棺を背負いし
目を覚まして、体を起こす。
最近まで感じていた怠さが徐々に抜けていくが、肩の重みは残っている。
朝起きる度に思い出す、アランの笑顔。
あの笑顔を思い出す度に、あの時の感触を、気持ちを、鮮明に思い出す。
「はぁ……」
そして、俺の一日はため息から始まる。
このままではいけない。俺はこの異世界で楽しむ事を決意したのだ。
だが、こんな気分じゃ楽しいもんも楽しめない。
『カレンの胸を触るやつの台詞ではない』という自分自身への突っ込みに、思わず苦笑する。
俺はいつもの様に外に出る準備をし、トレーニングをする。
朝食を取った後は、宿に戻ってオッチャンに挨拶をし、昨日まとめた荷物を背負って宿を出た。
まあ、荷物といってもリュックサック分の物しか無いのだが。
金はギルドに預けているし。
俺はこれからの事に期待をふくらませながら、スラム街へと向かった。
いつもの様に細い路地裏を通って。いつもの様に手土産を持って。
俺はいつも通りだった。だが、それは俺であって、スラム街は別だ。
スラム街は違ったのだ。いつも通りではなく、包まれていた。
何に? 炎だ。そう、炎だ。
スラム街は、赤い海に飲まれていた。
「なんだよこれ」
それを目にした俺は、呟いた。
腹の奥底から何かが込み上げてくる感覚。
ああ、これを味わったのは人生で何度目だろうか。
と、そんな事を考えている場合ではない。
俺はスラムの人たちを助けるために歩を進めた――が足に何かが引っかかって、転んでしまった。
「ってて…………なっ、おい、嘘だろ……」
俺がつまずいたモノは、人だった。
いいや、死体だ。焼死体だ。異様な臭いを放ち、黒焦げになった人の形をした肉だ。
「――おええっ!」
俺はその場で嘔吐し、焼死体をもう一度見た。
その焼死体は――バルドだった。
俺はあんぐりさせそうになった口を、歯を食いしばって止める。
焼けている事に衝撃を受けているのもそうだが、それよりも大事な点があった。
バルドは喉から血を流していたのだ。まるで、刃物で切られた様に、綺麗に裂けている。
「クソッ」
俺は唾を吐いて、魔術を使う。
スラム街一帯の上空に水の塊を出現させ、衝撃をあまり生まない高さから落とした。
火は消え、白い煙が上がる。
俺は立ち上がって、更に死体を見つけた。
進んでもう一つ、そして、もう一つ。
全ての死体は喉を切られていた。
「誰が、誰がッ!」
これは他殺だ。火事で死んだわけではない。
切り口もこげていた事から、喉を切ってからスラム街を燃やした事が分かる。
俺は全速力でマリアの元へ走った。
途中、引き返そうとも思った。
死んでいるのなら、見たくない。
もう、ショックを受けるのはごめんだと、そう思って。
だが、俺はほんの少しの期待をしてしまった。
まだ生きているかもしれないと。
しかし、現実とは上手くいかないものである。
マリアは、焼けていた。
俺は膝から崩れ落ち、頭を押さえた。
痛いからだ。頭痛がする。腹痛もする。
そして、俺はまた嘔吐した。
「っ……カレン……カレン……!」
俺はカレンだけでも救いたい。
カレンだけでも生きていれば、俺は救われる。
そんなはずはないのだが、混乱した俺は、そう思い込んだ。
「しゃる……」
「カレン!?」
マリアの死体から声が聞こえた。
あまり見ないようにと目を逸らしていたのだが、視線をやって気づく。
マリアは、何かを庇うように動かなくなっていた。
まさかと思い、俺は、マリアをゆっくりと退かした。
「ああ……」
俺は安堵の息を漏らし、マリアが守った娘を抱きしめた。
傷の少ないその体を、俺は強く抱きしめた。
「良かった……」
場違いな言葉だ。自分に嫌悪感を覚える程に、苛立たしい。
カレンは、気絶しているのか、動かない。
息はしているし、鼓動も感じるから、気絶しているだけか。
この状況でここまで冷静に分析できる自分が、嫌になる。
俺はカレンをおぶって、他にも生きている人がいないかを探した。
最終的に分かった生き残りは、カレンだけだった。
逃げた人もいるのかもしれない、たまたまスラム街にいなかった人もいたかもしれない。
その人達は助かっただろう。そう思うことにした。
俺は宿へと戻り、ベッドにカレンを寝かせた。
オッチャンに事情を短く説明し、カレンの面倒を見てもらった。
その後は全速力で騎士団本部へと走って行き、副団長室に突撃して、事情を説明した。
ウルスラはすぐに動いてくれた。騎士団の知り合いがいてよかったと思う。
「よし、よし、よし」
俺は、冷静だ。冷静に対応している。
何をすべきか、しっかりと分かっている。
大丈夫だ。俺は、大丈夫だ。
「シャルル殿」
本部を出ようとした俺に、ウルスラが声を掛けてきた。
「何ですか?」
「残ったモノの処理は騎士団に任せて、お休みになられてはどうでしょう。酷い顔色です」
「いえ、お別れが済んでませんので」
「……承知致しました。三十分後には騎士団が着くかと思われます」
「分かりました。ありがとうございます」
ウルスラに頭を下げてから、スラム街へと向かった。
スラム街へと着いた俺は、歩きまわって、知り合い全員の亡骸を、目に焼き付けた。
そうしなければいけないと、何となく思ったからだ。
涙は出ていない。鼓動も早まっていない。至って冷静だ。
だから、見つけた焼死体の全てを治癒魔術で元に戻した。
治癒魔術で命までは戻せないが、それでも死体は綺麗なままの方がいいだろうし。
「ふぅ……」
息を一つ吐き、最後にマリアの所へ向かう。
マリアの体は、後ろが焼け、前は喉の切り傷だけという異様なものだ。
そのせいか、表情が見える。
穏やかとは言い難いが、苦しそうではない。
安心している様にも思える。
「マリア……カレンは、俺が責任をもって守るから」
動かない、喋らないソレに俺は話しかけた。
「マリアが守ったカレンを、俺は絶対、命に変えてでも、守るから。だから、どうか、心配しないで欲しい」
マリアが聞いているはずもないのに、俺は約束をした。
一方的だから、約束というか、誓いになるが、どっちでもいい。
俺は必ず守ってみせる。
「でも、マリアは『命に変えてでも』って言葉、嫌ってそうだな」
一人呟いて、焦げてしまっていたマリアの背中を治癒魔術で治した。
――――――
三十分程して、騎士団が到着した。
俺は火傷を治した事をウルスラに説明してから、宿へと戻った。
部屋では、カレンが眠っていた。
ベッドの側にはオッチャンがいる。
オッチャンは腕を組んで、眉を真ん中に寄せている。
「ありがとうございました、オッチャン」
「おう、いいってことよ。それじゃ、俺は行くぜ」
「はい。本当に、ありがとうございました」
「……お前もしっかり休めよ」
そう言い残して、オッチャンは受付へと戻っていった。
オッチャンの娘の『ぉこづヵぃ、ゎすれなぃでょ!』という大声が俺の部屋まで届いた。
「ったく……」
俺は椅子をベッドの側に置き、腰を下ろした。
自分に治癒魔術をかけて、身体的な疲れを取る。
「はあ……」
辛すぎる。アランの次は、スラムの皆と来た。
俺には疫病神でも憑いているのではなかろうか。
……でも、俺の辛さは、今は吐き出していいもんじゃない。
今、一番辛いのは、カレンだ。おそらく。
親を失った時の悲しみと、喪失感を、俺はよく知っているつもりだ。
まあ、そこには個人差があり、誰もが俺のように感じるわけではない。
人はそれぞれ違う価値観を持っているから、理解なんてものはしあえない生き物だ。
感情だと、余計にそうだ。自分と相手に同じ経験があったからといって、相手が自分の様に感じるとは限らない。
「お母、さん……お母さん……」
だが、この寝言で辛さが伝わる。
カレンの寝言は、悲痛だ。
汗を流して、苦しそうにマリアを呼んでいる。
俺はカレンの小さな手を取り、固く握った。
震えるその手を、俺はずっと握った。
夜の間もずっと眠っていたカレンは、朝になって目を覚ました。
俺は最近になって感じるようになった眠気に負けそうになったが、カレンの寝言を聞く度に、目が冴えてしまっていた。
「おはよう、カレン」
「……しゃる……」
カレンは、目をこすって、辺りを見回す。
自分が目覚めるべき場所にいない事に気付いてカレンは目を見開いた。
「お母、さん……お母さんは!」
起き上がろうとしたカレンを、手を引っ張って座らせた。
「……カレン、マリアはもういない」
思わず、ストレートに言ってしまった。
「っ……」
俺の言葉を聞いて、カレンが俯く。
それ以降は、口を開かなくなった。
ただ、手は震えて、力んでいる。
転生者であるせいか、状況が飲み込めているのかもしれない。
「我慢はするな」
俺がそう言うと、カレンは嗚咽混じりに泣き始めた。
最初はこらえるように泣いていたが、最終的には声を上げて泣いてしまった。
俺はカレンが泣き止むまで、優しく抱きしめた。
――――――
しばらく泣き続けたカレンは、落ち着きを取り戻し、俺のあげた水をちびちびと飲み始めた。
カレンの目元は赤くなり、涙の通った後が残っている。
俺はバッグからタオルを取り出し、水で濡らしてからカレンの顔を拭った。
「カレン、気分は」
「……あまり、良くない、です……」
「だろうな。なら、外へ行くか」
俺が提案すると、カレンは無言で首を横に振った。
まあ、落ち込んでいる時に出かける気分になるはずもないか。
だが、こういう時は外に出たほうが良い。
なんとなくだが、そう思う。
ということで、俺はカレンをお姫様抱っこで無理矢理連れ出すことにした。
外出を拒否したわりには、抵抗しない。
一体何を考えているのかは分からないが、抵抗しないのなら好都合。
俺はカレンと一緒に街へ繰り出した。
途中でカレンを下ろし、手を繋いで歩かせた。
甘やかしてやりたいが、カレンは恥ずかしそうにしていたから、こっちのが良い。
「……どこ、いくんですか……?」
適当にぶらついていると、カレンが尋ねてきた。
「目的はないよ。ただ、歩いてるだけ」
「……そう、ですか」
「何処か行きたいの?」
俺が聞くと、カレンが首を横に振った。
まあ、元々俺が強引に連れ出しただけだし、行きたい場所があるわけもないけど。
「俺はカレンの面倒を見るつもりだ。カレンが俺と離れたいと思った時まで、そうするつもり」
「……はい」
「嫌じゃない?」
「……嬉し、です……」
嬉しい、か。
「カレン」
「……?」
「俺達は家族だ。言いたいことははっきり言え」
「……わかり、ました」
俺にカレンの悲しみを消せるほどのことが出来るとは思えない。
俺はそんな大層な存在じゃない。せいぜい、和らげるので精一杯だ。
むしろ、それすら出来ないクズかもしれない。でも、俺はやれるだけの事はやってみようと思う。
カレンは俺の、家族だから。
「腹が減った! 食いに行こう!」
俺はカレンの手を引いて、飯屋へと向かった。
――――――
散歩して、飯食ってと、今日やった事はそれぐらいだ。
カレンの表情は相変わらず暗いが、それでも、朝に比べて少しは晴れている気がする。
夜になり、オッチャンに裏庭を借りて、風呂をつくった。
カレンとお風呂である。月夜の下の、幼女と露天風呂。
いつもの様に『Fooooo!』なんてテンションにはならない。
マイサンも、今は元気を無くしている。
ていうかこの頃、マイサンには元気がない。
どうしたのだろう。
「気持ちが良いだろ、カレン」
「……はい」
俺はなるべくカレンに目を向けないようにしている。
カレンも俺も裸だ。今は萎えているとはいえ、いつ、俺の息子が暴走するかは分からない。
と、そんな気遣いも水の泡となった。
俺はカレンと距離をとって湯に使っていたのだが、カレンが俺の隣に座ってきた。
そして、俺の肩にカレンの頭が乗る。
「……カレン? どうした?」
「……シャルと、近くが、良いです……シャルの、側が、良い……」
「大丈夫、俺はカレンの側にいる。カレンが俺と離れたいと思うその時まで、ずっと側にいるさ」
「……お風呂……懐かしい……」
懐かしいか。そうか、そうだよな。お風呂ぐらい入ったことあるよな。
俺も風呂に入った時は感動したもんだ。
俺達はその後、飽きるまで露天風呂に浸かっていた。
時刻は深夜一時。
俺の瞼は今にも閉じそうになっているが、カレンの眼は冴えているようだ。
さっきたくさん寝たから、当たり前だろう。
でも、カレンより先に寝るのもどうかと思う。
なので、俺は椅子に座ってコーヒーを飲んでいるわけだ。
「……シャル」
ベッドに座るカレンが、声を掛けてきた。
「ん?」
「……シャルも、お母さん、いないんですか……?」
「まあ、そうだね」
「……お父さんも……?」
「……そうだね」
俺は立ち上がって、体を伸ばしながら答えた。
親父は俺のいた世界で生きているとは思うが、この世界にはいないし。
「……寂しい、ですか?」
「たまにね」
俺がそう返すと、カレンが立ち上がって、俺の前に立った。
カレンはゆっくりと自分の腕を俺の背中にまわした。
幼い娘に正面から抱かれてしまっているこの状況。どうしてこうなった。
「……いっしょ……です」
「そうだな」
「……でも、シャルは、強い……私は、まだ、痛くて、苦しくて、悲しい……です」
「俺は別に強くなんか無い。俺も最初はそうだった」
「……どうして、今は……平気、なんですか……?」
「人間は、そういう風に出来てるんだ」
「わかり、ません……」
「その内分かる。だから、今は安め」
「……はい」
俺はカレンの頭を撫でてから、ベッドへと促した。
カレンは横になって、目を閉じる。
俺は剣の手入れをして、カレンが眠るのを待った。
「……うぐっ……うっ……」
数分後に聞こえたカレンの嗚咽で、俺は剣を鞘に収める。
剣をベッドの脇に立てかけて、俺もベッドに横になった。
俺はカレンをの頭を抱き寄せて、頭を撫でる。
そうしている内に、俺まで眠くなり、泣いているカレンを抱きながら寝てしまった。




