シャルルとヴァンパイア・前編
『此方』は『こなた』と読みます。
『こちら』でも『こち』でも無いです、ごめんなさい。
後日、マイヤに案内された寝室でどでかいベッドで眠った俺は、寝室の隣にある洗面所で顔を洗っていた。
「なぁっ!?」
俺は思わず声を上げてしまった。
理由は、俺の瞳が真っ赤になっていたからだ。
「なんじゃこりゃ。俺は遂に闇の力でも目覚めさせたのか? あれか? 夢が現実にってやつか?」
俺は一人ぶつぶつと呟く。
どうしよう、どうしよう。
これって吸血鬼に影響されてしまったのだろうか?
だとしたら、俺もやばいんじゃ……。
「ま、いいや、それもそれで面白い」
吸血鬼になれたのなら、それはそれで良い。
それも何か面白いイベントが起こりそうだ。
シャルルを楽しませることもできよう。
「さて、飯でも食いに行くか」
部屋から出ればマイヤに会えるだろうし、彼女は何か知っているかもしれない。
この眼の変化についても聞いてみよう。
「おはようございます、シャルル様」
「うおっ!?」
ドアを開けた俺を驚かせたのは、マイヤだった。
まだ朝六時ぐらいだというのに。
メイドは早起きだな。
「お、おはようございます。早いですね」
「これでも女中の長なのです」
「長ですか、凄いですね。マイヤさんは何でも出来そうですからねぇ」
「いえ、そのような事は」
もしかしたら、体術だって俺より上かもしれない。
彼女は獣人族だし、ありえなくはない。
強いメイド、良いと思います。
「では、ご案内致します」
「え、何処へ?」
「ヴィオラ様が朝食をご一緒にと」
「ああ……」
今日も俺は血を吸われる訳か。
あれはなんというか、気持ち良いのだが、気持ち良さを感じて気絶するから、なんとも言えない感情がこみ上げてくる。
「あ、そうだマイヤさん。僕の眼を見てください」
「眼、ですか?」
俺が頼むと、マイヤが顔を寄せてきた。
甘い匂いが鼻を突く。
思わずキスしそうになるのを理性で押し殺した。
「ご心配なさらないで下さい、悪い影響は御座いません」
顔を離したマイヤが笑顔で言った。
悪い影響は無い、か。
「悪くなくても、何か影響はあるんですか?」
「はい、御座います。傷の治りが早くなります。このまま吸われ続ければ、腕一本持って行かれてもへっちゃらですね」
「人間離れじゃないですか……」
「いえ、吸血を長期間されなければ、元に戻ります」
一瞬、面白いと思ってしまったが、これはシャルルの体だ。
俺が好き勝手して良い訳じゃない。
それに、不死身になんかなったら面白く無い。
スリルが無くなるのだ。
「それではシャルル様、行きましょう」
「はい」
マイヤが歩き出したので、俺はその後に続いた。
食堂に入ると、手前の椅子に座っているヴィオラが、テーブルに突っ伏す姿が目に入った。
俺はヴィオラの目の前に座り、挨拶をする。
「おはよう」
「うむ、良い朝じゃ」
「の割に、冴えない面だな。毛布が恋しいって顔してる」
「む、そこまで分かりやすかったかの?」
「て事は、当たりなのか」
俺が苦笑しながら言うと、ヴィオラは挑発的な笑みを浮かべた。
多分だが、普通の笑顔が挑発的なのだろうな。
それとも、いつも人を馬鹿にしているか。
「吸血鬼の餌はの」
何の前置きもなく、ヴィオラが話し始める。
「血液でもあるが、感情でもある」
「感情?」
「そうじゃ。絶望、焦燥、嫌悪、軽蔑、嫉妬、殺意、悲しみ、怒り、憎悪、罪悪感、劣等感、それらを好むのじゃ」
ネガティブな感情ばっかりじゃねえか。
心の中でツッコンだ所で、目の前に朝食が運ばれた。
小声でマイヤに珈琲をお願いした。
俺は朝食を食べながら、ヴィオラの話に耳を傾ける。
「『餌』と言う事は『取り込む』と言う事じゃ。此方ら吸血鬼は元々は『無』。知っておる事は人の血を吸うことだけじゃった。無、つまりは白紙。此方らはその白紙の心に、吸血する事によって、感情と知識を吸い上げた。結果として、どうなると思う?」
「知識を得ると同時に、白い紙が黒い感情に塗りつぶされた?」
「その通りじゃ。お主、本当に十歳の小増か?」
口の中が朝食の柔らかいパンで一杯なので、首を縦に振る。
「まぁ良い、話を続けよう」
そう言って、ヴィオラはパンを一口食べた。
吸血鬼なのに、食べ物を食べるのか。
ていうか、パンで大丈夫か?
酒とパンは神の血と肉とかって聞いたことあるぞ。
「黒い感情で埋め尽くされた此方らは、当然、その感情の塊となった。吸血鬼は全てに絶望し、焦燥し、互いを軽蔑しあい、人間を嫌悪し、笑うものを妬み、殺意の赴くままに殺し、罪悪感に潰され、果報者を憎悪し、劣等感に悲嘆した。じゃが、ある時、一人の人間が吸血鬼に自ら歩み寄り、こう囁いたのじゃ」
ヴィオラはワイングラスの水を飲み干し、口角を釣り上げる。
「『球蹴りは楽しいぞ。誰かと寄り添い合えるのは幸福だ。初めて見る物には好奇心を擽られる。嫉妬の情には憧憬も混じっているのだぞ。湯に浸かるのは快感だ。飯を食えば満足する。寒い夜は毛布が愛おしくなる』とな。吸血鬼は混乱した。いきなり現れた男が、意味の分からぬ事をベラベラと喋るのじゃ、混乱もしよう。だが、それから吸血鬼は新しい感情を覚えていったのじゃ」
熱弁していたヴィオラは背もたれに背を預け、全身から力を抜いた。
そして、マイヤにより新しく注がれた水を再度飲み干す。
「まぁ、此方が何を言いたいかと言うと、その時現れた男の髪の色が黒だったのじゃ。だからお主に興味を持った。それだけが言いたかった」
「『吸血鬼に新しい感情を教えた男の髪色が黒だった。だからお前を拉致した』で良かっただろ!」
「いやぁ、すまぬ、回り諄い方が好きでの、許せ」
そう言って、高らかに笑うヴィオラ。
俺は後頭を掻きながら、珈琲を啜る。
回り諄い方が好き、だなんて面倒な性格だな。
こいつと会話するのは疲れそうだ。
「いやぁ、久しぶりに喋ったのぉ、お主が来るまで相手をしてくれるのはマイヤばかりじゃった」
マイヤさん、ご愁傷様でした。
「お喋りはこの辺にして、主食をいただこうかの」
主食とはつまり、俺の血だ。
ヴィオラは立ち上がり、俺の側まで歩み寄る。
俺も腰を上げ、ヴィオラと対面した。
「なぁ、俺が抵抗したらどうする?」
「抵抗? そうじゃの……こうする」
そう言って、俺の眼を真っ直ぐ見てくる。
数瞬後、俺は地面に膝を付いた。
俺の意志ではない、勝手にだ。
声も出ない、目も逸らせない、体も動かせない状態だ。
ヴィオラは俺の顔に両手で触れ、親指で撫でる。
そして、俺の首筋に顔を寄せ、牙を立てた。
俺は快感を得ながら気絶する。
数日後、俺は吸血鬼と夕飯を食べることになる。
夜までずっと魔力強化に取り組んでいた。
俺はマイヤに案内されて食堂へと通される。
食堂では、ヴィオラがワインを飲んでいた。
お前そんなの飲んで大丈夫かよ。
「来たな、小僧」
ヴィオラは俺を一瞥すると、グラスのワインを飲み干した。
「なんじゃ、物欲しそうに。飲みたいか?」
「……ああ、お願いするよ」
「マイヤ、持って来い」
しまった。
つい、口が滑った。
未成年飲酒、ダメ、絶対。
「とりあえず座れ」
ヴィオラが俺を座るように促す。
俺はヴィオラと向かい合うように座り、一息吐く。
「今日は頼んじゃったから飲むけど、次からは誘わないでくれよ。禁酒中なんだよ、俺」
俺がヴィオラに告げると、ヴィオラは楽しそうに笑った。
「なんじゃ、お主、まるで酒の味を知っているかのようではないか!」
「知ってるから頼んだんだろ」
「おお、そうじゃった……小僧が酒なんか飲んではいかぬぞ?」
「じゃあ誘うなや!」
ヴィオラは高らかに笑う。
しばらく笑い続け、息を落ち着かせると、表情を変える。
相手を威嚇するような眼。
猛獣よりも鋭い眼光だ。
「はっきりさせておくが、此方はお主よりも上の上の上のもっと上じゃ。対等などとは思うでないぞ?」
「それはどうだろうな? お前は俺を殺せる。なら、俺もお前を殺せるんじゃないか?」
「ぷっ、ハッハッハッ! それは面白い! 此方はお主よりも全てにおいて優れておるというのに、お主が此方を負かすとな!」
楽しそうに、本当に楽しそうに笑うヴィオラ。
笑ってりゃ、普通の女なんだがな。
美人だし、肌は白いし、しかも金髪だし。
「なぁ、ヴィオラ、気付いてるか?」
「何がじゃ?」
「俺の血液には俺の魔力がたくさん入ってる。つまり、俺はここからでもヴィオラを爆発させる事だって出来るんだぞ?」
「何を言っておるんじゃ?」
「そうだな、見せたほうが早い」
俺は立ち上がり、テーブルから離れる。
途中、俺の指先とヴィオラのワイングラスを極細の魔力の線で繋いだ。
俺は両手を広げ、種も仕掛けもない様に見せる。
そして、魔力を送り――ワイングラスが割れる。
「……ほう」
ヴィオラは興味深そうに割れたワイングラスの欠片を拾った。
俺の魔力は感じないはずだ。
俺が魔力の線を消したのだから。
「こういう事だ。お前が俺に首輪を付けているように、俺もお前に首輪を付けれる」
「……面白い、面白いぞ、小僧」
そう言うヴィオラの表情は引き攣っていた。
では、最大の疑問である――何故、俺が魔力を使えたのかについて。
先日、首輪の仕組みを解明するために色々と模索していた。
そこで、俺は魔力が体内でなら操作できる事に気づく。
そして実験だ。
魔力を自分の中で溜めてから、一気に放出させた。
体の中ではしっかりと魔力の塊が作れたのに、外に出したら消えてしまった。
つまり、体の中で魔力の操作はできるが、外には出せないということだ。
なら、答えは簡単。
首輪が放出される魔力を吸収していたのだ。
俺はそこで、ふと『主人公が力を暴走させて、封印を強制的に開く』というシーンを思い出す。
某忍者漫画に良くあったりする。
よく読んでいたので、イメージは鮮明に出来た。
俺は体内に大きな魔力の塊を作り出し、一気に放出させた。
だが、結果は失敗。
今度は魔力を爆発させるのではなく、魔力を放出し続けた。
そう、ナ◯トの赤いチャクラが漏れだすように。
その結果、許容量を超えた魔力が首輪の効果を破壊し、首輪が割れてしまった。
首輪を外すことに成功はしたが、バレてしまえば、強力なのがあった場合そちらを付けられてしまう。
だから、俺は土魔術で似たような首輪を形成し、自分の首に付けているのだ。
そして、俺は先日の首輪破壊実験を思い出しながら、あざ笑うように言う。
「どうだ、ヴィオラ、これは手品じゃないぞ?」




