第245話 大きな壁を乗り越えた男
オレの家にはテレビがない。
だから、医療系ドラマの感想を患者に訊かれても答えられない。
最近の話題は「ザ・トラベルナース」というものだ。
診療看護師《NP》が活躍するドラマらしい。
診療看護師《NP》という職業は一般には馴染がないものと思う。
米国ではナース・プラクティショナーと呼ばれ、医師と看護師の中間に位置する。
深刻な医師不足を補うために作られた資格のうちの1つだ。
日本でも10年ほど前に導入された。
5年以上の経験のある看護師が2年間の大学院でトレーニングを受ける。
そして、日本NP教育大学院協議会などによって資格認定され、臨床現場で働くわけだ。
オレの勤務する病院ではいち早く診療看護師《NP》を導入した。
最初は初期研修医と同レベルだったのが、今では遥かに凌駕している。
そして、色々な人たちから頼りにされるようになった。
彼らの悲願は診療看護師《NP》という存在を保健師や助産師のように国家資格にすることだ。
そのために日々の診療をこなし、データを積み上げて論文を書いている。
オレも彼らとともに苦労を味わった。
導入当初は何事も初めて尽くしだった。
だから、無数のマニュアルや手順書を作るところから始めることになる。
当然、診療看護師《NP》が単独でやって良い事とやってはならない事の線引きは明確にしなくてはならない。
そして院内の各職種からの理解も得る必要がある。
当初は診療看護師に対して必ずしも好意的な人たちばかりではなかった。
患者からも「何それ?」という反応が多い。
が、茨の道を選んだのは自分自身だから、淡々と業務をこなしてもらうしかない。
さて、オレが診療看護師《NP》のドラマを作るならこんなエピソードを入れるかな、という話がある。
ある日の事。
近所の開業医の大道寺先生という偉い先生が高熱で救急外来に搬入された。
偉い先生はまた怖い先生でもあった。
だから診察はそれなりの立場の医師が行うことになる……はずだった。
オレが診療看護師の茨木くんから一報をもらったのはそんな時だ。
「先生方、どなたか救急外来に来てもらうことができますか?」
「一体どうした」
「大道寺クリニックの大道寺先生が高熱で搬入されたんです!」
「おいおい」
「あの大道寺先生なんで、診療看護師が対応するのもちょっとどうかと思って」
「誰も手が空いてないから茨木くんが対応してくれ」
「えっ、僕がですか? ちょっと自信ないです」
「それは臨床的にか、それとも社会的にか?」
「正直、両方とも……ですね」
彼の気持ちは良くわかる。
大道寺先生は診療看護師の存在に対してアンチの立場だ。
それに怖い人なので茨木くんでなくても躊躇する。
「確かにそうかもしれんが、ここは1歩前に踏み出せよ!」
診療看護師の名誉を背負って困難に立ち向かうのは今しかない。
「……分かりました。やって……みます」
もう茨木くんは泣きそうな声になっている。
再びオレの院内PHSが鳴ったのは30分後だった。
茨木くんからだ。
「前立腺炎……じゃないかと思います、直腸診の感じでは」
「なるほど」
「泌尿器科に確認してもらいたいんですけど、依頼をしていただけますか?」
「よし、電話しよう」
で、泌尿器科医による診察では見事に急性前立腺炎と診断された。
大道寺先生自身もそんな所に病変があるとは思っていなかったみたいだ。
直ちに入院加療することとなった。
「診断がついて良かったなあ。大道寺先生は何か言ってたか?」
「ええ。ウチにも診療看護師が居てくれたらなあ、と言ってくれました」
「あの人を感心させたってのは大したもんだよ」
医師が何かと手を抜きがちなのに対し、診療看護師は厳密に手順を守る。
だから多くの医師が飛ばしがちな直腸診もキチンと行った。
その真面目さが正しい診断に結びついたわけだ。
医療従事者として長年の経験がある、というのももちろん重要ではある。
だけど本当に大切なのは、いくつの壁を乗り越えたか、ということだ。
その日、茨木くんは大きな壁を乗り越えたんだ、とオレは思う。




