ペナルティ・前編
あの後は冒険者協同組合で、依頼完了手続きをした後、明日の夜に酒場で待ち合わせをし、解散となった。
俺は、特にする事もないので、スラム街へと足を運んだ。
最近では、皆が俺を見る度に笑顔で挨拶をしてくれる。
昨日なんか、スラムの子達と鬼ごっこをした。
両足を縄で結ばれるというハンデ付きだったが、楽しかった。
鬼ごっこなんて中学に上がってからやってなかったし。
マリアのテントの前まで来た俺は、名乗ってからマリアの返事を待ち、中に入る。
中ではいつもの様にマリアが笑顔で座っていた。
その膝でカレンが寝ている。
俺はしゃがみ込んで、カレンの顔を覗く。
寝ていても起きていても、天使みたいな子だ。
今は閉じているが、普段はビー玉の様な綺麗な瞳をしている。
長めの睫毛は可愛さを引き立て、小さい口が子どもっぽさを強調する。
透き通るような白い肌は見ただけで滑らかそうで、長い黒髪は艷やかだ。
可愛いと綺麗を同時に兼ね備えた幼女、それがカレン。
カレンは時折、大人っぽい雰囲気を出す。
色気とかではなく、大人っぽいんだ。
何でも見透かすような眼をしている時がある。
何年も生きてきた様な眼をする時がある。
不思議な娘だ。
「そういえば、マリアさん、失礼な事を聞くようですが……外には出ないんですか?」
「ふふふ、何時か聞くと思ってた」
「ごめんなさい」
「ううん、いいの。そうねぇ……私は外に出ないんじゃなくて、出れないの」
「え?」
マリアは正座を崩して、脚を横に置いて、セクシーポーズの様な状態になる。
その時にマリアが擦る部分を見て、俺の心臓が跳ね上がった。
「ま、マリアさんっ!」
「シー」
顔を寄せた俺の唇に、マリアが人差し指を当てた。
そ、それは反則だ……。
って、それどころじゃない。
俺が思わず声を上げた理由は、マリアの踵骨腱が切られていたからだ。
「マリアさん……一体……」
「罰なの。仕方がない事だから」
「な、治します」
「ダメ。言ったでしょう? 罰だって」
「ですが――」
「罪は、自分で背負うものなの。与えられた罰はしっかりと受けなければならないわ」
脚を正座に戻しながら、マリアが俺の言葉を遮った。
罪だとか、罰だとか、一体彼女の過去に何があったのかは知らない。
だが、これでは歩けやしないじゃないか。
踵骨腱、よく知られている方なら、アキレス腱。
アキレス腱は人体の中で最も大きい腱だ。
歩くために必要な腱なのだ。
「……そんな悲しい顔をしないで、シャルル。私は外に出れなくても、幸せだから。貴方がこうやって毎日顔を見せてくれるだけで、カレンがいるだけで、私は幸せなの」
そう言いながら、マリアは俺を抱きしめる。
深い慈愛に満ちた、笑顔と声と、抱擁。
俺はこれで癒やされた。
癒やされたんだ。
何かしてあげたい。
俺は、マリアに何かしてあげたい。
「んぅ……」
そんな時、カレンが小さく声を漏らした。
俺はマリアから離れ、立ち上がる。
「それでは、少し外の空気を吸ってきます」
俺は一礼して、テントを出た。
気分転換をしようと、スラム街を歩きまわる。
子供が戯れ合う声、大人達が談笑する声、なぜだか全てが俺の耳に入って来て、脳内でミキサーにかけたように混ぜ合わさって、吐き気がした。
「おい! がきんちょ!」
がきんちょ。
俺をこう呼ぶのは、あの大男しかいない。
名前をバルドという。
俺は足を止めて、後ろに振り返る。
バルドがニカリと笑って立っていた。
「こんにちは」
「おう、どうだ調子は」
「まあ、普通です。そう言うバルドさんはどうです」
「俺は最高に気分が良いぜ」
「へえ、何かあったんですか?」
「ちょっと、遊びに勝ってな」
「まーた博打ですか」
「まあな」
そう言ってバルドはガハハと笑った。
「どうだ、がきんちょ、やらないか?」
バルドは俺の肩に手を置いて誘ってきた。
ここはハッテン場では無い。
だから、このやらないかは『博打をやってみないか』という意味だ。
未成年の博打は禁止されているが、スラムでは関係のない事。
だから、俺は誘われている。
「子供を博打に誘わないで下さい。行きますけど」
「おっしゃ! じゃあ、俺は用事あっから! 夜に博打天幕で待ってるぞ!」
「はい」
俺が返事をすると、バルドは機嫌のいい足取りで、何処かへ行ってしまった。
博打天幕というのは、博打をするために設けられた天幕だ。
ここのオッチャン共は、博打が好きだからな。
オッチャン共は酒も好きだし、酒でも買って行ってやるか。
スラム街を出て、市場にやって来た俺は、近くにいた男に声をかける。
「すみません、お願いがあるんですが」
「何だ?」
「これで、僕の代わりに酒を買ってきてくれませんか?」
俺は掌の銀貨四枚を見せる。
安い酒なら瓶一本あたり、銀貨一枚だ。
「何本だ?」
「四本です」
「ダメだな。ガキが飲むもんじゃねえ」
「では、銀貨一枚、謝礼金として」
「二枚だ」
「分かりました」
俺は男に銀貨六枚を渡した。
六枚を確認した男は、酒の売っている店へと歩き出した。
俺はその後を追う。
男は瓶を四本買い、路地裏へと向かった。
俺もその後に続く。
路地裏で二人きりになり、男が俺に瓶を四本渡した。
「じゃあ、二枚もらってくぜ」
「ありがとうございました」
俺は頭を下げて礼を言った。
男はそのまま表通りに出て、何処かへ消えた。
数十秒待ってから、俺も表通りに出る。
外套の内に酒を隠して、スラム街へと向かった。
早速、博打天幕に行って、博打を打っているオッチャン達に挨拶をした。
そして、俺が酒を出すと、オッチャン達は歓喜の声をあげる。
「がきんちょ! やるじゃねえか!」
「えっへん」
俺は酒瓶を並べて、土魔術で湯のみを作った。
ただ飲むだけじゃつまらない。
これは、ゲームだ。
「勝った人が一杯飲めます。いいですね?」
俺がオッチャン四人に目配せをして、確認を取る。
オッチャン達は「面白え」と言って、乗ってきた。
そうでなくてはな。
――――――
夜遅くまで博打戦争をしていた俺達は、酒瓶四本を平らげ、勝者が俺という形で戦争の幕を閉じる。
飲んだ杯数は俺が一番少なかった。
十杯ぐらいだったか。
おかげで、俺はあんまり酔っていない。
シャルルの体は酒に強いらしい。
俺の前の体も酒には強かったが。
今の博打天幕では、オッチャン四人が大の字になって寝ている。
鼾がうるさくて、ここで寝るのはダメそうだ。
酒臭いし。
「そういえば、俺って寝なくてもいいんだっけ」
ヴィオラから聞いた話だと、俺は一週間ぐらい寝なくても大丈夫なんだそうだ。
昼行性と夜行性が合わさって、昼も夜も眠くならない状態らしい。
今まで普通に寝てきたんだが、『寝ようとしなければ起きていられる』という意味だろうか。
今晩試してみよう。
「……月が見たい」
そう呟いた俺は、テントを出た。
まだ人の声が聞こえる。
夜遅くまで働いてる奴もいるだろうからな。
俺はスラム街の中央へ行き、魔術で椅子を作って、フードを脱いで月を眺める。
今宵は満月。
だからといって、狼に変身したりはしない。
俺は狼男ではなく、吸血鬼なのだ。
数時間して、周りの音は虫のなく声だけになった。
ひぐらしは鳴いてない。
夜の冷たい風が、俺の頬を撫ぜる。
こんな時に魔術が便利だ。
体に魔力を巡らせて火魔術で温める。
月見なんて、日本ではしなかった。
時間も無ければ、興味も無かったし。
だが、改めて見ると、月ってのは綺麗だな。
月だけじゃなくて、星もそうだ。
俺のいた所は都会で、夜も明るかった。
そのせいで、星なんて見えやしなかった。
異世界に来て初めて知ったよ。
夜の空は、綺麗なんだな。
――――――
翌日、俺はトレーニングの後に、ギルドへと赴いた。
受ける依頼を選んでいると、視界にアランの姿が映った。
俺はゆっくりと近づいて、声をかける。
「こんにちは、アランさん」
「ん? シャルか。どうしたんだ?」
「依頼を受けにきまして」
「昨日無理したのに、また遊ぶつもりか?」
「体力の回復が早いんですよ」
吸血鬼様のおかげで、とは言わない。
「そうか。なら、どうだ、俺と一緒に来るか?」
「何処へ?」
「盗賊退治だ」
「……行きます」
「よし、決定だな」
ということになった。
俺達は二人で受付まで行き、受注手続きを済ませる。
「付いて来い」
アランが爽やかに微笑んで言った。
言われた通り、アランの後に続く。
国を出て、森に入った。
ここの森は薄暗いとか、不気味な雰囲気はない。
ピクニックなんかに最適な場所だ。
魔物さえいなければ。
アランは森の奥へと進んでいく。
俺も黙ってアランの後を追いかけた。
そして、数十分歩いて、アランが足を止める。
目の前にあるのは、洞窟だった。
洞窟の前で二人の男が胡座をかいて談笑している。
「盗賊の隠れ家、ですか」
「正解だ」
俺とアランは茂みに隠れながら近付き、二人の様子を伺う。
こっちには全然気づいていないようで、下品な笑い声を上げている。
「シャルル、狙えるか」
「お任せを」
俺は二つの弾丸を掌に作り出し、音速で飛ばす。
風切り音と共に、銃弾が俺の掌から離れた。
回転のかかった銃弾は、二人の男の頭を貫いた。
二人は首を垂らして動かなくなる。
「無詠唱か……どうやってんだ」
「魅人の方々も、風魔術を無詠唱で使えるじゃないですか」
「そうなんだが、他の魔術を使ってみようとしても、上手くいかない」
魅人には種族固有魔術がない変わりに、聖魔術と風魔術を無詠唱で使えると聞いた。
魔力総量も人間よりも多いらしいし。
「まあいい、掃除と行こうじゃないか」
「はい」
俺達は茂みから出て、洞窟へと進入する。
中からは笑い声が聞こえてくる。
匂いもする。
これは……多分、葡萄酒だ。
俺達は洞窟の奥へと進んでいき、笑い声の聞こえる扉の前で止まる。
「シャル、少しばかり遊びをしよう」
「遊び?」
「剣を使うな。魔術は使ってもいいが、飛ばしちゃ駄目だ。いいな?」
「……わかりました」
魔術をゼロ距離で使えってことか?
ビャズマで習った体術と合わせれば出来ないことはないが……。
「合図を出したら突撃だ」
そう言って、アランは指を三本突き立てる。
アランはゆっくりと、一本ずつ折り曲げていく。
最後の人差し指を曲げた瞬間、俺達はドアを蹴破った。
「あ?」
扉の近くに居た盗賊の一人が、俺達の姿を見て首を傾げる。
刹那、盗賊の首が百八十度回転した。
アランの蹴りによって。
「何だてめえら!」
敵襲だとやっと気付いた数十人の盗賊達が剣を抜く。
「敵だ!」
「殺せ!!」
「オラアァ!」
盗賊共は大声でがなり、俺達に向かって剣を振るう。
だが、俺にはそんなの見え見えで、避けるのに苦労なんてしない。
左からの斬撃を躱して、お返しに相手の足を払う。
相手がよろめいて、俺の方に倒れてきた。
――閃いた。
俺は倒れてきた盗賊の頭を鷲掴みにして、使った。
針山地獄を。
サイズは直径10センチ。
頭からはみ出ない程だ。
俺が手を離すと、盗賊はその場に倒れた。
脳を潰された盗賊は呻き声すらあげない。
人間は脆い。急所が多い割に、急所を守る部位が弱い。
こんなに簡単に、人の命はなくなる。
魔術が使えるからとか、そういうのは関係ない。
後頭部にハンマーでも叩きつければ死ぬのだから。
「てめえ!」
俺みたいなちっこいのに仲間が殺られたのが悔しいのか、奴等はより一層怒りを露わにする。
だが、遅い。遅すぎる。
避けて、頭を掴んで、魔力をほんの少し消費すれば、一人倒れる。
それを何度か繰り返して、敵の数は目で数えられる程にまで減った。
全部で十六人だ。
一人、また一人と殺していく。
この殺し方なら、相手の死体は綺麗なままだ。
俺の精神的ダメージも軽減される。
血を見なければ簡単に殺せるなんてのも、無情な気がするが。
頭だけじゃなくて、胸にも使ってみよう。
そう思って、相手の間合いに踏み込んで、胸に掌を当てた。
当然の事、相手は倒れる。
「ひぃっ! 死神っ!」
生き残っている盗賊の一人が叫んだ。
そうか、相手にはそう見えてしまうのか。
触れただけで死んでしまう様に見えるんだな、きっと。
意外とピッタリかもな、その呼び方。
黒いコートを着て、フードを深く被って、触れられた奴は命を刈り取られる。
悪くないけど、むず痒い。
黒歴史を思い出す。
朝起きて『今日も、日差しが俺を殺そうとしてきやがる……』って言った記憶とか。
夜中に散歩して『今宵、俺の闇の鎌に刈られるのは誰だろうか……』って呟いて補導された記憶とか。
あの頃、人目につく場所でやらなくて正解だったな。
もしも目撃している人が多かったなら、俺は今『忘れろ忘れろ!』と転げまわって盗賊に殺されているかもしれない。
「シャル、あとは親玉だけだ」
「そうですね」
アランの声で、俺は黒歴史の追憶から引き戻される。
親玉と思わしき盗賊は、始終胡座をかいて、欠伸をしていた。
抵抗する気が無いらしい。
「何故、抵抗しない?」
アランが親玉に尋ねた。
「飽きたんだよ」
「飽きた?」
「ああ、飽きたんだ」
そう言って、親玉がまた欠伸をする。
「……飽きた、か。吹き溜まりは、面白くなかったか?」
「最初は、面白かったさ。でも、飽きちまったんだよ。飽きる、それが人間ってもんだろ?」
「違いないね。でも何故、飽きた後、盗賊以外の道を探さなかったんだ?」
「俺みたいなゴミに出来る事なんざ、生まれた時から『盗み』と『殺し』しか無かったんだよ。ガキん頃から冷めちまった俺には、綺麗な景色も汚え絵画にしか見えねえのよ」
きっと、子供の頃から盗みと殺しをして、荒んだその目には、美しい物も美しく映らなくなってしまったんだ。
いや、目というより、心だろう。
綺麗な景色で感動しなくなったんだ。
それは、とても悲しい事だ。
綺麗に映るはずの物が、汚い物にしか見えなくなってしまった。
そんなコイツに残されたのは『習慣』しか無かったんだ。
『盗む』『殺す』、それだけをインプットされたロボットの様に。
この世界には、そういう場所で、そういう風に育って、落ちぶれる奴がたくさんいる。
きっと、前の世界にもいたんだろうが、こういう事を耳にしたのはこの世界にきて初めてだった。
「だから、殺せよ」
「いいや、お前は生きる。俺達の金になるんだよ」
生き残りたい人がいる中、死にたいと願う人間も居る。
多分、この盗賊は死にたいと思ってるんだろうな。
自分の中に汚え物しか無くて、それが嫌で、死にてえんだろうな。
俺も昔、死にたいと思った事があった。たくさんあった。毎日思った。
でも、今考えれば、俺のあの時の悩みなんて、コイツらからすれば鼻で笑うようなものなのかもな。
「おい、そこのガキ」
「はい」
「堕ちんなよ」
「はい?」
「俺もガキん頃、躊躇なく殺しまくった。その結果が、これだ。だから、お前は堕ちんなよ? さっきのお前は昔の俺を思い出させる。誰かに操られている様に人を殺してた」
盗賊は一度アランを一瞥してから、また俺の方に向きなおる。
「俺みたいにはならないでくれ。首をちょん切られる前の、俺からの頼みだ」
親玉は、過去の自分と話すような、悲しみと哀れみの混じっている複雑な表情と声色で言った。
俺も昔の自分に似た奴と出会ったら、こんな表情をするのだろうか。
『助けを呼べ』と、『我慢するな』と、こんな表情で言うのだろうか。
「……引き受けました」
俺が返事をすると、親玉は立ち上がって、手首をくっつけた状態で腕を差し出してきた。
『私が犯人です、逮捕してください』の様なポーズだ。
その後、俺達は親玉を騎士団本部まで連行した。
盗賊――というか、指名手配されている奴を騎士団に渡すと、懸賞金を貰える。
この親玉が率いていた盗賊はかなり有名な奴等で、村を荒らすだけでなく、人攫いにまで手を出したという。
かけられた懸賞金は金貨二百枚。
俺はウルスラに俺の口座に振り込んでおくように頼んだ。
アランはその場でもらっていたが。
しかしまあ、今更だが、じわじわくる。
俺の肩に伸し掛かる物があるのだ。
思えば、俺は盗賊軍との戦中にもたくさんの人を殺した。
今更罪悪感を感じているのか、俺は。
この後も、俺はたくさんの人を殺すだろう。
ああ、これがマリアの言っていた、罪ってやつか。
マリアは背負わなければいけない物だと言っていたな。
なら、この罪はずっと俺の肩に伸し掛かるのか。
気が重い。
「どうした、シャル」
「何でもありませんよ」
「……重いか?」
「は? 何も持ってませんけど」
「ああ、そうだった、そうだったな、シャル」
こいつ、エスパーかよ。
「それじゃあ、組合へ行こうか」
「はい」
返事をし、アランの後に続く。
ギルドへと着いた俺達は、依頼完遂手続きを済ませて、報酬金を預金した。
俺が殺した人数は二十三人、アランが殺した人数は三十一人だった。
すっかり忘れていたゲームはアランの勝ちに終わった。
その後は解散して、燦々と輝く太陽光に照らされながら、俺はスラム街へと向かった。




