異世界の術で・前編
朝食を終え、街の書店へと向かった。
朝食に何を食べたかと聞かれれば、答えてあげるがなんちゃらら。
この世界にもコーヒーなる物があり、すり潰して粉状にしたコーヒー豆を、コーン状にした濾紙に入れて、そこにお湯を注ぎ込む。
味の違いはあまりないが、俺が普段飲んでいたのよりも濃い気がする。
でも、コーヒーが飲めたのでよし。
今の体にコーヒーが影響を与えないかが心配だが。
朝食中に話した事といえば、エヴラールの娘と息子の話だ。
娘は俺と同い年の五歳、息子は俺より一つ下の四歳だそうだ。
娘の名前はエレノア、息子はラウール。
『離れていても二人共愛している』とエヴラールは言っていた。
なら、帰ってやれよ……。
娘は小さい頃から元気で、はいはいが出来るようになってからは家中をうろつき回ったりしていたらしい。
将来はきっと、元気な剣士になるだろうと言っていた。
女剣士……この世界では普通なのだろうが、もしも俺に娘ができたら剣士などにはさせぬ。
娘が願ってもだ……! くっころなんてごめんだね!
エヴラールの子供の話は他にもあるが、これはここまでにしよう。
書店の中は、書店という割には閑散としていた。
棚が本で埋まっているわけでもなく、使用すらされていない棚が三つはある。
使われている棚は全部で六、計九つの棚が並んでいる。
しかし、使われている六つの棚ですらフルではない。
我らの世界で書店といえば、夢が詰まっている場所と言っても良かったよ。
「ほら」
カルチャーショックに心を揺さぶられている間にエヴラールが本を買ってくれていた。
受け取ろうと手を差し出した時、一瞬躊躇してしまった。
それは遠慮からではない。本のサイズでだ。
小学校で使う国語辞典の二倍の厚さはあるかもしれない。
幅や長さはマッ○ブックぐらいだろう。
受け取り、予想通りの重さに腰が引けた。
これを持ち歩かなくてはいけないのか。
いや、トレーニングだと思えば、これもまた良いことなのだろう。
肌身離さず持ち歩くことにしよう。
エヴラールから貰ったものだしな。
このサイズの本だ、きっと高値だったに違いない。
「ありがとうございます、エヴラールさん」
「構わない」
俺は本を両手に店を出た。
店を出ると、またエヴラールが肩車をしてくれた。
これなら重いものを持っていても楽だ。
これじゃあトレーニングにはならないが。
街の出口まで、肩に乗せられたまま移動した。
出口の近くにあった馬屋で馬を一匹購入し、街を出た。
予想通り、冒険者の街リースは国の端に位置していたようだ。
エヴラールの手に持つ磁気コンパスを上から覗く。
リースは南にあったらしい。
恐らく、エヴラールはこのまま南へ向かう。
俺は肩から下ろされ、馬に乗せられた。
エヴラールは俺の後ろに乗ると、馬を走らせた。
人生で二回目の乗馬。
一回目は、農業体験だかなんだかで試しに乗った時だ。
小学生ぐらいの頃だったから、ビクビクしながら乗っていた気がする。
あの後、足を震わせながら、馬には二度と乗らないと誓ったっけな。
そんな誓いも忘れていればなんてことはない。
あの時は馬が歩く程度だったのだが、今回は走っている。
風が顔を打って目を開けられない。
なので、フードをかぶり、留め具で固定した。
少しはマシになったが、薄目を開けられる程度だ。
エヴラールの目は全開で、精悍としている。
男の俺から見てもかっこいいんだよなぁ、この男。
……ノーホモ。オーケイ?
――――――
馬に揺られて何時間が経過しただろうか。
辺りはもう既に、オレンジ色に染まっている。
平坦な街道をただ走ってきただけだったので、とてつもなく暇だった。
一つ、二つと村を通り過ぎ、途中の村で休憩を取り、今六つ目の村の入り口で止まっている。
馬から下りて、少しストレッチをする。
関節を曲げる度に音がした。
ストレッチを終えると、馬を引きながら歩いて何処かへ向かう。
「エヴラールさん、今晩はここで?」
「ああ、宿を取る」
「宿屋があるんですか?」
「当たり前だ」
宿屋ってのは街にしか無いイメージだったのだが、村にもちゃんとあるらしい。
野宿もしてみたかったのだが、エヴラールの話によれば、寝ている間に魔物に襲われたり、通りすがりの盗賊に物を盗まれたりされるらしいので、野宿は極力避けるんだと。
だが、エヴラールは最後にこう付け足した。
気配だけで起きられるから対処はできるがな、と。
なら、何故いけないのか。
答えは明瞭で、俺がいるからだ。
複数人に襲われ、エヴラールが一人を相手にしている間に俺が人質にでも取られれば、俺らの荷物はすべて消える。
エヴラール一人なら何処でも野宿できるが、俺がいると宿の方が安心できるだろうし、宿に泊まる事には俺も不満はない。
馬を馬屋に預け、宿の部屋へと向かう。
一人部屋だから、寝台は一つだけ。
俺を拾ってくれたのが美少女冒険者だったらなあ、と思わなくもないが、我儘は言えない。
エヴラールはといえば、まだ七時だというのに、もう既に眠りについていた。
最後の言葉が、「シャルルも早く寝た方がいい」だった。
それからは、規則正しい寝息を立てて寝ている。
早く寝たほうがいいとの事だが、俺は今夜からやるべき事がある。
魔術教本を熟読しなくてはならない。
机の上に魔術教本を広げ、目次からしっかりと読む。手書きではないようだ。
読む前にバッグからクラッカーに似た硬いパンを取り出して食べる。
晩飯はこれだけで足りる。
読み始めて二時間が経過した。
魔力と魔術の項目は全て読んだ。
簡単にまとめると、魔力というのはこの世界何処であっても存在しているらしい。
石、土、水、火、木、動物、人間、魔物等、有機物、無機物問わず、あらゆる物に魔力が備わっている。
そして、意志を持つものは魔力を使い、魔術なる物を使用できる。
魔術とは、呪文により魔力に働きかけ、魔力を具現化させる物だそうだ。
無詠唱で使う者もいるらしいが、かなり少数だと書いてあった。
それから、魔術は全てで六つの系統が存在する。
火、水、土、風、聖、そして闇。
聖魔術は治癒や解毒魔術。
闇魔術はあまり詳しく書かれていなかったが、人を眠らせたりできるらしい。
二時間掛けて得た情報はこれだけだ。
ダラダラと長いことが書かれていた割に、要約するとこんなにも少ない。
しかし、世界の常識を知れたのだから、決して小さい事ではなかったと思いたい。
現在時刻は二十一時。
あと一時間だけ読むことにしよう。
土魔術のページ。
『土神』と呼ばれる神の力の一部を具現させた物で、砂、土、岩などを自在に操る力だ。
一例として、『土壁』を挙げよう。
『土壁』は地面の土を増加させ、板状に地面から伸ばし壁を造る魔術、と書いてある。
『完全詠唱』と『通常詠唱』と『省略詠唱』が記載されている。
『省略詠唱』は『通常詠唱』の半分くらいの長さ。
詠唱時間を短縮できる代わりに威力が落ちてしまうのだとか。
『完全詠唱』は『通常詠唱』の二倍の長さ。
つまり『通常詠唱』は『完全詠唱』を省略させたもの、そして『省略詠唱』は省略された詠唱を更に省略させたものだ。
魔術発動に集中や瞑想はいらない。
詠唱すれば出てくるシステムだ。
システム的には、詠唱で魔力に働きかけて具現化なのだから、無詠唱なんて無理なんじゃないだろうか。
詠唱が引き金だとするなら、無詠唱は引き金がないのと一緒だ。
だが無詠唱魔術師は存在していると記載されている。
そこについては、後で考えよう。
時計を確認すると、二十二時十分前だ。
今すぐにでも外に出て魔術を使ってみたいが、体も重くなってきた。
馬に乗っていただけだというのに過度に疲れている。
俺はベッドに倒れ込むと、すぐに眠りに落ちた。
――――――
翌朝、七時きっかりに目を覚ます。
エヴラールは何処かに出かけているらしい。
俺は体を起こし、顔を洗い、服を変える。
エヴラールを待っている間、俺はまた魔術の教本を読む。
土魔術の続きだ。
土壁の通常詠唱だが、単語が並んでいるだけのシンプルな物だ。
だが、完全詠唱は二倍の長さ。
そして、単語の文字列ではなく、文章となっている
読んでいる内に右腕が疼いてきた、覚醒するかもしれん……!
中学生の頃から憧れていたファンタジーだ。
今すぐに外に出て、魔術を使ってみたい。
俺はバッグから紙切れとペンを取り出し、書き置きをして外にでることにした。
外にはあまり人がいない。
朝から盛んなリースとは大違いだが、いい場所だ。
長閑で、風の音も鳥のさえずりも聞こえる。
空気も澄んでいて気持ちがいい。
俺は元々、人口密度の高い場所よりも、こういった田舎の方が好きなのだ。
「すぅ、はぁ……」
深呼吸をし、少し体を伸ばす。
まずは、魔術を使っても被害がでない場所を探さなくては。
人がいなくて、開けている場所なんかがあればいい。
俺は村をゆっくりと歩きまわり、求めていた場所はすぐに見つかった。
誰もいなくて、広い場所だ。
あるのは地面に生えた芝生だけ。
「よし」
魔術教本を広げ、土壁のページまでめくる。
まずは土壁から試そう。
詠唱はそこまで長くないが、少し緊張してきた。
完全詠唱は長ったらしいので、通常詠唱にする。
「……土神、大地、友垣、委託、寛大、包容、摂理! 守れ、土壁!」
言い終えた瞬間に、俺のいる場所から1メートル前方に土の壁が出来上がった。
近寄り、触れてみると、ざらりとした土の感触が手に伝わるが、土はくっつかない。
「おお……」
俺は素直に感動していた。
魔術を使えたのだ、この俺が。
レベル1のものでしか無いが、魔術だぞ、魔術。
中学生の頃に憧れ、真似しかできなかったものが、こうして実際にできている。
童貞を守れば魔法使いになれるというのは本当だったか。
俺は興奮を抑えきれず、もう一度使うことにした。
詠唱し、さっきと同じような土の壁ができあがる。
二回目の使用で変な感覚に気づく。
自分から何かが――おそらくは魔力が吸いだされる感覚があった。
さっきは緊張と興奮であまり感じなかったが、今ははっきりと感じた。
足の底から地面に魔力が流れていく感じだ。
確かなものにする為に、もう一度使用する。
何事も無く土の壁は出来上がった。
魔力が吸い出されるタイミングも分かった。
『友垣』を唱えた後だ。
そして、『摂理』から吸い取られる感覚が失せた。
『友垣』のコマンドで何かが始まり、『摂理』のコマンドで何かが終わる。
何かとは恐らく、魔力に働きかける動作だろう。
なんであれ、魔術が使えるなら問題はない。
しかし、そうすると本当に無詠唱というのは不思議だな。
『友垣』と言わなければ魔術の形成が始まらないのなら、無詠唱でどうやって魔術を形成するんだ。
俺は不思議に思い、土の壁を脳内でイメージする。
イメージで魔術を使える例もあると、とあるゲームにも書いてあったからな。
土壁は確か、高さは5メートルぐらいだったろうか。
幅もたしか同じぐらいだ。
イメージ、イメージ。
そして、足の裏に魔力を込めてみた。
魔力を込める時のイメージは某忍者漫画のチャクラコントロールだ。
その瞬間、俺の足の裏から魔力が吸い取られた。
そして、先ほど土の壁があった位置よりも、一步手前に土の壁が出来上がった。
「……えっ」
どういうことだ。
俺はイメージをして、足の裏に魔力を込めただけ。
詠唱はしていない。
だが、土壁が出来た。
これは、アレじゃないか。
無詠唱魔術。
こんなにあっさりとできてしまった。
いや、偶然という可能性もある。
俺はもう一度、高さ5メートルの土の壁をイメージし、足の裏に魔力を込めた。
だが、今回は何も起きなかった――という事はなく、俺の魔力は吸い取られ、土壁が出来上がってしまった。
「おいおい……」
こんなに簡単に出来てしまっていいのか。
数十分前まで魔術なんて一回も使ったことなかった俺が。
なんだか突然恐くなった。
そんな事を思っている合間に土壁は崩れて消えた。
消える時はどんなシステムなのだろうか。
術者の意識が他へ行くと消えるのか、それとも時間が経てば消えるのか。
「シャルル!」
考えこんでいると、誰かが俺の後方で叫んでいた。
シャルルって人の名前だな。
喧嘩とかかな。
だとしたら早くここから去らねば。
「よっこら――」
「シャルル!」
うーん、シャルルって俺じゃないか。
呼び慣れてないから忘れていた。
この声は、エヴラールだ。
俺は振り返り、エヴラールを探す。
エヴラールはこちらに小走りで近寄ってきていた。
心配そうな顔をしている。
書き置きをしたとは言え、五歳の子供が一人で外に出るのはやはり危ないかもしれないな。
心配もするだろう。
「エヴラールさん!」
俺が手を大きく振りながら叫ぶと、エヴラールは先ほどよりも走る速度を上げる。
俺の前に来たエヴラールは少しだけ息が荒れていた。
村中を探し回ったのだろうか。
「シャルル、怪我はないか?」
「はい、何も問題ありません。心配をかけました、ごめんなさい」
「いや、いい。だが、次からは一人で外に出るな」
「分かりました」
まあ、当たり前だったな。
五歳の子供を一人で出歩かせる親はいないだろうし。
次からは気をつけよう。
「ところで、何をしていたんだ?」
「えっと……魔術の練習をしていました」
「……魔術が使えたのか?」
エヴラールは表情を少し曇らせ、聞き返してきた。
「はい、土壁を」
「何度使った」
詠唱で三回、無詠唱で二回だったか。
「五回です」
「疲れはないか? 目眩は? 吐き気は?」
「いえ、何も感じませんが……」
「……そうか」
言うと、エヴラールは顎に手を当てて黙ってしまった。
最初に会った時もそうだが、この人は考え事をする時、顎に手を当てる癖があるようだ。
その姿は『考える人スタイリッシュバージョン』と言い換えていいだろう。
略して『考えるスタバー』。
……何処かのチェーン店みたいだからやめよう。
「シャルル、帰るぞ」
「え、あ、はい」
数分後、エヴラールが突然言った言葉に俺は頷いた。
俺はエヴラールの肩に乗せられ、宿に向かう。
設定上、魔術の使い方はイメージではなくもっと別の物なのですが、シャルルに気付かせるタイミングと方法を逃しました。今探してます。
では、ショートストーリーをどうぞ。
「エヴラールさん」
「なんだ?」
「エレノアさんを僕にください」
「……」
「こ、ここ、子供に向けて、そ、そんな殺気のこもった目線を送るのは、どど、どうかと思いしゅ」
「すまなかった。だが、冗談でもそんな事を言うな」
「冗談ではありません……! 僕は本気です……!」
「……」
「ごめんなさいぃ!!」
「……まあ、シャルルが俺よりも強くなれば、考えてやらないでもない」
「僕は今、絶望しています」
「安心しろ、また違う娘を探せばいい」
「そうですね」
「本気では無かったのか?」
「うぐっ、ご、ごめんな、ざいぃ……っ」