第36話 認識
平日三日目の潜行。
もう、
入り口に立っても誰も冗談を言わなくなった。
怖くなったわけじゃない。
馴染んだ。
現場の空気ってやつだ。
義父が盾を、
義叔父がバールを構え、
俺は槍を握る。
降りる。
いつもの冷気。
湿度。
吐息が白くなりそうな感覚。
「……静かだな」
義叔父が言った。
義父が短く答える。
「ああ、全くと言って良いほど、気配がないな」
スライムのいない階層があることは、
これまでにもあった。
でも――
今日の“静けさ”は違う。
“生き物の気配が無い”静けさじゃない。
“何かが、だんまりしている”静けさ。
奥へ進む。
壁の苔が弱く光る。
俺はふと立ち止まった。
「……空気、重くない?」
義父も止まる。
「感じてた。
でも言葉にすると、
“言い過ぎ”みたいな感じして黙ってた」
義叔父が苦笑する。
「俺もだよ。
なんだろな……
“見られてる”って言えばいいのか……
いや、違うな」
俺も探す。
正しい言葉が出てこない。
でも、
胸の奥に小さく乗る重みは確かだ。
その瞬間――
足元が、ほんの少しだけ沈んだ。
俺たちは一拍遅れて止まる。
床は陥没していない。
割れてもない。
ただ――
柔らかく“たわんだ”。
義父が低く言う。
「戻るか?」
俺は――
一瞬、本気で迷った。
無理はしない。
焦らない。
それが俺たちのルール。
だけど。
「……このままだと、分からなすぎる。
もう少しだけ、進んでみよう」
俺は自分の声に自分で驚いた。
怖くない。
でも、
“知らなきゃいけない”気がした。
一歩進む。
また――
床が僅かに“呼吸する”。
深い場所じゃない。
敵の気配もない。
ただ――
ダンジョンそのものが、“生きている”と告げてくる。
スライムが一匹、
急に飛び出した。
義叔父がバールで叩く。
割れる。
飛び散る。
義父の盾が反射で前に出る。
――少し遅れて、気づく。
そのスライム。
“俺たちを見て逃げなかった”。
今までのスライムは、
突撃か、
散るように逃げるかの2択だった。
今日のは違う。
“そこに立っていた”。
まるで、“見ていた”。
俺は喉が少し乾く。
義父が呟く。
「……意思があったな、今の」
義叔父も静かに言う。
「“反応した”んじゃねぇな……
“判断した”感じだった」
進むのを、
やめた。
撤退判断は早め。
全員、一言も異論を出さなかった。
帰還。
地上の空気が、
いつもより温かい。
義父が盾を外しながら言う。
「……今日のは、“嫌な静けさ”だったな」
義叔父も深く息を吐く。
「悪いことが起きたわけじゃねぇのに、
疲れたな」
俺はまとめる。
「スライムの挙動変化。
床の“呼吸”。
空気の圧迫感。
――全部、“偶然”っていうには揃い過ぎてる」
義父が頷く。
「書け」
義叔父が笑った。
「お偉方が、何か答えを出してくれるだろう」
「またレポート地獄か」
俺は苦笑して言う。
「でも書いとかないと……
“今日の違和感”、
絶対に未来の“答え”に繋がるから」
家の横。
ダンジョンの口は、
いつも通りただ黙っている。
だけど――
“今日は黙り方が違う”。
そう、全員が理解していた。
俺は、その黒い穴を見ながら小さく呟いた。
「……あいつら、
“俺たちを知った”な」
なんとなく、そう思った。
風が吹いた。
静かな平日。
だけど――
世界は、少しだけ深くなっていた。




