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俺の愛した異世界で  作者: 八乃木 忍
第六章『家族』
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鬼の涙・後編

翌朝、トレーニングを済ませ、朝食を摂った後に購入した家へと足を運んだ。

ただし、手ぶらではない。箒、雑巾、バケツを所持している。

空いている手で鍵を開けて、中へと入る。


「よし、じゃあ、掃除するぞ」


ハウスダストの飛び交う小汚い家なので、家具が運ばれる前に掃除を終わらせてしまいたいのだ。


「ん……」

「――分かりました」

「……」


サラは返事なし。まあ、別に手伝うことを強要することはしない。

したくないのなら、座って待っていればいいだけだし。


「んー、俺は二階をやるから、カレンとノエルで三階をやってくれ」

「――了解いたしました」

「わかった……」


返事をしたノエルとカレンは、すぐに階段を上がっていった。

カレンだけでなく、ノエルまではしゃいでいる様に見えるのは、気のせいだろうか。

まあ、楽しんでいるのなら、俺としても嬉しい限りだが。


さて、俺は掃除を始めなくてはならない。

二階には食堂と調理場と居間がある。

掃除機が無いので、雑巾がけをしなくてはならない。

面倒で仕方ないが、雑巾がけは得意分野だ。


前世でいじめられていた俺は、掃除はほとんど俺一人に押し付けられていた。

雑巾、箒、黒板消し、窓ふきのエキスパートと呼ばれてもいいほどの数をこなしてきた。

それらを強要され、拒否をすれば殴られていたからだ。

理由としては自慢できる物ではないが、結果だけを見れば自慢してもいい物だろう。

まさかこんな所でいじめられた事が役に立つとは思わなかったな。


過去の嫌な記憶を思い出しながら、バケツに水をいれ、雑巾を濡らして絞る。

無心で床を拭き続け、いつの間にか二階の床を全て拭き終えていた。

新しい雑巾を出し、調理場のカウンターにコンロやオーブンの掃除を済ませたが、カレン達はまだ終わっていないらしい。

その間に、俺は一階のロビーの掃除を終わらせる。

箒をかけ、雑巾で拭く。扉や窓もしっかりと拭き、一息ついた所で、扉がノックされる。

俺はすぐに扉を開け、来訪者を中へと招く。


「どうも、店長」

「持ってきやしたぜ」


店長は親指で後ろにある手押し車を指した。

手押し車の上には注文した家具の一部が乗っている。


「あと数回往復して、仕事は完了でやす」

「いくら払えばいいですか?」

「無事に終わるかわかりやせんぜ?」

「先に知っておきたいので」

「わかりやした……えぇと、銀貨十四枚でやすね。送料は無料にしときやす」


椅子を六、食卓を一、机を二、寝台を二、戸棚を二、全部で一万四千円。

質も良いのに、こんなに安くて良いのだろうか。


「送料は基本いくらなんですか?」

「距離によりやすけど、最低でも銀貨五枚でやすね」

「なるほど」

「ほいじゃ、家ん中に運びやすんで」

「僕も手伝います」

「お客さんは座っててくだせえ」

「いえいえ、早く終わったほうがいいですから」

「……負けてくれとか言わないでくだせえよ?」

「言いませんよ」


俺は手押し車に乗っている戸棚を担ぎ上げ、家の中へと運ぶ。


「部屋まで運びやすか?」

「いえ、玄関まででいいです」

「そうでやすか。お客さんも力持ちでやすね」

「いえいえ、それほどでも」


俺よりも力持ちなのがいるしな。

俺と店長は世間話をしながら、テンポよく家具を運び終える。

店長が店に家具を取りに行き、戻ってくるのを繰り返し、三時頃に全ての家具がロビーに置かれる。


「予定よりも早く終わりやした。お客さんのおかげでやす」

「いえいえ。それと、僕のことはシャルルでいいですよ」

「分かりやした、シャルルさん」

「では、代金です」


俺は袋から金貨二枚を取り出し、店長に渡した。


「お釣りは大丈夫ですよ。心づけです」

「ありあとやした! またお越しくだせえ!」

「はい。お疲れ様でした」


代金を受け取った店長は手押し車を押して店へと帰っていった。

さて、後はロビーに置かれた家具を部屋に置くだけだ。


「ノエル、手伝ってくれ」


仕事を終えて下に下りてきていたノエルに声をかけた。


「――了解いたしました。どちらまでお運びいたしましょう?」

「付いて来たまえ」


俺は戸棚を担ぎ、ノエルが寝台を軽々しく持ち上げ、階段をのぼっていく。

俺の部屋は四階の一番広い角部屋だ。

ノエルに指示をだしながら、寝台と戸棚、机と椅子を俺の部屋に運んだ。

同じセットを隣の部屋に運び、食卓と椅子四つは食堂に置いた。

家具の配置も完了し、寝る事もできるし、服の収納も出来るようになった。

家で食事が出来るようには……まだなっていなかったな。

フライパンや冷蔵庫も必要だ。


次に向かうべきは、雑貨店か。

ダ◯ソーが近くにあれば、色々と便利なんだがなぁ。


「それじゃあ、俺は出かけてくるから、皆は家具を綺麗にしておいてくれ」

「ん……私も、行きます……」

「留守番を頼みたいんだけど……」

「……行きます」

「……」

「……」


しばらく沈黙が続き、遂にカレンが動き出す。

俺の体に腕を回し、胸に顔をうずめた。

そして、上目遣いでカレンが言う。


「だめ……?」

「いや、駄目とは言ってないよ! むしろ全然オッケー! うん、一緒に来るといい!」


全く! カレンさんはいつこんな事を覚えたのかしら!?

これで私が断れるわけないじゃないですか!


「さあ、行こう、カレン! 一緒にお出かけだ!」

「……しゃる……私以外に、騙されないで、ください……ね?」

「はい、ごめんなさい」



――――――



夕刻、日用品の購入を済ませた後は、皆で外食をした後に、家へと戻った。

さて、ここに来て気付いたのだが、ベッドが二つしかない。

これはつまり、二人一組になって寝なければならないという事だ。


「カレンは誰と寝たい?」

「しゃる」

「さいですか」


即答されてしまったので、ノエルとサラが一緒に寝る形になったが、大丈夫だろうか。

ノエルはこちらから話しかけないと何も言わないし、サラは不景気な状態だ。

部屋の雰囲気は暗くなるに違いない。

明かりはちゃんと購入したので、視覚的には問題ないが。


「よし、じゃあ、今日はもう寝よう。おやすみ」

「――おやすみなさいませ、ご主人様」

「ノエル……おやすみ……」

「――はい。おやすみなさいませ、カレン様」


うむ。よきかなよきかな。

ノエルとカレンの仲良し度は少しずつ上がっているようだ。

カレンがサラを視界に入れないようにしているのは、俺がそうしているからだろう。

サラには少し、厳しい事をさせているかもしれない。

だが、サラの落ち込み度までくると、慰める手はない。

追い込まれた人間は、自分で這い上がる意外に道がないのだ。

俺達の手は、サラには届かないのだから。


「ノエル、頼んだぞ」


小声でノエルにサラの事をお願いし、俺達は眠りへとついた。




しかし、眠ったはずの俺は、白い世界へと飛ばされた。


「やあ、お兄さん」

「シャルル君、今俺寝てるんだけど」

「ごめんね。でも、退屈なんだ」


シャルルは退屈になる度に俺を呼び出して、話し相手にさせる。

まあ、俺はシャルルと会話するのは嫌いではないから良いのだが。


「つい最近、魔術師やレイピア使いと戦ったばかりだろ」

「う~ん、でも、どちらもあっさりと終わって……僕はこう、緊張するような、すごい戦いがしたいんだ」

「戦うのは俺だけどな」

「ああ、視界が共有されるからすっかり忘れてた」

「まあ、でも、そうだなぁ……心配しなくても大丈夫だ。敵はそのうち現れる」

「どういう事?」


シャルルの表情は明るくなり、食いついてくる。


「勘でしかないが、俺はかなり大きな物――組織と戦っている気がする。というか、遊ばれていると言ってもいい」

「何故そう言えるの?」

「俺が昔路地裏で殺されそうになったのを覚えているか?」

「うん。魔眼を持っている男だよね」

「そうだ。これも勘だが、あいつと、スラムを襲った奴、それと転移の魔術師は、何か関連していると思う」

「何でそう思うの?」

「答え合わせはそのうちできるさ」


俺がそう言うと、意識が現実へと引き戻される。

いつの間にか朝になっていて、寝た気分がしないが、体は休まったようだ。


俺は洗面所で顔を洗い、シャルルとの会話を思い出す。

路地裏で俺を襲った奴、スラムを襲った奴、そして転移魔術師の関連性。

確定的な証拠があるわけではないが、あいつらには繋がりがあると見て間違いない。

俺の中では、考えがまとまっている。

まあ、だからといって、あいつらの本部を探し出し、襲うという事はしない。

今の俺ではあいつらには勝てないだろうから。


だから、俺は力がほしい。

あいつらは俺を弄んでいるだけだ。『今』は。

でも、いつ俺の家族に危害を加えるか分からない。

その時、守れるようでなければいけない。

カレンを失った時、俺はきっと立ち直れなくなる。

まあ、確信なんてものはなく、『きっと』でしかないのだが。


カレンはまだ眠っているようなので、俺は一人でトレーニングを始めることにした。

カレンの奴、昨日はしゃぎすぎたせいで、疲れたんだろう。

あのはしゃぎっぷり、おそらくだが、成人はしていない。

十代前半か後半か、そこまでは判別できないな。


そうだ。トレーニングの帰りに食材を買っておこう。

しばらくは自炊をして様子を見る。

もしかしたら、カレンも料理が出来るのかもしれない。




トレーニングを終え、家に帰ると、ノエルが扉の前にいた。


「おかえりなさいませ、ご主人様」


そう言って、ノエルが頭を下げる。

メイド喫茶なんて行ったことがないので分からないが、それなんかよりも素晴らしき物なのではなかろうか。

接客ではないのだから、当然か。

いや、接客だからこそ優れている場合もある。

……まあ、そこは俺に判断できるとこではないので、置いておこう。


「ただいま」


俺は笑顔で挨拶を返し、ノエルを引き連れ二階へと上がる。


「――ご主人様、そちらは?」


ノエルが俺の手に持つ袋に視線を送りながら尋ねた。


「食材。朝飯は俺が作ろうと思ってね」

「――料理なら自分も出来ますが」

「いや、久しぶりに料理がしたい気分だ」

「――ご主人様は料理も心得ているのですね」

「簡単な物を作れる程度だよ」


ノエルと会話を交わしながら、俺は食材をカウンターに並べた。

使用するものだけを選び、他は昨日購入した小型の貯蔵庫に入れる。

この貯蔵庫には後でドライアイスでも作って入れておこう。


さて、俺が選んだ食材は卵、ひき肉、トマト、玉ねぎ、そしてジャガイモだ。

卵をといで、塩と胡椒で味をつけたら、玉ねぎとトマトはみじん切りにし、ジャガイモは小さめに切る。

フライパンに油を注ぎ、ひき肉、玉ねぎ、トマトを炒め、ひき肉の色合いがよくなった頃に、一旦ボウルへと移す。

炒めた具の内の半分をフライパンへと戻し、といだ卵をかけ、蓋をしてしばらく待つ。

俺の好きな半熟になった頃に、蓋を外し、皿に移せば完成だ。

これはスペインらへんで作られているという料理らしく、簡単で美味だったので、前世でも良く作っていた。

ケチャップをかければ更に美味くなる。


「ノエル、カレンとサラを呼んできてくれ」

「――はい」


俺は皿を食卓に並べ、オーブンでパンを焼いておく。

パンが焼き終わった頃、カレンが食堂に顔を出す。

カレンに少し遅れてサラが来た。

サラは眠そうでもなければ、冴えているわけでもない。

普段の無表情とあまり変わらない。

まあ、とにかく、全員が揃ったところで、手を合わせる。


「いただきます」

「いただき、ます……」

「――いただきます」

「……」


サラは食べ物を前にしても、無言、無表情。

仕方がないといえば仕方がない。


サラの事は後でどうにかするとして、まずは目先の食べ物である。

ここの食材は前世にあった物と味が異なるから、同じ作り方だと味が変わるかもしれない。

調整も兼ねて、味見をする。


……んー、少し、塩っぱいかもしれない。

次に作る時は塩の量を減らしたほうが良さそうだ。


「……おいしい」

「え、ほんと?」

「ん……」

「ケチャップつけたらもっと美味いよ。今度つくってみる」

「けちゃっぷ、ですか……? 売ってない……?」

「売ってないよ。だから、作らないと」

「私も、手伝う……つくりたい、です……」

「良かろう」


会話をする俺とカレンだが、ノエルは黙々と食べ物を口に運んでいる。

サラは少し食べたところで、フォークを置いてしまった。

食欲がないのなら、それでいい。

食べるように強要する事はない。


「……サラ、ちゃんと――」

「いいんだ」


サラに食いつこうとしたカレンの声を遮る。


「……なんで、ですか?」

「放っておけ」

「……ん」


カレンは素直に頷き、食事を再開する。

サラは視線を落とし、落ち込んでいるようには見えるが、やはり無表情。

もうそろそろ、俺も傷ついてきた頃だなぁ。


「よし、この後はサラと俺とで依頼を受けに行く」


俺の言葉にも、サラは反応をしない。


「だから、カレンとノエルには留守番をお願いするよ」


そう言って、俺はカレンの頭を撫でる。

カレンは何かを察したのか「ん」とだけ言って、コップに口をつけた。


「サラ、着替えてこい」


命令はしっかりと聞くのか、サラは席を立って、部屋へと戻っていった。

俺も水を飲み干してから、部屋へと戻る。

トレーニング用の服から、外出用の服装に着替え、剣を二本装備する。

コートのフードをなおし、首巻きを浅めに巻いて、サラと一緒にギルドへ向かった。



――――――



今回、俺が受けた依頼は『山賊の討伐』だ。

数年前に結託した賊は全滅させられたが、その戦いに参加しなかった賊や、新たに出来た賊が、最近また活発に行動をするようになった。

サラと共に森を歩きまわって約一時間、俺はアジトらしき洞窟を発見する。

俺は作戦を考えるわけでもなく、正面からアジトへと侵入した。

もちろん、罠に襲われるが、全部氷らせてしまった。


「な、なんだてめぇ!」

「ガキが何しに来てんだ!」

「仕方ねえ、殺せ!」


俺を見つけた山賊共が大声で叫ぶ。

山賊は俺を包囲し、じわりじわりと歩み寄ってきた。


「はぁ……」


ダメダメ、全然駄目だ。

相手の能力もわからないのに、包囲する時点で駄目。

じわりじわりと恐怖を煽っているのかは知らないが、もたもたしているのも駄目。

その前に、ガキだと思って舐めてかかっているのも駄目だ。

このまま全方位に氷槍か、土の弾丸でも飛ばせば全員が死ぬだろう。

でも、それではつまらない。

少し遊んであげよう。


「おらあっ!」


まず一人が、剣を振り下ろした。

俺は紙一重で躱し、頬に平手を食らわせる。


「あ?」


動きが止まった山賊の腹に膝を入れ、顎を肘で突く。

倒れそうになるのを手首を引いて止め、引いた時の勢いに乗せて、頬を蹴りつける。

気絶した山賊を土の魔術で拘束し、俺を囲む山賊の方へと転がした。

この動作を終わらせるのに五秒もかけなかったのは、ビャズマで体術を教わったおかげだろう。


「すみません、手が滑りました」


状況を理解しようとしている山賊に更なる挑発をかける。

単細胞な彼らは怒声を上げながら、俺に襲いかかってきた。

だが、同時はまずいだろうに。


俺が右からの攻撃を避けると、攻撃は左から攻撃してきた敵に当たる。

後ろからの攻撃を良ければ、正面から来た敵に当たる。

そういえば、リーダー格はここにはいないようだから、奥で酒でも飲んでいるのだろうか。

そんな事を考えながら、襲いかかる敵の頭に触れる。

俺に触れられた敵は、一瞬にして動きを止め、その場に倒れていった。


「な、なんだこのガキ!」

「なんだよあれ!」

「くそ! 冗談じゃねえ!」


情けない声を上げながら、洞窟の外に逃げようとする奴に土の銃弾を食らわせる。

奥に逃げた奴はリーダーでも呼びに行っているだろうから、放っておこう。


サラにちらりと目をやると、視線は俺に釘付けにされていた。

無表情がほんの少しだけ崩れ、口が少し開いていたのは意外だ。

まあ、でも、計算通り。

勘違いしてもらっては困るが、サラに見られる事が主目的ではないからな。

俺はマゾではない。決して、マゾではないのだ。


マゾで思い出したのだが、サドやマゾ等の異常性欲の名前は、作家の名前から取っている事が多い。

サディズムやサディストという言葉は、加虐的な小説を書いた作家、サド侯爵から来ている。

マゾヒズムやマゾヒストは、被虐的な小説を書いた作家、ザッヘルマゾッホの名にちなんでいる。

そして、少女を意味するロリータという言葉だが、これはナボコフの書いた『ロリータ』という小説から来ている。

『ロリータ』は中年男の異常なまでの少女愛を描いた作品である。


と、そんな事を思い出している間に、俺はどうやら山賊を全員倒してしまっていたらしい。

死体の山が俺を囲んでいて、サラは小刻みに振るえて地面に腰をおろしていた。

サラは、恐怖している。

『恐怖』は『生きたい』と願う人間だけが感じるものだ。


俺はアジトの奥へ進むが、どうやら抜け道から逃げてしまったらしい。

後は誰かが処理してくれるだろうから、大丈夫だろう。

賊のほとんどは俺が倒してしまったし。


「さて」


俺は息を一つ吐いてから、サラに向き直る。


「サラ、お前をここに連れてきた理由が分かるか?」

「……」


サラは震えながらも、首を横に振った。


「うん、えっとね、お前を殺すためだ。流石に、街の中で殺す訳にはいかないし、埋葬にもお金がかかる。ここなら、死体を放っておける」

「……!」


サラが、始めて大きな反応を示した。

虚ろな目は俺を捉え、今にも泣き出しそうである。


「さぁてと、どう殺してやろうかなぁ」


俺は一歩ずつ、ゆっくりと歩み寄り、サラを煽る。

サラは後ずさる事もなく、ただ震えていた。

腰が抜けて動くことも出来ないのだろう。


「あ~、どうしよう、悩むなぁ~」


今日の晩飯なににしようか、悩むなぁ~。


「ふふっ」


俺がサラに微笑みかけると、地面に液体が滲んでいった。

せ、聖水だ……。


失禁したサラは、瞳から涙を零し始める。

やっと、泣いてくれた。やっとだ。


俺がもう一歩歩み寄った時、サラはゆっくりと地面にひれ伏した。

そこには彼女が聖水があったのにも関わらず、サラは平伏している。


「生かして、ください……」


サラの喉奥から絞り出された、か細い声が俺の耳に届く。


「生かしてください……」


真意を伝えるために土下座までして、命を乞う。

サラはどれだけ絶望しようと『生きたい』と願った。

『死にたい』と、ここで言わなかった。

辛いなら、ここで黙って俺に殺されていればいいというのに、こうして彼女は、命乞いをしている。


「生かして……ください……」


サラは耐えようとしている。

背負おうとしている。

生きようとしている。

なら、それで良いのだ。


「サラ、顔を上げろ」


俺はサラの前に膝をついて、サラの顔を持ってきていたハンカチで拭う。


「答えが出たじゃないか」


少し急かす形になったが、これでサラの出せなかった答えが出た。

最初から出ていたのかも知れないが、絶望がサラの本心を押さえていたのだろう。


「全く。土下座が出来るなら、少し横にずれてからすればいいのに」

「……ごめんなさい」

「そう。謝罪の時は『ごめんなさい』だ。感謝の時は『ありがとうございます』。寝る時は『おやすみなさい』。朝起きて顔を合わせたら『おはようございます』。食べる時は『いただきます』だ」

「うぐっ……ごめんな、さい……っ……」

「泣け泣け。どんどん泣け。悲しい時、辛い時は泣けばいいんだよ。んで、嬉しい時は笑えばいいし、不愉快な時は睨みつけてやればいい」


サラは枷が外れたように、大声を出し、溢れる涙を遠慮無く流した。

俺がサラを抱きしめると、サラは倍の力で俺を抱きしめ、顔を俺の胸に埋めて泣き叫ぶ。


「そうだ、これでいい。感情を抑える必要なんてないんだ。絶望だけを見据えることなんてしなくていい。世の中まだまだ見てない物がたくさんある。楽しい物がたくさんある。それを見ないで死んじゃうなんて、勿体無いだろ」

「ご、ごめんっ、な、さいっ……!」

「俺達と楽しい事をたくさんしよう。綺麗な物をたくさん見よう。死ぬことを考えるのはそれからだ」


俺はサラが泣き止むまで、頭を撫でながら「もう大丈夫だ」と声をかけ続けた。

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