変わらないアイツの悪いところ
「よっ」
家が近いというのは本当に不便だとユキは思う。
通学の時間帯をいくら変えても、こうしてばったり会ってしまうのだから。
「……おはよう」
「おはよー…ってか朝早くね?」
早朝のランニングをする人ぐらいしか見かけない静かな朝の住宅街。
お向かいさんの犬が時々吠えるぐらいしか音が聞こえない。
久しぶりに対面する二人の間に冷えた空気が流れる。
いや、そう感じるのはユキだけなのだろう。
昔から鈍感で人の機微に疎い当の幼馴染みは能天気に挨拶をする。
肩からずり落ちる鞄など気にせず、だらしなく欠伸をして。
久しぶりに会うユキに対してなんとも思っていないのだろう。
昔は何故男子達が幼馴染みのこいつに意地悪をするのか分からなかった。
その泣き顔が可愛いから男子がいじめるのだと、今なら失笑してしまうようなことを考えていた時期もある。
少し大人になった今なら分かる。
良くも悪くも天然で、無神経。
幼馴染みのこういうところが人を苛立たせるのだ。
欠伸しながらケンタは腕時計を見た。
初めて見る時計に、朝から胸焼けするような気持ち悪さを覚える。
ユキが昔贈ったキャラクターものの腕時計はもう捨てたのだろうか。
翌年に誕生日プレゼントとしてケンタから贈られた四葉のクローバーの腕時計を、ユキは背中に隠した。
「まだ七時にもなってないじゃん~」
寝癖でぼさぼさの髪をかきながらケンタは不思議そうに眉を寄せた。
明るく染められた髪はしっとり濡れている。
普段はワックスで逆立てている髪も今はおとなしい。
久しぶりに見る幼馴染の下ろした前髪、耳の横でぴょんっとはねるクセ毛。
学校で見せる派手な姿とは違う、どこか温かくて子供っぽい姿。
無防備でだらしのない姿に、反射的に鼓動が跳ねるのが分かった。
だが頭は常に冷静で、冷めた考えしか浮かばない。
高校に入ってからお洒落に並ならぬ力を注いできたケンタが皺くちゃのシャツと何も整えていない髪で家の前にいるのだ。
またか、と内心でため息を吐く。
ため息を吐く権利などないことは分かっていても吐かずにはいられなかった。
「こんな早くに学校行ってどーすんの?」
「……別に」
あんたには関係ないと冷たく拒絶できればいいのにと、切に思う。
それが出来れば苦労はしない。
そんな自分が一番ムカつく。
「……部活で朝のミーティングがあるから」
「マジ?きっつ~」
あんたに会いたくないからと言ったら、こいつはどんな顔をするのだろう。
少しは驚くだろうか。
傷ついてくれるだろうか。
口から出たのは大嘘だったが、根が素直な幼馴染はまるで自分のことのように嫌そうな顔をする。
部活で放課後残ることは多いが、人数が少ない文芸部が早朝ミーティングをするはずもない。
馬鹿正直で疑うことを知らないのは幼馴染みの美点であり欠点だ。
今の学校の連中にはそれがどうやら美点として魅力的に映るらしい。
顔が人並み外れて良いというのが大きい気もするけど。
「俺ももう学校行くかなー……家で二度寝しようと思ったけどさ」
眠たそうに目を擦りながらケンタは軽そうな学生鞄を担ぎなおした。
幼馴染みは嬉しいことがあると必ずユキに報告するという悪い癖があった。
本人が気づいているかどうかは知らないが。
たぶん気づいていないのだろう。
「昨日、そのまんま彼女の家に泊まったから朝帰りなんだー」
「……あっそ。相変わらずラブラブなことで」
「ふっふーん。いいだろー♪」
陽気に鼻歌を歌う幼馴染みとは対称的にユキはさーっと血の気が下がるような感覚に襲われた。
身体が寒い。
また、朝帰りだとは言うことは分かっていた。
それは、つまり、そういう関係でそういうことをして来たということだ。
当たり前だけど、ユキの知らない所でユキでない女と。
不思議なことに、それを幼馴染みの口から聞かされるとどうしようもなく胸が痛くなる。
彼女が出来てから、一体何度同じ痛みを味わったのだろう。
いい加減、慣れればいいのに。
寒さで震えそうになる手を誤魔化すようにユキは拳を握った。
理由は分かっている。
ただ認めれば一気にどん底に落ちてしまう。
変わって欲しくないものはすぐに変わってしまうというのに、どうして変わりたいと願うものはいつまでも変わらないのだろうか。
今も昔も変わらずユキは弱虫のままだ。
ケンタは上機嫌にユキの隣りに並ぶ。
本当にそのまま学校に行くらしい。
にこにこと満面の笑みでユキに得意気に報告するのは昔と何一つ変わらないというのに。
今は、ひどく憎らしい。
いつだってユキにふわふわした幸せな感情を与えるのはこの幼馴染みだった。
それと同時にちくちくするような不安や痛みを与えるのもこいつ、ケンタだった。
「…服、昨日のままじゃん。汚いから換えてきなよ」
「あー…確かに。下着はコンビニで新しいのに換えたけど」
「知らないしそんなの……もう私行くから」
これ以上ここにいたら吐くかもしれないと思うほど気持ち悪いのだ。
喉から胃液が逆流しそうな、なんとも言えない不快さに頭がくらくらする。
嫌な汗でじわっと背中が冷たい。
ぐるぐると頭の中は下衆なことで埋め尽くされている。
そんな自分がすごく嫌だった。
(下着は換えましたか、そりゃそうでしょうね……)
「待てよ」
「学校行ってもやることないでしょ。家で二度寝したら?」
精一杯の嫌味のつもりだった。
「久しぶりにユキに会ったからさ、一緒に行きたいんだよ」
馬鹿には通じないことも分かっていた。
前を向いて歩こうとしたユキはその暢気な声に叫びたくなる。
罵りたくなる。
イライラする。
ユキの鞄を掴み、一人で学校行くのも寂しいじゃんと昔と変わらない能天気な笑顔を見せる幼馴染に、ひどく腹が立つ。
理不尽な感情だと分かっている。
分かっているのに、抑えることができない。
逆らうこともできない。
吐き出すこともできない。
憎憎しいという醜い感情とともに気まぐれなその言葉に、喜びが溢れて止まらない。
本当に、どうしようもない。
ユキも、ケンタも。
「すぐ着替えるから待ってろよ」
そう言って見慣れた玄関に消える後姿。
昔は、何度もあの玄関を一緒にくぐった。
朝も昼も夜も、その次の日も。
二人で手を繋いで当たり前のようにただいまと言って。
すぐと言いながら、髪を整え終わるまであと何分も待たなくてはいけない。
早起きしたユキのことなど考えもせずに、いや、むしろ途中で忘れて二度寝をする可能性もある。
悪気など一切ない、あいつは昔から弱虫のくせにどうしようもない馬鹿で、だから自分に馬鹿正直なのだ。
本当、
「惨めだわー……」
思わず口から出た本音に、嗤うしかない。