第30話 木村と博士
静かな会議室。
森下博士はデータ画面を睨み、
木村は書類を束ねたまま、深く深く息を吐いていた。
「……で、結論は?」
木村が問う。
森下博士は眼鏡を外し、
机にコト、と置いた。
「――“運”でもない。
“偶然の適性”でもない。
“単なる勇気”でもない。」
博士は言う。
「この家族は――
“ダンジョンに適応した人類の最初の完成形”だ。」
木村は息を呑む。
博士は指を立てる。
■ 理由その1:精神体制が常識外に強い
博士の画面には、
初回ダイブの記録が表示されていた。
「普通はだ。
未知生物。
未知環境。
“死の圧”。
この3つが揃っただけで、人間は“戦闘”どころではない」
映像が切り替わる。
1回目の時点で、
すでに冷静だった家族。
「だがこの家族は――
“最初から
完成された恐怖処理モデルで動いていた”。」
✔ 防衛線を崩さない父
✔ 死角を理解して補助に回る叔父
✔ 致命に踏み込む覚悟を最初から持っていた男
博士は淡々と続ける。
「そして――
本来なら“150kgの硬球がぶつかる痛み”に匹敵すると推定される
スライムの突撃圧にも“恐怖反応が出ない”。」
木村が眉を寄せる。
「それ、もう訓練じゃ説明できないでしょう」
博士は頷く。
「だから、私は仮説を立てた。
“精神体制そのものが
ダンジョンに適応して強化されている”。」
■ 理由その2:
リーダーの“能力”が、知らずに発動している
森下博士は
“存在感分布分析”と書かれた画面を開いた。
「リーダーは、あの男に指定された」
「……はい」
「その瞬間から――
存在感の“中心力場”が彼に集中した」」
そして博士は静かに言う。
「彼は――
何度も命を奪ってきた“現実”を背負っている。」
血の重さを知っている。
動物の“終わり”を見てきた。
奪う責任も、
食べる意味も、
命の価値も――知っている。
「その“命を背負った者の覚悟”が、
周囲へ共有されている可能性がある。」
博士は指で弧を描いた。
「 “リーダーの精神適応能力が
周囲に分け与えられている”。」
だから――
✔ 普通なら怖くて動けない場面で
家族が動ける
✔ 逃げてもいい場所で
踏みとどまれる
✔ 無茶な突撃にならず
落ち着いた“狩りの思考”になる
木村は小さく呟く。
「……背骨の強さを
家族単位で共有している――みたいなものですか」
博士は静かに頷く。
「ええ。
“最前線を任せる”なんて――
本来、国家は言ってはいけない。
でも彼には――
“任せてしまえるだけの根拠”がある」
■ 理由その3:
“役割が完全固定される家族構造”
博士は
義父・義叔父・彼の3人のデータを並べる。
「盾は――守る人間が持つべきだ。
それは理論じゃなく“心理構造”だ」
義父は――
家を守る象徴。
家族の天井。
支柱。
絶対的安心の位置。
「だから“盾”が、彼を選んだ。」
義叔父。
独身。
家族に“帰る責任”の位置が微妙に違う。
「“前に出て殴る役割”を背負えるポジション」
そして――
二児の父、悠斗。
「“決断と結果を引き受ける立場”」
博士は言った。
「――この家族、役割に“一切のズレ”が無い。」
普通なら必ず起きる。
■ 俺が守る!
■ いや俺が前だ!
■ 俺だってやれる!
それが――無い。
「“やるべき人間が
“やるべき役割を
“疑いゼロで受け入れている”」
博士は額に手を当てる。
「これだけで、
戦闘効率は軍隊並みです」
■ 理由その4:
“家族でいる”ことが最大の武装
木村は言った。
「……でもそれでも、
“危険に飛び込む”っておかしいでしょう?」
博士は、
静かに笑った。
「――普通なら、ね」
だが、
この家族は違う。
✔ 守る対象が“抽象”ではない
✔ 国民でも世界でもない
✔ “目の前の家”と“家族の朝食”
「“守った先にある幸せ”が
手の届く距離にある。」
“戦場に行く”んじゃない。
“帰るために戦っている”。
「だから、
人は“そこまで壊れない”。」
■ 理由その5:
“ダンジョン側が認めた敵”
博士はモニターに、
昨日の分析会議の資料を出した。
「ダンジョンは、
“力に反応して姿を変える世界”だ」
昨日――
日本中の突破意思が弱まった。
「“外に出ても勝てない存在がいる”と知った」
博士はぽつりと言った。
「――ダンジョンにとって、
あの家族は“世界の壁”だ。」
木村は黙る。
博士は静かに結論を口にした。
■ 結論
「この家族が危険に飛び込める理由は――」
① 精神構造がダンジョンに適応し、
恐怖処理が異常に安定している
② リーダーの存在感が
“命を背負う強さ”を家族へ共有している
③ 役割固定が完璧で、
迷いが無い
④ 守る現実が“遠くない”
=家族のために戦う戦場
⑤ ダンジョンが
“敵として認めた抑止存在”
博士は言った。
「――この家族以外、
“ここ”に立てる家族はいません。」
木村は、
ただ一言だけ呟いた。
「……なら、
絶対に壊さないように守らなきゃいけませんね」
博士は頷いた。
「ええ。
“前線に立たせる”んじゃない。
“前線にいさせていただいている存在を
国家総力で守る”んです。」
それが――
国の、絶対条件。
そして二人は、
画面の向こうの普通のリビングを見た。
笑って、
話して、
味噌汁を飲む家族。
――だが彼らは、
世界の壁だった。




