第五章:郭循の凶刃——悪辣なる人生の必然的報い
延熙16年(253年)、念願の開府を果たし、名実ともに蔣琬の権威に並んだ直後、費禕の運命は突如として暗転する。正月の盛大な大宴会の最中、泥酔した費禕は、魏からの降将である郭循(かくじゅん / 郭脩とも)によって刺殺されたのである。
費禕のこの呆気ない最期は、決して予見できなかった悲劇ではない。実は事前に、歴戦の将である張嶷から強い警告を受けていた。
「昔岑彭率師、来歙杖節、咸喪寇手。今段明将軍位尊権重、宜鑒前事、少以為警。」
(意訳:昔、岑彭や来歙は軍を率い節を持っていながら、刺客の手に掛かって命を落としました。今、明将軍(費禕)は地位も高く権力も重いのですから、過去の出来事を鑑みて、少しは警戒なさるべきです)—『三国志』蜀書・張嶷伝
張嶷は降将である郭循の不審な動きを察知し、地位が高くなった費禕に対して「刺客に気をつけろ」と明確に諫言していた。しかし、自らの策謀で全てを統制できると思い込み、権力の絶頂で安寧を貪っていた費禕は、この忠告を意に介さなかったのである。
郭循がなぜ費禕を暗殺したのか、歴史書はその明確な背後関係を示さない。姜維の差し金とする邪推もある。しかし確かなことは、同僚の不満を罠に掛け、上司を政変で追い落とし、自身のために歴史すら書き換えて頂点に上り詰めた男の最期として見るならば、これは単なる不運ではないということだ。彼が権力闘争の中で生み出してきた無数の怨恨と不信、その業の清算が、油断という隙を突いて彼自身の命を奪ったのである。




