第二章:「楊儀」という踏み台と、悪辣なる尚書令への返り咲き
実権を欲する費禕にとって、自らの地位を引き上げるための絶好の「踏み台」となったのが、中軍師の楊儀であった。
楊儀は諸葛亮の退却戦を見事に指揮し、不仲であった魏延を討ち取る功績を挙げたが、彼もまた中軍師という「実権なき名誉職」に置かれていた。自分より格下と見ていた蔣琬が尚書令として全権を握ったことに、楊儀は激しい怒りと不満を抱いていた。
『三国志』蜀書・楊儀伝には、費禕の悪辣な手法が克明に記されている。費禕は、同じく実権のない閑職にある「同情する仲間」を装って楊儀に接近した。心を許した楊儀は、費禕に向かって致命的な本音を漏らす。
「往者丞相亡没之際、吾若挙軍以就魏氏、処世寧当落度如此邪!令人追悔不可及。」
(意訳:あの時、丞相(諸葛亮)がお亡くなりになった際、もし私が軍を率いて魏に寝返っていれば、どうしてこんな零落した境遇になっただろうか! 今となっては後悔してもしきれない)
これこそが費禕の狙いであった。費禕はこの不満を私的な愚痴として宥めるのではなく、即座に劉禅に密告した。
「禕密表其言。」
(意訳:費禕は密かにその言葉を上表した)
費禕は自らの手を汚すことなく、楊儀の「反逆の意図」をでっち上げ(あるいは誘発し)、彼を庶民への降格、そして流刑・自害へと追い込んだ。この密告の代償として、費禕は楊儀という危険分子を排除した「功績」を認められ、蔣琬の後任としてついに実務の最高責任者である**「尚書令」**へと返り咲く。
窮した者に寄り添うふりをして破滅させ、自らの栄達の糧とする。冷血なる「俗物」としての政治手法が、ここに確立したのである。




