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初恋のあの子

作者: 杏羽らんす

『初恋のあの子』


 飲み屋の賑わいは最高潮に達していた。

 総勢三十余名。騒いでいる者、静かに場の空気を噛みしめている者、友人との会話に花を咲かせる者。皆が思い思いに、十年ぶりの再会を楽しんでいる。


 今日この日は、中学の同窓会が開かれていた。卒業から十年の節目ということで、当時からクラスでもイベントに積極的だった数名の元生徒が企画を立ち上げ、実行に移されたというわけである。


 急な召集だったし、俺もやっと仕事に慣れてきたかなあという具合で、まだまだ忙しさに追われる身なので最初は乗り気ではなかったのだが、いざこうして集まって、久方ぶりに旧友と顔を合わせるとやはり気分は高揚する。

 俺もすっかり、同窓会を楽しんでいるうちのひとりなのであった。


「おーい、大助。また注文するんだけど、何かいる?」


 注文係に問われ、適当に酒を頼む。そしてまた友人たちとの談笑に戻る。と、


「よう、久しぶりだなあお前たち。お、大助じゃないか、元気にやってるか」

 ひしめく人の隙間を縫って、俺たちの席へとやって来たのは当時の担任、高橋先生だった。


 体育会系の厳しい先生だったが、生徒思いで信頼も厚く、俺たちは彼のことをずいぶんと慕っていた。浅黒い肌と筋肉質の体に角刈りというのは当時のままだが、髪には白いものが多く混じり、しわも増えたように感じる。


「お久しぶりです、先生。色々大変ですけど、なんとか元気にやってますよ」


「そうかそうか、まあお前たちはまだまだ若いからな。大変なことも多いが、乗り越えるだけの力もたっぷりあるだろう。おれなんかはもう歳ですぐ息があがっちまう。お前たちが羨ましいぜ。ははは」


 豪快に笑いながら先生はぐいっと酒を飲み干した。


 先生は他の生徒たちともいくつか言葉を交わす。話題は他愛もない世間話へと移っていく。


 そして、結婚の話題になったとき、


「そういや、大助。お前、良い人はいるのかよ」


 先生はまた酒をぐいと飲みながら、俺に訊いた。


「全然です。いませんよ。結婚相手の前に……まず彼女を探すところからですね。といっても仕事が忙しくて、時間も出会いもいったいどこにあるのやらって感じですけど」


「おーおー。愚痴るじゃねえか。一人前になりやがって」


「まだまだ半人前です。会社じゃ怒られてばっかりで」


「ははは。まあ、そんなもんだ。今日は仕事のことは忘れろよ。同窓会なんだ。面倒くせーことは置いて、ぱーっとやろうじゃねえか」


「そうですねぇ」

 俺は溜め息をひとつ吐き、

「恋愛かあ……。俺には縁遠いなあ」

 なかば独り言のように呟いた。


「なんだよ辛気臭いなあ。大助、昔もそうだったがな、お前はちっと自信を持たなすぎるぞ。もっと堂々と胸を張って、やることやってりゃあ女も自然と寄ってくるってもんだ」


 先生が説教臭く云った。酒のせいもあってか、俺は落胆気味に、

「根拠のない自信はただの虚勢ですよ。ハリボテを並べ立てたって、突っつかれたらあっさり崩れます」


 などと言い返してみる。すると、


「なんだなんだ、根拠ならあるぜ。実はな、お前はクラスじゃ結構モテてた方なんだよ。というのも……」


 いわく、当時高橋先生は生徒から信頼されていたので(自分で言うのもどうかと思うが)色々と相談を持ち掛けられていたらしく、その中には恋愛絡みのものもあったらしい。


 そして、ある女子生徒が、俺のことを好いていたと云うのだ。


 俺はその女子生徒が誰なのか気になり、


「その『ある女子』っていうのは誰なんですか」


 と、問うたものの、


「んー、えっとなぁ……あいつだよ、あいつ……」


 飲み過ぎたのか先生も酔ってきたらしく、話が要領を得なくなっていた。


 なんとか最後に、


「あいつだよ……あーっと、さくらだよ、さくら」


 と聞き出すことには成功したのだが……


 しかし、それによって新たな疑問が浮上してしまった。



 ――さくらさんって、誰だっけ。



 そのさくらさんとやらの顔が俺にはどうにも、思い出せないのであった。




       ◆◆◆




 酔いがまわってきたのは俺も同じだった。

 意識はまだしっかりしているが、ここらで外の風に当たっておこうと思い、俺はひとり店の外へと出た。


 入店口のすぐ脇には、木製の長椅子が置いてある。

 そこに腰をかけ、ぼんやりと夜空を眺めていたときだった。


「あっ――。大助くん、だよね……?」


 女性に声をかけられ、振りかえるとそこには、


「そうですが、えっと……ああ! 秋菜さん?」


 中学時代のクラスメイトの新野秋菜(にいのあきな)さんがいた。大人になっていても面影は残っていたのですぐにわかった。それに、彼女のことはよーく覚えている。

 忘れるはずがない。


 彼女は、俺の初恋の相手なのである。


 幼稚園児や小学生の頃に抱くような、なんとなくこの子が好きというものではなく、純粋に異性として初めて意識し、好きになった女性、それが新野秋菜なのだ。


 ありていな言葉だが彼女はとても可愛らしかったし、思いやりがあった。それに清純で、素直で、明るくて、いわゆる非の打ちどころのない女の子だった。それ故に男子生徒からの人気も高く、俺もまた彼女のことを密かに思う男どものひとりに留まるだけで、けっきょく思いを打ち明けることなく卒業をむかえて初恋は終わったのだが。


「ひさしぶりだねぇー。隣、すわってもいいかな」


 にこりと、昔の可憐さはそのままに、大人の女性の魅力まで兼ね備えた反則的な笑顔で彼女は訊いた。もちろんOKする。


「どう、最近は。元気にしてた?」


 ついさっきも誰かからされたような質問だなと思ったが、しかし返答まで同じにならないのは人間の不思議である。


「元気にやってるよ。というか無理にでも元気でいないとやってられないというか。今の仕事始めて何年か経つけど、次から次へと課題が増えてくような感じでさ。仕事に追われるってこういうことなんだなぁって痛感してるよ」


「そっかあ。大変だよね。でも頑張ってるんだ。偉いね」

 秋菜さんは優しい笑みをむけてくれる。


「偉くなんてないさ。やって当たり前。できて当然。そうじゃなきゃダメ。そんな感じだよ。俺なんて全然……」


「ううん、そんなことないよ。自分で自分を褒めてあげなきゃ。昔から大助くんは頑張り屋さんだったけど、すごく自分に対して厳しいところあったから。褒めるところは、しっかり褒めてあげよ?」


 まんまるとした大きな瞳で、まるで子どもを叱るように彼女は見つめる。


「そう、だね。たしかに、秋菜さんの言う通りかもしれない」


「それでよし。偉いえらーい」


 そう云って秋菜さんは笑った。つられて自分も笑う。


 そんな風にして、他にも色々と言葉を交わした。


 中学生だった当時、こんなことが流行っていたねとか、あの行事ではあんな出来事があったねとか、同窓生だからこそ伝わる懐かしい会話の数々を交わした。


 なんとも不思議だった。当時は、好きな女性である秋菜さんを前にすると舞い上がってしまってうまく話すことができず、声をかけられてもそっけない返答しかできなかったというのに、今はとても自然に、すらすらと話すことができた。


 同窓会という特別な場を与えられたおかげなのか、再会の懐かしさや嬉しさが自分を後押ししてくれているのか、それとも自分自身が成長したのかはわからないが。


「そういえば――」

 秋菜さんがふと、思い出したように云った。

「大助くんはもう、奥さんとか、いるの?」


 どきり、とした。心音が大きく、そして早くなったのが自分でもわかった。早計なのは自分でもわかっている。それでもやはり、心の奥底で、初恋の相手である秋菜さんを思う気持ちというのは燻っている。そういった質問をされれば、胸がざわつくというものだ。


 俺はできるだけ自然に、

「まさか。いないよ。奥さんどころか、恋人さえいない。寂しい男はつらいのさ」

 冗談めかして、少しおどけ気味に肩をすくめてみせた。


「そう、なんだ」

 一瞬、秋菜さんは顔を伏せたあと、なぜか少し切なそうな顔で俺を見ると、

「でも大助くんなら、その気になれば、きっとすぐ良い人見つかるよ」


「そうかねえ」


 俺は間延びした声で相槌を打つ。秋菜さんは動じずに、


「うん。中学の頃だってね、大助くんのことを好きなひとって結構いたんだよ」


「嘘だあ」

 まさか、と俺はアメリカのコメディアンよろしくハハハと笑ってみせた。


 しかしそこでふと、思い出した。

 さっき店の中で先生と話したときに訊かされた、俺のことを好きだったという女子生徒「さくら」さんのことを。


 さすがに中学時代のクラスメイト全員のことを覚えているほど俺の記憶力は強固ではない。男友達はわりと覚えているのだが、女子となるとずいぶん限られたひとしか思い出せない。なので心当たりがないのだが、もしかしたら秋菜さんの方は覚えているかもしれない。やはり女子は、女子の友達の方をよく覚えているだろうし。

「ねえ、秋菜さんはさ……さくら、ってひと知ってる?」


「えっ……」

 秋菜さんはきょとんと目を丸くし、意表をつかれたような、静かに心の中で驚いたような顔をしたあと、


「えっと、さくらっていうのは――」


 こう答えた。



「――私のこと、かな? 私、結婚して佐倉秋菜になったから」



 そう答えた。




       ◆◆◆




「け、結婚……?」

 俺は驚きを隠せなかった。バクバクと心臓が血液を乱暴に送り届けているのがわかる。嫌な汗が噴き出してシャツに染み渡っていく。


「うん。半年前にね……結婚したんだ、私。名前が秋菜だから、よくまわりの人から秋なのにさくらかよってツッコミを入れられちゃって」


 秋菜さんはおかしそうに笑っていた。俺も笑っていた。心で泣きながら、しっかりと笑ってみせた。


 やがて笑いがやんだあと、秋菜さんが、

「でも、どうして大助くんがそれを……? 結婚の話題っていやでも注目を浴びちゃうでしょ? 私、あまり目立ちたくなかったから、結婚のことを知ってる友達にはこの事は言わないようにって頼んでおいたのだけど……」


「えっと、先生から、その、聞かされて……」


「えっ! 先生が? あ、そっか……先生酔っ払ってたから、そのときに口が滑っちゃったのね」


 秋菜さんは、思案顔で、

「さすがに先生にはちゃんと報告しなきゃと思って教えたんだけど、そしたら先生面白がって私のことを、ようさくら! 元気かさくら! ってふざけて苗字で呼ぶようになっちゃって」


 秋菜さんは再びくすくすと可愛らしい笑いを見せてくれた。


 なるほど。「さくら」というのは名前ではなく苗字で、それも当時クラスメイトだった秋菜さんの旧姓と改姓を、酔っ払った先生がごっちゃにして話していたということか。


 俺も笑おうと試みたが、苦笑いが精いっぱいだったかもしれない。


「それじゃ――。そろそろ私は中に戻るね」


 彼女はゆっくりと椅子から腰をあげると、自身の唇にひとさし指をあて、


「私の結婚のこと。他のみんなには、内緒だよ」


 とびきりのスマイルを残して、その場を去っていった。



 冷たい夜風が吹いた。


 俺はポケットからケータイを取り出し、時刻を確認した。

 ちょうど0時。日付も、曜日もかわる。


 日の文字が月になっている。


「さて……もう日曜も終わり、か。夜が明けたらまた、仕事だああああ!」





     /初恋のあの子・了


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