第3話 国より先にスカイライン
作業小屋の前で調査を終えた市役所組が帰ったあと、
俺たちはしばらく、その場を動けなかった。
風も音もない。
ただ、スカイラインの下の階段だけが、じっと口を開けている。
「……なあ」
義叔父が、もごもご言い出した。
「何です?」
俺と義父が同時に振り返る。
「スカイライン……どうなんだ?」
「…………」
ああ、
来たな、と思った。
正直、最初の混乱の勢いで忘れていたけど――
この階段、「スカイラインの直下」だ。
「これ……下、空洞だろ?
車、落ちねえかな……」
義叔父は、深刻な顔で車を見つめている。
国の災害級案件だぞ?
命の危機だぞ?
世界が変わるレベルの話だぞ?
――その状況で真っ先に車を心配できる男、俺は嫌いじゃない。
「アンタ……本当に、まず車かよ」
義父が呆れた声で言った。
「いやいや、俺にとって、
“家族 → スカイライン → 俺”だからな」
「順位おかしくないですか?」
「いいんだよ、スカイラインは昭和からの嫁みたいなもんなんだ。
ここまで一緒に走ってきたんだよ。
俺は裏切れねぇ」
「いや、感動っぽく言ってますけど、車ですからね?」
俺が冷静にツッコんでも、義叔父は真剣だ。
車体を撫でながら、少し声が震えている。
「油圧ジャッキか、柱か……いや、床下補強か?
でも業者呼ぶっていっても、これ“国指定危険区域”だし……」
「うん。今この状況で“車のために工事したいんですけど”って電話したら、
たぶん役所の人、頭抱えますよ」
「だよなぁ!!」
義叔父が両手で頭を抱えた。
国と戦う前に、
スカイラインという強敵が立ちはだかっていた。
◇ ◇ ◇
とりあえず家に戻ると、
義母がソファの前で正座していた。
「どうだったの!? 進展は!? ニュースの感じだと、すごいヤバそうなのよ!」
「とりあえず、近づかなきゃ安全。
ただ、“管理区域”にするから、しばらく自由に触れないってさ」
「そっかぁ……」
義母は胸を撫で下ろし――
次の瞬間。
「で、スカイラインは無事?」
家族一致の総ツッコミ。
「お母さんまで!?」
「いやだって、あれアンタの弟の“宝物”でしょ?
落ちたら死ぬより荒れるわよ、あの人」
「ひどいな! 俺はそんな人間じゃねえ!」
「“宝物が崩落したら人格が崩壊する義叔父さん”でいいじゃないですか」
「なんでお前が雑にまとめるんだよ!」
なのに笑えるのは、
“この家の日常”がまだ死んでない証拠なんだろう。
◇ ◇ ◇
その時、テレビからまたニュースが流れた。
『――政府は、本現象を「特殊事態」と位置づけ、
管理対象地域については土地の一時凍結、場合によっては“強制買い上げ”も含め検討――』
「強制……買い上げ……?」
リビングの空気が、ぐっと固まる。
義父の眉が動く。
「つまり、
“ここはもう危ないから、国の土地にします”
ってことか」
「ちょっと待って、家ごとってこともあるの?」
「あり得る」
「え、ちょっ……いやいやいや!?
うち二世帯住宅よ!?
みんな追い出されるの!?」
義母が顔を真っ青にする。
(……そうか)
今さら実感が来た。
これはただの
「変な階段ができた」事件じゃない。
俺たちの家。
俺たちの土地。
俺たちの暮らし。
全部に関わる話だ。
◇ ◇ ◇
「……なぁ」
静かに、義叔父が言った。
さっきまでスカイラインの話しかしてなかった男の声が、
少しだけ真面目になっていた。
「もしさ。
国に土地取られんの嫌だったら――
“自分で守る”って選択肢、あるんだよな?」
「……木村さん、そう言ってたね」
俺はさっきの言葉を思い返す。
“もし、あなた方が守るなら――
任務として国が認定する方向で、制度が動いています”
(自分たちで、守る)
その言葉が、胸の奥でひっかかる。
義父も腕を組み、低く言った。
「家は……売りたくねえな」
「俺も嫌だ」
義母は泣きそうな顔で言う。
「だって……ここ、みんなで暮らしてる家だよ……?」
美咲は黙って俺を見る。
“答えを出すのはあなたでしょ”って顔だ。
(……そうだよな)
家長でも長男でもない。
でも――
“家族を守る役目”
それは、
勝手に俺の肩に乗ってくる。
でも、嫌じゃない。
◇ ◇ ◇
「……まだ結論は出さない。
制度が正式に発表されてからでも遅くない」
俺は言った。
「ただ――
“選択肢の一つ”として、“うちで守る”ってのは、ちゃんと考えます」
義父が頷き、義母が小さく顔を覆う。
そして――
「……で、その話と別にだな」
義叔父が手を挙げた。
「まだ“目の前の最重要課題”がある」
「なんですか」
「スカイラインをどうするかだ!!」
全員、反射的にツッコミ。
「だからそこかぁあああ!!」
「いや! このまま階段の上に置いとくとか、精神に悪いからな!
俺は今日から、寝る前に三回くらい“沈みませんように”って祈る羽目になる!」
「祈りベースで車守ろうとするのやめてください!」
「穴またいでんだ! こんな珍事怖ぇよ!! 神頼みは有効な危機管理だぞ!」
「どこの神様に対してですか!」
「スカイライン八百万GT-Rの神!!」
「そんな宗教ない!」
リビングが再び賑やかになる。
不安は消えない。
問題も山ほど残ってる。
でも――
笑える。
その事実が、今はありがたかった。
◇ ◇ ◇
その夜。
義母はテレビを消さず、ニュースを見続けていた。
「……国がどう動くか、ちゃんと見ておかないとね」
真剣な横顔だった。
俺は布団に入りながら、
ちらっと隣を見る。
蓮は安心したように眠っている。
陽翔は、俺の腕にしがみついている。
(守るか、守らないか)
そんな選択を迫られる日が、
本当に来るのかもしれない。
(……来るんだろうな)
そう思いながら目を閉じた。
その夜――
蓮は、また夢を見ていた。
まだ誰も知らない、
少し先の未来の夢を。




