第994話 渡米した男 4
研究室にズラリと並ぶワークステーション、それらを裏から支える2台のスーパーコンピューター。
日本で自分のパソコンで画像作成をしていたオレにとっては夢のような環境だった。
コンピューターのパワーだけではない。
自家製の画像処理ソフトウェアも優れものだった。
研究室のメンバーは米国以外の出身者が4分の3を占め、かなり多くが東欧からだった。
というのは、ボスのシャロムはイスラエル出身、大ボスのバログはハンガリー出身で、彼らを頼ってやってくるのはその周辺地域の出身者が多かったからだ。
もちろんアジアからもタイ、韓国、中国、台湾、香港など多くの留学生が来ていた。
我が日本も負けていない。
1人でも日本人がいると、その人が橋頭保となり、次が来やすくなる。
面白いのは専門も出身大学も違う人たちとも知り合いになれることだ。
日本にいたらそんな機会は極めて少ない。
オレは主としてジャックから研究室での画像処理を学び、それを手術室に持っていった。
脳外科の部長はホワイト先生といい、有力ジャーナルのプレジデントも兼務していた。
ただ、それまで研究室で作っていた画像は詰めが甘かった。
どうしても研究のための研究に流れてしまいがちだ。
真剣に手術に役立てようと思ったら、もう一手間かける必要がある。
そこで、オレは日本で工夫していた自分流の改良を加えた。
毎日早朝から夜遅くまで、時には休みの日も出掛けて仕事をする。
より良い画像、手術の帰趨を決するような画像。
そういった画像を目指して、その作成に没頭した。
次第にホワイト先生もオレたちの画像に期待する事が多くなってきた。
特に画像支援手術というのは、素人が見ても分かりやすい研究だ。
だから国内外に対するアピールやスポンサー獲得にも絶大な威力を発揮する。
ある日、米国のテレビ局がオレたちの画像支援手術の特集を組んでくれた。
有名な俳優がやってきて3日間ほど集中的な取材を行う。
そして出来た15分ほどのテレビ番組は美しく感動的な物語に出来上がっていた。
こんな話だ。
米国の田舎の若い女性が毎日の痙攣に悩まされている。
その原因が脳腫瘍だということが分かったが、彼女はあちこちの病院で手術を断られた。
なぜなら腫瘍を摘出することはできるが、それは同時に左半身の麻痺をもたらしてしまうからだ。
そしてついに彼女はホワイト先生に連絡してきた。
「我々には新しいテクノロジーがある。まかせておけ」と請け合ったホワイト先生を頼って田舎からボストンに彼女はやってきた。
彼女の頭部MRIをもとにオレたちが三次元画像を作成し、麻痺が起こらないよう脳表のマッピングを行い、ミリ単位の精度で手術すれば麻痺を起こさずに腫瘍を摘出できるはず、そう踏んだのだ。
いざ本番。
開頭手術でありながら脳腫瘍摘出は局所麻酔で行われた。
有名俳優と術者のホワイト先生の手術中のやり取り。
オレたちの作った三次元画像の術野へのスーパーインポーズ。
マサチューセッツ工科大学と麻酔科の合同チームが行った脳表マッピング。
それらが見事に融合して最高の手術ができた。
この番組にはオレの写っている場面が何回かある。
腫瘍は見事に摘出され、患者には何の後遺症も残らなかった。
なぜか翌年の米国脳神経外科学会の機器展示会場ではこのテレビ番組が何度も再生されていた。
「おいおい。まるでドクター・ホワイト・ショーみたいじゃないか」
そういって色々な人に冷やかされた。
オレたちの三次元画像がなかったら手術が悲惨な結果になった事は間違いない。
研究室の成果はそれだけではなかった。
(続く)




