第35話 国側のレポート評価
ダンジョン特別対策室。
モニターの前に、
いつもの顔ぶれが集まっていた。
木村。
森下博士。
分析官数名。
心理担当。
安全担当。
机の中央に置かれているのは――
例の家族から届いたレポート。
薄いファイル。
簡素な表紙。
だが、
それを開いた瞬間――
空気が変わる。
木村が読み上げる。
「《本日の所感。
特記事項なし。
危険個体との遭遇もなく、
スライムのみ処理》」
ここまでは普通だ。
しかし――
問題はそこから。
森下博士が、
ページを指で軽く叩く。
「……こっちだ」
そこには――
《“なんとなく”感じた変化》
とだけ書かれた章。
簡潔で、短いのに。
逆に怖いほど“正確”。
◆ レポート抜粋
《明確とは言えないが、
“視覚以外の要素で敵の位置が分かる”瞬間があった。
暗闇の中でも、
そこに何かがいる、という“像”だけが成立する感覚。
匂いとも音とも違う。
“場の重さ”に近い。》
分析官が、息を飲む。
「……これ、完全に今研究している
存在感認識(プレゼンス認知)の初期段階じゃないですか」
森下博士は頷く。
「そうだ」
木村が次をめくる。
《盾について。
“守る”と意識した瞬間、
盾そのものが
“止まる側のもの”になった感覚があった。
重さが変わるというより、
“役割を持った”という言葉の方が近い。》
心理担当が静かに呟く。
「……比喩じゃないですね。
“武器が役割を持つ”瞬間を、
精神じゃなく体感で理解してる。」
別ページ。
《距離感。
槍もバールも、
“正しい位置”が最初から決まっている気がする。
手が探さない。
身体が最短の答えを掴みに行く。
言葉にしにくいので、
“道具がこちらを正しい位置に導く感覚”と書いておく。》
分析官が笑う。
「この表現力、普通じゃないんですよね」
木村も笑う。
「素人なのに“研究報告”として成立してる……
いや、下手な研究者より上手いかもしれない」
森下博士は静かに言った。
「――違うんだ」
皆が博士を見る。
博士はレポートを軽く指で叩く。
「これは“ただ観察が上手い”んじゃない」
ページを捲る。
そこには――
ただ一行。
《この感覚は危険ではない。
“調子に乗るな”と一緒に来ている感覚だから。》
沈黙。
誰も笑わなかった。
博士は静かに言う。
「“得た力に酔わない”という感覚まで、
一緒に受け取っている」
分析官が呟く。
「……安全係として言います。
これほど“自制心の報告”を読んで安心できる現場、
私は初めて見ました」
さらにレポートには――
✔ 無理をしない基準
✔ 退避判断の線引き
✔ 家族の役割維持についての記述
✔ 「続くことが第一」と繰り返し書かれている文
木村が、
少しだけ目を伏せて笑った。
「……本当に“仕事”としてやってくれてるんですね」
博士も微笑んだ。
「いや、違う」
木村が顔を上げる。
博士は言った。
「“家族として”
“生活として”
“国のための仕事として”
全部同列でやっている。」
研究者の一人がぽつり。
「……人間として、強いな」
会議室の空気は――
重くない。
だけど、
軽くもない。
ただ、
安心感が広がっていた。
木村はレポートを閉じながら言った。
「……これなら、
まだ任せて良いと思えますね」
博士も深く頷いた。
「ええ。
彼らは“戦っている”だけじゃない。
“成長している”
“適応している”
そして――
“ちゃんと怖がれるまま、前にいる”」
その言葉が、
このレポートの結論だった。
国の前線。
最も危険な場所。
でもそこにいる家族は――
ちゃんと人間のまま、強くなっている。
博士は最後に声を落とした。
「……ありがたいね」
木村も静かに言う。
「本当に、ありがたい家族です」
会議室のテーブルの上。
そこに置かれたレポートは、
ただの紙じゃない。
“日本が、今日も冷静でいられる証拠”だった。




