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境内では、桜が散り際だった。
清掃が行き届いているからか、桜の花弁は地面を覆うことはせずに小さく辺りを舞っているか、隅の方で茶色掛かり山を幾つか作っているだけだった。
桜の木は葉が目立ち、春を終える準備をゆっくりと始めている。
今年は開花が遅いのに散るのは早かった。
春の嵐が、それを早めてしまった。
高校一年の夏から友人の紹介で始めたアルバイトは、今年で、四年目を迎える。
人の入れ替えは殆んど無いものの今年は新人が一人増えて、俺は先輩と云う立場になった。
とても真面目で飲み込みの早い後輩は、今日は午前シフトだけだと言っていた。
四月が始まって三週目の土曜日、大学の講義は午前の早い時間に終業した。
今日のバイトは午後からのシフトの為、まだ出勤までには充分な時間がある。
一度自宅まで帰ろうとした俺は、近所で数ヶ月に一度、といっても不定期に開催されるフリーマーケット会場に足を運んでいた。
そんなに人が集まっているわけでも出店数が多いわけでもない。蚤の市に近いと言われる様になったフリーマーケット会場に立ち寄ったはいいが今回は別段、気になる物がなかった。
フラフラと見て回っていると不意に、小さなキーホルダーが目に留まった。
視線と共に、足も止まる。
立ち止まっていると、それに気が付いたブルーシートに残り数点程の衣服等を並べた店の主に声を掛けられた。
「良かったら、持っていってよ」
衣服の他に、隅の方に置かれていた髪ゴムだの玩具の指輪などが折り重なるように幾つも入れられた箱を、目の前に差し出された。
「あ、いえ、あの」
言い淀む自分にほっそりとした、母親と同世代程の女性は片膝を折り曲げて立ち上がった。
「お金要らないから、箱ごと持ってちゃっていいよ。もう片付けちゃうから」
にこりと笑われ、更に箱を顔付近まで近付けられた。思わず片足を、一歩引いてしまった。
笑顔の崩れない中年の女性にそれならと、気になっていた小さな木彫りの狐のキーホルダーを箱から摘み上げた。懐かしいタイプの金具が取り付けられていた。
小学生の時までは良く見ていた金具だった。丸金具の、何て名前だったっけ。
「これ、頂きます」
「待って、それだけでいいの? ねえ、この絵皿も持っていかない? 重いのよ、ね」
「あ、じゃあ、あの、戴きます?」
女性は、笑みを深くした。
手早く絵皿を紙袋の中に入れて、二重にされた紙袋を手渡された。紙袋の大きさだけ、ズシリと重い。
一円も出さずに、大きめの絵皿二枚とキーホルダーを貰ってしまった。
紙袋には此処からは遠い、有名な温泉地の名前が印字されていた。
「すみません、こんなに」
軽く頭を下げると、女性に肩を軽く叩かれた。
正確には、乗せられただが。
「私ね今日、自転車で来てるのよ。助かったわ」
荷物を少なくしたかったらしい。そう、向けられている笑顔から感じ取れた。
こちらも小さく笑ってからもう一度お礼を伝え、その場を後にした。
女性は、近所で見掛けたことのある人にも見えた。ここ数年で集合住宅が増えたから、何処かですれ違ったことが有るのかもしれない。むこうは多分、そんな風に思っていないようだったけれど。
境内から出る為に必要な石畳の階段は、覆われた新緑で足元が少し薄暗い。最後の段に両足を下ろしてから、空を眺めた。
まだ陽が高く見えるが、腕時計の時刻は正午をもう過ぎていた。
最寄り駅から自宅まで徒歩で十五分と近いのか遠いのか解からない距離感の為、自転車か徒歩にするかはその日の気分次第で決めている。
寄りにも寄って、今日は徒歩だ。
「お、重い」
自転車で来れば良かった。
紙袋の持ち手も底も破れそうになるのを防ぐため抱え込み、自宅へと足を速めた。
腕時計の秒針は遠慮なしに等間隔で進んで、アルバイト先にギリギリの時刻に出勤するはめになった。




