第27話 プレゼンスでの戦闘
階段を降りた瞬間――
空気が変わる。
湿っていて、
冷たくて、
でも昨日より“知っている匂い”。
義父が前。
俺が真ん中。
義叔父が後ろ。
自然と、
もう誰も「並び順」を疑わなくなっていた。
少し進むと――
プルン。
青いのが揺れた。
「よし……今日は任せてくれ」
義叔父が前へ出る。
必要以上に力まない。
昨日のぎこちなさは消えて――
ちゃんと“振るう人間の動き”になっていた。
踏み込み。
――ゴン!!
スライムが大きく潰れる。
核が見える。
次。
――ガン!!
砕ける。
俺も義父も、
何も言わなかったけど――
「……ああ、もう大丈夫だ」
それぞれがそれぞれの中で、
そう思った。
さらに進む。
気配が――来る。
影が震えた。
義父が前に出る。
盾が自然に構えられる。
次の瞬間。
タヌキが飛び出す。
デカい。
昨日より明らかに。
ヤバい――!
止めたら義父さんが倒れるっ。
悠斗は必至で声を張り上げた。
「距離7、体長目測で4、無理せず弾いてッ!」
――
ガァァン!!
義父の盾へ突き刺さる衝撃。
膝が耐える。
盾が軋む。
でも――
折れない。
義父は唇を結びながら、
静かに踏みとどまっていた。
「……いやッ、まだいけるぞ」
声が震えてない。
盾が、
義父の腕の延長になってる。
「――分かった!」
俺は横へ回り込む。
槍を握る手が、
“怖さ”じゃなくて
“責任”で重い。
狙う場所が自然に見える。
――刺す。
一度、
弾かれる。
手が震える。
反対側で、義叔父さんがバールを振りかぶったのが見えた。
タヌキの警戒が一瞬、そちらに向いた。
これで――
もう一歩踏み込める。
槍が入る。
肉を割り――
止めを入れる。
タヌキが崩れた。
俺たちは誰も、
すぐ近づかなかった。
昨日より冷静だった。
義父が盾を前に出したまま、
安全距離を保ちつつ様子を見る。
「……動き、止まってるな」
義叔父が後ろから確認する。
「呼吸もなし。痙攣も止まってる。
――“完全停止”だな」
俺は慎重に近付き、
長い柄の槍で軽く触れて反応を確認。
動かない。
そこでようやく、
俺たちは息を吐いた。
「――回収しよう。
ここでゴチャゴチャやるのはナシだ」
義父が即答する。
「作業は上で。
ここは、“終わったつもりで長居する場所じゃねぇ”」
義叔父が笑う。
「だな。
こういう場所は、
“勝ってから帰るまでが戦い”だ」
俺たちはタヌキを
袋と簡易用担架に固定する。
手際は早い。
もう「素人の偶然」じゃない。
“帰るための動き”を覚えた家族の動き。
――そこで。
張り詰めていた空気が、
ほんの少しだけ緩んだ。
義叔父が笑った。
「……今日はいい出来だな。
これは胸張って――」
義父も、
ほんの少し盾を下ろした。
俺も、
魔石のことを頭の片隅で思った。
「これ、上で解体したら――
昨日みたいに――」
その瞬間だった。
……ドスン。
地面が
一度だけ
重く沈んだ。
空気が変わる。
“獣の空気”。
義父が条件反射で盾を上げる。
俺の背中が凍る。
義叔父が低く言った。
「……待て。
今の、“生き物の音”だ」
奥の闇。
低い姿勢。
地を鳴らす蹄。
肉塊みたいな筋肉。
――牙。
「……イノシシ」
俺が言った瞬間、
爆発みたいな踏み込み。
ガァァァアアアアアン!!!!
義父の盾に
これまでで一番重い衝撃が叩きつけられる。
義父が――
初めて押し込まれる。
足が滑る。
咄嗟の踏ん張り。
俺は叫ぶ。
「終わってねぇ!!
まだ、“ダンジョンの中”だ!!!」
帰る途中だった。
勝ったつもりだった。
でも――
“帰るまでが戦い”じゃない。
“帰り道こそが、一番殺しに来る”
それが――
この世界の答えだった。
義父の盾に叩きつけられた衝撃が
まだ残響しているのが分かる。
腕が震えている。
でも――
踏みとどまっている。
イノシシの鼻息が荒い。
地面を掻く。
もう一度、
殺すつもりの突進を組み立てる動き。
ヤバい、ヤバい、
ヤバい、ヤバい、ヤバい、
考えていなかった展開に頭がついていかない。
余計なことばかりで雑念が施行を妨げるっ。
けれど、俺と義叔父は同時に左右へ動いた。
「――正面はお義父さんが抑える!
俺たちで横を取る!!」
「おうっ」
義父は小さく返事をした。
それは
「分かった」じゃない。
“任せろ”の声だった。
イノシシが――
沈んだ。
地面にめり込むほど前足を曲げ――
爆発。
盾へ。
世界が揺れる。
耳鳴り。
金属の悲鳴。
まるで自動車同士の正面衝突が、目の前で起きたような衝撃音。
目をふさぎたくなるような音の暴力。
……だが。
義父は――倒れない。
耐えている。
“この盾で、この家族を通す”って顔で。
その間に俺は横へ回り込み、
槍を構え――
刺す。
しかし硬い。
皮膚じゃない。
岩みたいな筋肉。
槍先が弾かれ、
手が痺れる。
「クソ……!!」
もう一度突進が来る。
今度は、
“斜め”だ。
ただ力任せじゃない。
本能で、“攻略しようとしてくる動き”。
義父の盾が削られる。
足元の石が砕ける。
それでも――
義父は声を上げない。
噛み締める。
耐える。
その横で、
義叔父が大きく息を吸った。
「……おい、デカブツ」
いつもの軽い声じゃない。
腹の底から吐く声。
バールを握る手が震えていない。
“覚悟を決めた人間の手”。
イノシシが少しだけ意識を向けた、その瞬間。
義叔父が踏み込んだ。
真正面ではない。
――首の横。
“殺しじゃなく、止める場所”。
…ガッ!
ミキミキっ!!
湿気った枝をへし折ったような音が響く。
イノシシの声にならない叫びが響いた。
鈍い音。
骨の音。
肉の揺れ。
瞬間、動きが崩れた。
ほんの、一瞬。
だけど――
戦いでは致命的な隙だ。
そこへ俺が回り込み、
槍を――
今度はためらわず、
遠慮せず。
“命に届く深さ”で突いた。
音が消えた。
世界が止まった。
イノシシが悲鳴をあげ、
暴れ――
崩れ――
そして、
動かなくなった。
俺は肩で息をした。
義叔父も、
手を膝に当てて息を吐く。
義父は――
盾を下ろしながら
ほんの少し笑った。
「……お前ら、
本当に頼もしくなったな」
その声は、
少し震えていた。
でも
恐怖じゃない。
安堵でもない。
“家族として戦って勝った男の声”。
誰も喋らないまま、
全員で空を見た。
空なんて無いのに。
でも――
上を見たくなる夜だった。
俺は心の中で思った。
昨日までの俺たちは、
ただ“偶然勝てた家族”だった。
今日からは――
“この世界で本気で生きる家族”になったんだ。
そして。
この戦いは、
後で必ず意味を持つ。
盾は、
今日もっと
義父のものになった。
バールは、
もう完全に
義叔父の武器になった。
俺の槍も――
俺を手放さなくなった。
存在感は
確実に――
俺たち側へ傾き始めている。




