2月15日手記を始める
トリストラムの受験番号を248260に変更しました。
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家に帰る頃にはすっかり日が沈んでいた、玄関を入ると重苦しい雰囲気が屋敷中を満たしている
あー…マルクの奴が落ちたからか。
何となく察すると俺は封筒を片手に、部屋に上がろうとしたが、執事のジェンキンスに呼び止められた。
「お帰りなさいませトリストラム様…旦那様がお呼びですよ。」
相変わらず事務的な対応だが、俺はこの家で一番マシな人間はこの執事だろうと思っている。
こいつは良い意味で干渉や、嫌がらせとか子供っぽい事はしないが、必要以上に接しない姿は好感がもてた。
ふと、妹付きのメイド達が此方にやって来たのが見えたが、奴等は俺に対して「お帰りなさいませ」とか言わない。妹に「家畜に敬意は不要よ。」と言われているから俺には敬意を見せない。まあ、主人の命令や意思は絶対だからな。
普通なら庶子だろうが男爵家の次男坊に対してする態度じゃないのだが、何故かここはその無礼もまかりとおるのだ。まあ、慣れたから良いけど。
ジェンキンスとは違い、俺にこちらを不躾に見て、コソコソと何か喋って俺の手元の封筒に視線を向けている。
恐らく俺が持っている封筒が、合格者しか貰えないサンマルクトコルグ大学院の封筒だと気付いたのだろう。
厄介だな。
「わかった。男爵はどこに?」
ジェンキンスも、封筒に気がついていた様だが、ポーカーフェイスで「食堂です」と短く教えてくれた。
結局コートだけジェンキンスに預けて食堂に行くと、既にウィロー家の面子が勢ぞろいしており、
二人の異母兄妹と義母にあたる親父の正妻が食事をとっていた。当然の如く俺の食事はない。まあ、教会で食べて来たから腹減ってないし良いけど。
親父は口元をナプキンで拭うと、憤怒の形相で俺を睨み付けた。
あー、明らかに機嫌悪いな。デップりした顔が怒りで真っ赤にそまり、湯気がでてきそうだ。
「こんな時間まで何処をほっつき歩いていた。」
「リュシア司祭様の所で夕御飯をご馳走になっていました。嘘だというなら司祭様に聞いてみて下さい」
「っふん、座れ!お前に話がある」
嘘ではないし、だいたい俺がこの時間に帰ってきても、俺に興味がなくて今まで何も言って来なかった癖に今更なんなんだ?
と言いたくなったが何となく察した。期待の長男が大学院に落ちて、その憤りを俺にぶつけたいだけだろう。
まあ、体のよいサンドバッグか何かなんだろうな。
「…ちょっとトリストラム、あんた何持ってんのよ。」
俺の持っている封筒に目ざとく反応した異母妹に、俺は内心舌打ちしたかったが、おくびにも出さず。無視する。
本当はジェンキンスに預けるか、自分の部屋に置いてくるのが妥当だろうが、この妹のメイド達にまこの封筒を見られている。
見られた以上、報告が妹に行き、妹から親父かマルクのどちらかに行くのは自明の理だ。
ならば今、きちんと言っておいた方が良いだろう。後で色々詮索されるよりかはマシだ。
俺は下座の席につくと封筒をテーブルの上におき、テーブルの先頭に鎮座する親父に眼を向ける。
「…で、わざわざ俺を呼びつけて何のようです?」
「お前の、学校を卒業後の進路について言っておこうと思ってな。どうせお前の事だ、進路が決まっていないだろう?この私が決めてやったから感謝すると良い。」
ああ、成る程。マルクが落ちたから、ようやく俺に目が向ける気になったか。迷惑なことに俺の進路も勝手に決めてくれたようだ。
どうせ地方か、他国の大学に留学させて厄介払いしたいのだろう。魂胆が見え見えだ。
「申し訳ありません男爵。実は既に進路は決めております。」
「な、まさか進路を既に決めていたのか!?」
「はい。寮暮らしになるので今月中にはこの屋敷から出たいと考えています。」
親父はその言葉に嬉々とした表情を浮かべた。やっと厄介者が居なくなるといった心境なんだろうが、俺の進路を聞いたらそうも言っていられなくなるだろうな。
「で、何処に合格したのだ?」
「サンマルクトコルグ大学院です。」
その言葉に、場の空気が凍った。
こちらを見ようとすらしない義母のミリアとマルクの眼はこれでもかと見開き、こちらを凝視している。
「は、何言ってんだか。もう少しマシな嘘をつきなさいよ。」
「残念ながら嘘ではない。入学手続きと入寮手続きは既に済ませてきた。これが証拠になるかわからんが、入学案内を貰ってきたぞ」
テーブルの上に乗せていたサンマルクトコルグ大学院の校章いり封筒を持ってみせると、糞生意気な異母妹は絶句した表情を浮かべた。
「あ、あんた!!いつの間に受けたのよ!」
「いつの間にって…普通に受けたが?みんなマルクの受験で忙しかったみたいだから、自分で受験の準備したんだが…きづかなかったのか?」
周りにいた給仕の召し使い達から「お前、気づいたか?」「いや、お前こそ」とか言うと囁く声が聞こえてきた。
「馬鹿な!受験の書類には保護者のサインも必要なはずだ!私は書いた覚えはないぞ!!」
「 わたくしもですわ。」
疑うような眼差しを向けてくる義母と親父に、俺はわざとらしいくため息を溢す 。
「お二人とも、マルクの受験やらパーティやら、とてもお忙しそうだったので、俺の事でお手を煩わせてはいけないと、名付け親のリュシア司祭様にサインを頂きました。」
「なっ!?」
「なんですって!?」
確かに、受験の書類には保護者の署名が必要だが、必ずしも親に限られたわけではない。
受験生の中には身寄りのない者や、孤児もいる。だから、身近な第三者の署名も認められている。特に教会の聖職者の署名であれば信頼性はあがるからアッサリ受験を認められるだろう。
「因みに、どこの科に受かったわけ?」
「文学科…て言えたら良いんだが残念ながら魔導科。」
「ば、馬鹿なお前が受かっただと…!?何かの間違いだ…そうだ!」
「そ、そう、そうですわ!魔術の才の欠片すらないお前如きが受かるはずありませんもの。」
「…それは俺も思いましたよ。どうあがいてもできるのは中級魔法三発が限度ですからね。だから文学科を目指して猛勉強してたんですけど何故か魔導科枠で受かったんです…こればかりは合格者を選定した七賢者に聞かなきゃわかりません。」
「聞くまでもないわ!あちらが間違えたのです!抗議しなければ腹の虫が治まりませんわ!あなた、直ぐに馬車の手配を!」
「行っても無駄ですよ。…間違えるはずないですから。」
七賢者とはこの場合七科の学長の事を言う。創設者の七賢者に準えてそう呼ばれている。
合否を決めるのも彼らであり、国の皇帝ですらその決定に介入はできない。
それに、学長もとい七賢者の爺さん達が耄碌してたとしても、マルクと俺が間違える事は根本的にない。と言うかありえない
それをマルクも義母も気づいてはいない。
「んまあ!なんて生意気な!貴方からも何か言ってやって下さいまし!!」
さらりと返した俺の言葉に更に二人は、直も言い募ろうと席を立ち上がったが、親父が顔を青ざめて俺を見ている事に気がつき、二人は「え?」とした表情を浮かべた。
そりゃそうだろう。傲岸不遜を絵にかいた親父だが、伊達に宮廷魔術師しているわけじゃない。俺が言っている事が事実だと解っているから何も言えないだろう。
そんな父親の表情を今まで見たことがないマリアンは、困惑を隠せなていないようだ。
「…そう、無理なんだよ。」
「ちょっと!家畜!私達にわかるように説明しなさいよ。」
「うーん、根本的に七賢者が俺とマルクを間違える事ができないんだよ…サンマルクトコルグ大学院の受験は受験者が多いので四回に分けられているのは知っているな?」
その問いにマリアンは頷いた。そりゃあ彼処の受験は一種の風物詩だからな。
他所の国からも受験生が来るほどだ。特に1回目と2回目の受験日はお祭り騒ぎにる。小さい子供ですら知っている常識だ。
「王都内貴族の通う上級高等学校の生徒達を中心した一回目。王都内の一般高等学校の生徒を中心にした二回目
地方から出てきた高等学校の生徒を中心にした三回目
そして国外からきた留学目的の学生を中心にした四回目。
それぞれ採点のために二週間ずつ間をあけて行われる。」
「それが、どうだって言うのよ!!」
まだ、9歳のマリアンにはわからないのみたいだが、マルクは気がついたようで、体をわなわなと震わせている。
やっと気がついたか。気づくのが遅い。
「上級高等学校生のマルクが受けたのは第一回目。一般高等学校生の俺が受けたのは第二回目。
つまりだ、俺が受験を受けている頃にはマルクの合否は決まっていたって事になる。」
それは受験生番号で既にわかるようになっている。
マルクの場合、一回目だから頭の数字が1、俺の場合は二回目だから頭に2の数字がつく。
それに不合格と決められた人間の書類は合格者と混ざらないように即時破棄される。
よって、俺とマルクが間違えられることはありえない。
「俺が言っている事は嘘ではじゃないぞ?受験案内のパンフレットの第六項の四行目に書かれている。なんなら、受験票を見せようか?」
「お、お黙り!もう聴きたくないわ!!そうよ、大学院が間違えたのよ。わたくしのマルクが、わたくしのマルクが、大学院に落ちるわけがないわ。お前、マルクの書類に小細工かなにかしたのでしょう!薄情しなさい!!」
初めて喋った義母は眼を血走らせ、俺のところにまでくると、手を振り上げ思いっきり俺の頬をひっぱたいた。
俺はよろけて、椅子のひじ掛けに手をつき、頬に手をあてると、指にうっすら血が付着していた。
叩かれた時に義母の爪が頬を引っ掻いたらしい。
「お言葉ですが書類監理をしていたのは男爵と貴女だ。俺が細工なんてできるはずがない。」
「っ辞退しなさい!嫡子であるマルクが合格しないで、庶子のお前が合格するなんてあってはならない、あってはならないの。あの女の子供が…わたくし達の夢を叶えるなんて…この恥知らず!今まで引き取ってやった恩を仇で返すなんて」
キンキン声で叫ぶに義母の言葉に俺は眉間に皺をしかめた。
「すいませんが、それは無理です。入学手続きを済ませたと先程説明したじゃないですか…今更できませんよ。」
「っおだまり!このっ…このっ…薄汚い妾の子供の分際で…この、わたくしを…この侮辱するなんて…そんなことっ許さ…」
「母上!!」
「お母様!!」
その現実を受け入れられないのか、ショックで義母はその場で気絶してしまった。
駆け寄るマリアンとマルクを無視して俺は頭を抱える親父に眼を向けると、親父は忌々しいと言わんばかりに睨み付ける。
「…男爵。」
「話しかけるな。お前をどうにかしてしまいたくなる。」
「………。」
「…待て。」
呼び止められ振り向くと、親父は立ち上がり、ゆっくり歩きながら俺の目の前に立つと胸ぐらを掴み、鼻がつく距離まで顔を近づけると、俺の眼をギッと睨み付ける
「っ…卒業までの生活費は出してやる。研究費も必要とあらば出してやってもいい。」
「父上!?」
「お父様…?」
吐き出すように言うと、親父は俺の胸ぐらから手を放す。
「但し、もう二度とこの屋敷を跨ぐことは許さん。その面を私とミリア達の前に出してみろ…ただじゃすませないからな。」
「……。」
「…お前との縁は…今日ここまでだ。」
そう言うと、親父は背を向けて義母の方へと歩いていく。俺は無言で親父の背中に深く頭を下げると、食堂を後にした。
親父としては俺が合格した事が余程堪えたらしい。俺の母親を遊びのために囲って気まぐれに捨てた罪が、今になって仇となって自分に返ってきた…と言う気分なんだろう。
こいつはそう言う奴だ。一度たりとも俺の事を息子だとは思わず、自分の過去の過ちとしか思っていない。
後悔するのは勝手だが、俺と母親からしたら良い迷惑である。
別に正妻のミリアやマルク、マリアンを苦しめたいとか、考えちゃいない。人に恨まれるのも、人を恨むのも面倒なだけだし、そんな無駄な気力を回すほど俺は器用じゃない。
なのにこれではまるで、復讐劇の主役か、悪役ではないか。
ただ受験して合格しただけで、こんな茶番劇を繰り広げられる家庭はうちだけだろう。
いびられてきた妾の子が正妻の子供を打ち負かして、ギャフンと言わせるなんて、それこそどこぞの小説みたいな展開だが、実際やったこっちは胸くそ悪い。
だって意図的にやった訳じゃないし。意図的にやってたらそれこそあの連中に向かって高笑いしてたろう。
マルクだって俺だって努力した結果が今回の結果だ。笑う気も起きないし、それを誰かに言うつもりもない。
あー…やっぱり面倒な事になった。
あのおばさん、絶対に何かしてくるよ。地下ギルドで殺しを平気で生業にする輩とか雇って闇討ちとかしそう。
卒業まで生きてるかな…俺。
足取りを重くして部屋に戻ると、俺は荷造りを始めた。大きな鞄に数日分の服と、下着、勉強道具と愛読書をつめる。
勉強机の引き出しの中に入れてあった母さんの肩身の懐中時計を取ろうと引き出しを開けると、数冊の大学ノートが入っ
ていた。
3日前にノートを切らしたから補充を頼んでおいたが、恐らくジェンキンスが補充しておいてくれたんだろう。さすが、執事の鏡だ。
ついでに荷物の残りもジェンキンスに頼んで寮に送って貰おう。
そう決めて大学ノートをパラパラとめくっていると、受験の頃を思い出す。数学や、いろんな語学をノートがすりきるまで解いていたっけ。
俺は羽ペンを取ると、ペン先にインクをつけて、今日あった出来事を書き記していく。
そうだな、メモみたいな感覚だったと思う。今日あった出来事や心境をメモして起きたかっただけなのだろう。
しかし、後にこの軽い気持ちで書き始めたメモが、八十冊にも及ぶ長い日記の始まりになるとは
この時の俺は知らずに、ただペンを走らせていた。
余談ですが
異母妹のマリアンの年齢は10歳ぐらいです 外見はフランス人形みたいですが、超生意気です。