迷宮は笛を鳴らして人を呼ぶ・前編
依頼を受けたその夜、俺は居間に全員を集めた。
集めずとも、自然にそうなっていたはずだが、大事な話があるという意味合いも兼ねてそうする事にした。
カレン、サラ、ノエルは真面目な顔で、俺に視線を注いでいる。
「皆さんお察しの通り、大事な話があります」
俺は前置きをしてから、簡潔に依頼内容を話した。
重要なのは依頼が危険だという事ではなく、俺がしばらく家を開けなければいけないというところにある。
俺もこれまでは何度か遠征をしてきたが、その時は三人を連れて行った。
カレンは意外にも頑固で俺と離れたがらないから、仕方なく連れて行っていたのだが、今回ばかりはそうはいかない。
まず、目的地がはっきりとしていない。
依頼人であるアデーレはどこにその迷宮があるのかを教えてはくれなかった。
危険なのか安全なのかを把握できていない以上、連れて行くわけにはいかない。
次に、迷宮探索はそれなりの時間を要する。
長くて数ヶ月は帰れないだろう。
そんなに長い間家を空にするわけにはいかないのだ。
ちなみに、出発は明朝にする。
カレンは苦い表情をするが、それでも、頷いてくれた。
ノエルもサラも、留守番に対して文句はないようだ。
「お兄ちゃんがいない間の依頼はどうすればいいの?」
サラが尤もな質問を尋ねてきた。
いつもの遠征なら家には誰にもいないから、依頼を受けないのは当たり前だが、今回はサラ達が家に残るので依頼は受けたほうがいいのかという事だろう。
「訪問者の場合は帰るように伝えてくれ。依頼状は保存しておけばいい。他に質問は?」
確認するが、誰も声を上げないので、会議はこれで終わりだ。
夕飯も食べたので、後は風呂に入るだけである。
俺の家には、風呂が二つある。
一つは庭に、露天風呂を作った。
もう一つは一階の流し場だ。
浴槽なんて物は売っていなかったので、家具職人の『店長』に頼んだ。
店長の家具屋には常連となってしまっている。
おかげで、割引してくれる事も多々あるが。
格安値段で買った浴槽は、人が十人は優に入れそうな程に大きい物だ。
風呂は焚いているわけではなく、俺が魔術で熱湯を浴槽にためるだけ。
毎回温度調整をするのは面倒なので、熱湯の魔術には『風呂水』と名づけた。
ノエルとサラ、そしてカレンが上がるのを待ち、俺は居間で一人、氷人形をつくる。
普通、人形といえば、土魔術を使うべきなのだろうが、魔術の師匠であるアルフの専門が氷魔術であった為、俺もそれに影響されてしまい、氷魔術を使った方が造形しやすい。
俺がカレン人形を作り終えた頃、三人が二階に上がってきた。
風呂あがりの少女たちが、俺のデザートだ。
見るだけで満腹である。
俺はカレン人形をテーブルの上に置き、一階へ下りた。
体を洗った後、湯船に浸かる。
「あぁ~」
自分の気の抜けた声が風呂場に響く。
「俺は残り湯を飲むほどの変態ではない」
何となく、ひとりごとを呟いた。
その時、浴場の扉が開かれた。
布で前を隠しながら、無言で湯船に入って来たのはカレンだ。
さっき入ったばかりだというのに、一体どうしたのだろう。
「どうした?」
「……なんでもない」
「そっか。何でもないか」
「ん……」
カレンは短く返事をすると、俺の右隣に並んだ。
頭を俺の肩に乗せ、目を瞑る。
「シャル……」
「ん?」
「……ありがとう」
「何が?」
「いろいろ……」
何が言いたいのかは分からないが、こうしていると思い出す。
カレンを引き取ったその日も、俺の作った露天風呂に一緒に入ったっけ。
あの頃に比べて、カレンの体は成長した。
カレンだけでなく、俺の――シャルルの体もだ。
十五歳の体だが、中身はオッサンである。
何故だか募る罪悪感。
「シャル……約束、やぶらないでね……?」
「大丈夫だよ。すぐ戻るから」
カレンの言う約束というのは、カレンを引き取った日に交わした『カレンが離れたいと思うその日まで、ずっと側にいる』という物だ。
亡くなったカレンの母さん、マリアとも交わした約束……『カレンを守り続ける』というのも、守らなくてはいけないし。
俺の中ではただの口約束ではなく、誓いに似たものだ。
その後も俺達は会話をする事なく、満足するまで風呂に浸かった。
明朝。俺が目を覚ますと、三人は既に起き上がっていた。
食卓には朝飯が用意され、モーニングコーヒーが湯気を立ち上らせている。
基本的に、朝食はサラとカレンが作っている。
「おはよう」
俺が挨拶をすると、それぞれが挨拶を返してくれた。
いつも通りの朝。いつも通りの風景。いつも通りの挨拶。
いつも通りが一番幸せに感じられる。
「いただきます」
俺は朝食のパンを齧り、コーヒーを啜る。
静かで、平和な朝である。
独りではなくなった今、余計な刺激を求める事はしない。
ワイバーンが襲ってこねえかな、などという期待はしたくないのだ。
朝食を食べ終え、俺はいつもの外着……フード付きの外套、黒い薄布の手袋、緩いパンツ、革のブーツ、そして首巻きを着用し、武器を装備していく。
腰と背中には愛剣を差し、腿とブーツ、その他いろんなところにナイフを仕込む。
「じゃあ、行ってきます」
「気を付けて……」
「――行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃい、お兄ちゃん」
しおらしい挨拶などは省き、いつも通りに別れを告げた。
俺は踵を返し、外に出た。
朝の冷たい風が吹き抜け、気分は爽快。体調は良好。
朝飯も食べたし、コーヒーも飲んだ。
完璧なコンディションだ。
「よし」
俺は王都の出口門へ向かって、歩を進めた。
出口の近くにある馬屋で馬を借り、手綱を引いて王国を出る。
騎乗して、久しぶりの感覚に多少の不安を覚えながらも、馬を歩かせた。
俺はそのまま街道に添って北へと向かった。
――――――
北に進み続け二週間後の昼ごろ、俺はタートという街に辿り着いた。
門番に迷宮があるか尋ねると、もちろんと自慢気に返された。
どうやら、俺は目的地に着いたらしい。
一安心した俺は、馬屋に馬を預け、宿を探しに行く。
とりあえず、一番近くにあった宿屋に入った。
「宿主、タートって迷宮はどこですか?」
「街の最北部にある」
「ありがとうございます」
俺は礼を言って、宿を出た。
泊まるなら、迷宮に近い宿やがいい。
探索を再開する度に長い道を歩くのも嫌だからな。
俺は欠伸をしながら北に進み、一つの建物を発見した。
石造りで、そこまで大きくはない。コンビニ店サイズだ。
地下に下りて行くタイプの物なのだろう。
人の出入りは多く、怪我をした者が地面に血痕を残していった。
ここが、迷宮タートか。
とりあえず、俺はこの近くで宿を取る事にした。
だが、どの宿も満室。俺と同じ考えを持つ奴が多いのは、当たり前のことである。
仕方なく、少し離れた位置にあった宿に泊まる事にした。
ここも一部屋しか空いていなかったらしく、俺が最後の客となる。
俺は代金を払って、部屋の鍵を受け取った。
部屋に入った俺は、荷物を置き、休む事もせずに部屋を出た。
施錠を確認し、そのまま迷宮へと向かう。
事前情報収集は必要ないと判断した。
迷宮に入ろうとした時、門番に引き止められる。
冒険者でないと入れないらしいので、俺は手首にある冒険者の印を見せ、許可を得てから中に入った。
迷宮内は薄暗く、空気が乾燥していた。
土臭かったり、血なまぐさかったりするのではないかと思ったが、意外にも無臭。
ファ○リーズを使っているわけではなさそうだがな……。
俺は火魔術で視界を照らしながら奥へと進んだ。
多くの分かれ道に、多くの行き止まり。
頭の中で地図を描いていきながら、次の階層へ行く道を探し出していく。
それを繰り返し、地下二階に辿り着く。
ここで初めて、俺は魔物と遭遇した。
首の無い歩く鎧。手には大剣を握っている。
俺と奴との距離は十数メートル。
雑魚であれば、この距離では気配の察知すら出来ず、俺に狙撃されるのだが、奴は俺の存在に気づき、こちらに向かって歩いてきた。
俺は待ち伏せる事をせずに、奴の前に立ちはだかる。
獲物を見つけた奴は、俺との間合いを詰めると、剣を振り下ろした。
俺は余裕を持って躱し、魔物の腹に触れる。
そうして俺は『氷結』と念じた。
魔物は一瞬にして氷の彫刻となり、一瞬にして、氷の砂となる。
俺は粉々になった魔物を火魔術で溶かし、歩を進めた。
その後も多くの魔物に遭遇するも、適当に始末して、地下五階まで辿り着いた。
進むに連れて魔物が強くなっていた気がしたが、どれも一撃で倒していたので良く分からない。
そしてこの地下五階からは迷宮の見た目ががらりと変わる。
薄暗かった洞窟内は炎で照らされ、見やすくはなったものの、温度が一気に上がった。
俺は首巻きを外し、内ポケットにしまう。
酸素切れが無いか不安だが、どこからか空気が入ってこれる大穴でもあるのかもしれない。
まあ、無かったとしても、風魔術で空気でも作ってやればいいだけの話だが。
いらぬ心配をしながら探索を続け、首なし騎士と遭遇した。
いつもの様に体に触れて凍らせようとするが、触れる直前で俺は手を引っ込める。
危ない。あのまま触っていたら、やけどしていたかもしれない。
鎧は鉄で、この階層の温度は高い。
手袋をしているとはいえ、蒸された鉄に触れるものではないだろう。
となると、氷魔術は使えなくなってくる。
土魔術を使うしかないか。
俺は地面を伝い、俺と奴とを魔力の糸で繋ぐ。
俺が『土だるま』と念ると、首なし騎士の体は土に覆われていき、名前通り、だるまの様な形になった。
だるまとなった首なし騎士は、土の外装によってスクラップになる。
編み出してみたはいい物の、使う機会があまりなかった技だ。
それにしても、雑魚が相手ではつまらないな。
このままでは、最深部まで簡単に着いてしまうんじゃないだろうか。
……いや、油断は禁物。今まで偶然踏んでこなかっただけで、トラップがあるかもしれないのだから、気を付けなければ。
そう自分に言い聞かせ、一歩を踏み出した時、足元がへこむ感覚が伝わる。
俺は咄嗟に後退したが、俺の反応は正解だった。
壁からは、十本程の槍が突き出ていたのだ。
あのまま反応できずにいたらと思うと、背筋が凍る。
「き、気をつけよ……」
この迷宮において、というよりも、魔物が相手にならない俺にとっての一番の敵は、『油断』と『罠』だ。
これからは足元にも気を付けて進まなくてはな。
と、ここで、俺の腹が空腹を知らせた。
探索に夢中で気付かなかったが、俺は長い間ここにいたんじゃなかろうか?
そもそも、地下五階まで来ているという事は、かなりの道を進んできた事になる。
先がどのくらい続くのか検討もつかないので、俺は一度引き返す事にした。
脳内マップを辿って、入り口に戻ってくる。
俺が迷宮から出た時、辺りには薄暗くなっていた。
「なんだ、まだ夕方か……」
そう呟き、宿屋へと戻った。
受付を通り過ぎた時、宿主と目が合う。
「お前、こんな早くから探索行ってたのか?」
「え? 早くって、もう夕方……」
「何言ってんだ? まだ朝早い時間だぞ」
「……あぁ」
どうやら俺は、昼から次の日の朝まで迷宮に篭っていたようだ。
なんというか、自分に呆れた。
夢中になりすぎというレベルの話ではない。
それまで良く腹が鳴らなかったものだ。
いや、というより、集中しすぎていたのだろう。
最後の油断は集中力の低下から来たものだと信じたい。
だからといって、今後油断するわけではないが。
「……えっと、じゃあ、おやすみなさい」
「え、寝るのか?」
「はい。寝てないもんで」
俺は軽く会釈をしてから、自分の部屋へと戻った。
靴を脱ぎ、服を替え、軽く水浴びをしてから髪を乾かし、ベッドに倒れこむ。
直後、俺は睡魔に意識を刈り取られてしまい、翌日の夕方まで眠る事となってしまった。




