
少女は動くことができなかった。
「それを割っちゃったら学校が燃えちゃってさ。消防車が来たときにはもう、みんなすっかり焼けちゃった後だったんだよ。」
少女は泣くことしか出来なかった。
「それでさ。僕は一心不乱に理科室のあたりを探したんだ。見つけたときはすっかり日も落ちてて、お腹が減ってたんだ。だから食べちゃったんだよ。クラスメイトの焼肉。臭かったけど、とってもおいしかった。僕の中にみんなが入ってきてくれてるみたいで嬉しかったんだよぉ!」
少年は床に伏せて泣き出した。少年は結果的に三十五人殺して、三十五人食べた。しかし、それはここにいる少女よりは幾分かましな理由だった。
●氏名 少女
●罪状 人食
●虫 ハエ以下
少女は右手に赤いハードカバーの本を握り締めたまま呆然と立っていることしか出来なかった。
あぁ、あのテーブルの上の・・・・・・おかあさんだったんだ。お腹がすいてて気づかなかったや。
「お母さん、おいしかったよ。ご馳走様。」
少女はもう、にやけた顔を隠そうとはしなかった。




