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第399話 泣き出した男 1

 その若い整形外科医は泣いていた。

 自らの不運を嘆いていたのか。

 それとも自分の力不足が悔しかったのか。


 オレが医療事故調査にかかわった事案検討会の席上だった。


 事の発端はこうだ。

 頚椎前方固定術後の患者がリカバリー室で暴れ出した。

 皆で押さえつけて鎮静剤を打ったら大人しくなった。

 が、その10分後に急変して呼吸停止となった。


 たまたまリカバリーにいた他科の医師が対応したがわけがわからない。

 呼ばれて駆け付けた主治医が気管挿管しようとしたが不可能だ。

 そうこうしているうちに心停止し患者は帰らぬ人となった。


 オレが事故調査を頼まれた時には「謎の不穏、謎の急変」という事にされていた。

 病理解剖の結果は術後出血による気管圧迫だった。

 要するに窒息だ。


 しかし、患者が暴れている時にはSpO2、いわゆる酸素飽和度は全く正常だった。

 とても数分後に呼吸停止するような数字じゃない。

 が、患者自身は呼吸困難感を訴えていた。


 その後の調査でこのような事故はチラホラあることが分かる。

 気道周りの手術である頚椎前方固定、甲状腺腫瘍摘出術、下顎歯肉癌、頚動脈血栓内膜剥離術などなど。

 これらはそれぞれ整形外科、外科、口腔外科、脳神経外科の領域にあたる。

 つまり、診療科をまたいで類似の事故が起こっていた。

 どこの診療科でも稀にしか起こらないので、それぞれに「謎の不穏、謎の急変」で片付けられていたのだ。


 が、とある甲状腺専門病院では、平均して月1回起こっていた。

 というのも、その病院では毎週25例ずつ手術をしているので、1%の確率であっても月1回となってしまうのだ。

 ただ、甲状腺は気管の前方にあるので、創部の糸を外せばすぐに気管がみえる。

 その気管を切開して気管切開チューブを入れれば気道確保は可能だ。

 だからその病院では術直後の患者の枕元に気管切開セットを常備している。


 類似の事故が起こっていることが知られて来たのはこの10年、いや5年ほどの間の事だ。


 もし術直後の患者が呼吸困難感を訴えたら喉を切って気管を切開する。

 言うは易しく、行うは難し。

 いや、言うのも難しい。


 オレが医療事故調査を担当した頚椎手術の患者も同様だ。

 最初は呼吸困難感を訴えた。

 その後に大暴れし始めたのだ。


 本来ならその時点で鎮静剤を使って、すかさず気管挿管をしなくてはならない。

 しかし、出血で気管の入り口である声帯が大きく偏位していたりする。

 あるいは声帯が腫れてしまって気道が極端に狭くなっているかもしれない。

 その時は気管挿管をあきらめてすかさず輪状甲状靭帯切開をすべし。

 でも、これは喉を切る手技だ。


 人の喉を切るなんて恐ろしくてできたもんじゃない。

 外科医といえども生身なまみの人間だ。

 普段、自分が切り慣れている部分以外については素人同然というのが本当の所。


 で、このような困難気道こんなんきどうに遭遇した時にどうするか?


 逆向性挿管。

 経鼻エアウェイの活用法。

 経鼻エアウェイの活用変法。

 輪状甲状靭帯切開。

 経皮的人工心肺《PCPS》を使って酸素化を図る。


 実に色々な方法があるものの、それもこれも古今東西の文献をゆっくり読めばこそ。

 急変した患者を目の前にして調べている暇はない。

 脳に不可逆的なダメージが加わるまでに残された時間は僅かに4分間。


 その間に何とかしろというのは無茶だ。


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