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お客さんの声が、ピタリと止んだ。
土曜日の十五時過ぎ、店内はお客さんで賑わっていた。
小さな破裂音がした後、店内に流れるクラシックが穏やかに耳に入り込んでくる。
「し、失礼しました」
朋の声だ。
お客さんが帰った後の片付けをしている最中に、食器を割ったらしい。珍しい。
「あの、注文いいですか?」
「あ、申し訳御座いません。ご注文をお願い致します」
完全に注意が逸れてしまっていた。自分もバイト中だった。
二人組みのお客さんは、特に気にした様子もなく注文をし始める。
「デザートセットの、本日のケーキってなんですか?」
「本日はブルーベリーソースを添えた、レアチーズケーキになります」
「じゃあ、それを一つと、あとはパンケーキセットで」
「かしこまりました。お飲み物は何に為さいますか?」
「ミルクティーとココア。両方ホットで」
「かしこまりました。ご注文を繰り返させて頂きます。デザートセットとパンケーキセットに、デザートセットは本日のケーキ。お飲み物はミルクティーとココアをそれぞれホットでお持ち致します。少々お待ち下さいませ」
メニューの台詞みたいな言葉は、基本、お客さんは口にはしない。
団体で来た中で、テンションが高いお客さんくらいしか言わない。こちらも、提供時しか口にはしない。偶に、淡々と口にするお客さんも居るけれど。
一礼をしてから振り返る。店内を一瞥しても、もう朋の姿が見当たらない。割れた食器も綺麗に片付けられていた。
店内は活気を取り戻し、何事も無かったかのようだ。
有線のクラシックも、もう聞き取り辛い。
そのまま直ぐにカウンターに向かった。
「デザートセットで本日のお勧めと、パンケーキセットです。ミルクティーとココアは両方ホットです」
「はーい」
伝えたうえで、手書きの伝票をカウンターに置く。
デザートセットは自由に選べるケーキと、飲み物がセットになっている。今日も厨房の花さんと田畑さんは忙しそうだ。
忙しなさが声に出てこないのは、本当に流石だと思う。
「白雪姫、内居は具合でも悪いのか?」
「その呼び方、止めて下さいよ」
注文を取り終えた佐々さんに、後ろから声を掛けられた。
白井雪なんて名前だから、女の子みたいだとよくからかわれた。滅多に下の名前なんて呼ばれないから、知られると尚更だ。朋だってバイト中は苗字で呼んでくる。
まあ、からかわれるのも小学生の時くらいまでだったんだけど。
十八の男を、そんなあだ名で呼ばないで欲しい。
佐々さんは人をおちょくるのが好きだから、解かってって言ってくるので性質が悪い。見上げると、ニタリと笑う。
だからよく、斎木さんと喧嘩するのだ。
「花ちゃーん、アップルパイとアールグレイのホット。パイって言っても乳の方じゃないからね」
ホールには聞こえないだろうが、厨房には響く。しかも、恐ろしくつまらない発言だと思う。
「佐々さん、セクハラ」
「俺の本気はもっと凄いぜ」
同じように伝票を、先程の自分の伝票の横に置く。
綺麗な濃い木目が浮かび上がるカウンターには少し、注文が溜まってきた。
呆れたように伝えているのに、佐々さんは親指を立ててウインクしてくる。
大体、パイと乳を掛けるなんて、小学生でもしないだろう。
俺と花さんは思いっきり顔を顰めているが、まるで気にする様子は無い。今日は斎木さんと小鳥さんが休みなので、ツッコミをする人が不在だ。朋と田畑さんは笑って見ているタイプだから、頼みの綱はレジに付きっ切りになっている店長しかいない。
でもそれよりも、気になる事があった。
「やっぱり、具合悪そうでしたよね……」
「顔の色が真っ白だったな」
「ですよね」
大丈夫だからと笑っていたけど、やっぱり無理してたんだ。
昨日は、なんともなさそうだったのに……。
「内居君ね、上がってもらったよ」
聞こえていたのか、田畑さんが厨房とカウンターが繋がる場所から顔を覗かせる。
「だから佐々さんは、内居君の分までしっかり働いて下さいね。五番テーブルにティラミスとアイスティー、持って行って下さいね」
「なんで俺だけに言うんだよ」
「白井君は真面目な子だから、言う必要がないんですよ」
「お前、言うようになったな」
「佐々さんのお陰です。早く持って行って下さいね」
「ヘイヘイ」
言葉とは裏腹で優しく笑う田畑さんに、文句を言いながらもしっかり動く佐々さんは、黙っていればインテリに見えるのに。
「田畑さん、あの、」
「内居君、偏頭痛が今日は酷いみたい。本人は大丈夫って言ったけど店長が帰れって言って無理に帰したんだよ」
田畑さんは俺がなにを言いたかったのか、直ぐに解かったみたいだ。返答が早かった。
朋は偏頭痛によく悩まされていた。出先で常備薬を飲むのも、珍しいことじゃなかった。
今飲んでる薬、あんまり効いていないのかな。また、酷くなったのかな。
「……そうですか」
出勤した時に、昨日のキーホルダーを朋は返してくれた。
課題をすると言っていたから、急ぎでなにか作っていたのかもしれない。もしくは、明日には返すと言ったからそれを律儀に守ったのかもしれない。
返すのなんて、いつでもいいのに。
朋は、いつだって変に律儀だ。
「じゃあ、戻るね」と、田畑さんは仕事に戻っていく。入れ替わるかのように、花さんがカウンターの少し低めに作られている場所から控えめに顔を出した。動きが小動物みたいだ。
「佐々君、もう行った?」
「行きましたよ」
「じゃあこれ、デザートセットのレアチーズのケーキとパンケーキと、ミルクティーとココアで両方ホットね」
花さんは、表情がよく顔に出る。佐々さんはそれが楽しくて仕方がないのだろうな。
「ありがとうございます。行ってきます」
カウンターの一箇所は、少し段のように低めに設置されている。花さんの少し小さめの身長に合わせて作られているらしい。
これには、小鳥さんも喜んでいた。
いい香りのするトレーを受け取り持って行こうすると、花さんに呼び止められる。
「さっきね、忙しいのに先に帰っちゃってごめんねって、白井君に伝えて欲しいって内居君が言ってたよ」
「あ、わざわざ伝言、有り難う御座います」
軽く頭を下げると、花さんはふわりと笑って厨房に戻って行った。
タイミングよく、佐々さんが戻ってくる。
「重ねる君との想い出ティラミスって、なんだよな。斎木はアホだろ」
ぶつくさ文句を言いながらも、しっかり仕事をする佐々さん。
「佐々さん!」
「ん?」
「頑張りましょうね!」
「お、おう。あ、注文行ってくるわ」
首を傾げ不思議そうな顔をしながら、佐々さんはお客さんの注文を聞きに直ぐホールに戻って行った。
自分もデザートセットとパンケーキセットをお客さんに届ける為、ホールに足を踏み込む。
あと一時間もすれば、忙しさは緩和されるだろう。




