第25話 一家の深夜
その夜。
家の中は、
いつもと同じように静かだった。
いつもと同じ電気が灯って、
いつもと同じ廊下を風が通って、
いつもと同じ布団がそこにある。
でも――
今日は「同じ」じゃない。
最初に眠ったのは、子どもたちだった。
風呂にも入って、
歯も磨いて、
いつも通りの寝る前の会話をして。
上の子が言った。
「――今日は、よかったね」
意味がわからないけど、
なぜか伝わる言葉。
「うん」
とだけ俺は返した。
弟の小さな寝息。
兄の穏やかな呼吸。
それは“守り切れている家族”そのものだった。
◇
布団に入っても――
俺は目を閉じたまま、
ただ呼吸を整えていた。
瞼の裏に残る光景。
湿った空気。
あの階段の匂い。
スライムの音。
タヌキの重さ。
そして――魔石の光。
あれは“ただの石”じゃない。
“別の世界の、
別の生き物の、
ここに来た証拠。”
胸の奥がじわっと熱くなる。
怖さじゃない。
誇りとも違う。
もっと――
静かな、
“責任”に似た感覚。
隣で美咲が寝返りを打った。
小さな声で言う。
「……目、開いてるでしょ」
俺は笑う。
「うん」
「寝れない?」
「寝れるんだけど、
寝たくないって感じ」
美咲は少しだけ笑った気配をした。
「……わかるよ」
彼女も、
今日、確信したんだと思う。
“ただのニュースの世界”じゃない。
“ただの非日常”でもない。
――うちの家の、“現実”。
「ねぇ」
美咲が少しだけ声を落とした。
「……今日食べたお肉ね」
「ああ」
「“生きてた”って感じがした」
俺は静かに頷いた。
「うん」
「向こうの世界と繋がるって、
怖いけどね。
――でも、
それ以上に、
“ちゃんと帰ってきたんだ”って思えた」
俺は横を向いて、
暗闇の中で彼女の方向を見る。
「ただいま」
小さく言った。
美咲は笑った。
その笑い声は、
泣くより優しくて
泣くより強い音だった。
「おかえり」
ただその言葉だけで、
心の奥の緊張がすっとほどける。
帰る場所がある。
帰りを待つ人がいる。
それだけで――
俺たちは、
もう少しだけ強くなれる。
◇
同じ時間。
リビングのソファに、
一人座ったままの義父。
テレビは消されて、
窓からわずかに差し込む街灯の光だけ。
手のひらの感覚が、
まだ残っている。
槍を押さえた掌の圧。
タヌキの体温。
その奥で微かに感じた――“あちら側の息”。
義父は静かに呟いた。
「……守れたな」
誇らしげでもなく。
舞い上がっているわけでもなく。
ただ
“確かめるように”。
そして――
ほんの少しだけ笑う。
「まだ、いけるな」
自分の年齢でもない。
体力でもない。
“家族の中心としての自分”。
その芯が、
まだ折れていないことを確認する笑み。
義父は立ち上がり、
明日の朝のコーヒーの粉を用意し、
台所の小さな灯りを消して――
寝室へ戻っていった。
◇
義叔父は、
自分の部屋の布団の上で大の字になっていた。
天井を見つめる。
「……はぁ……」
声にならない声。
そして笑う。
「マジで、
とんでもない家族に住んでんな俺……」
でも。
羨ましさでもない。
諦めでもない。
ただ――
「悪くねぇな」
そんな顔をしていた。
◇
義母は、
録画したニュース番組を静かに見ていた。
「全国でダンジョン穴の対策が進む中――」
コメンテーターが何か言っている。
でも義母は、
それを現実として見ていない。
“自分の家の話”として見ている。
自分の息子みたいな旦那。
まだ少年の匂いが残る孫。
それを必死に守ってる義理の息子。
そして――
その全員を食卓で迎えた自分。
義母はリモコンを置いて、
そっと目頭を押さえた。
「……良かった」
それは不安への涙じゃない。
安心の涙。
“今日を、無事で終えられたことへの感謝”。
静かで、
暖かくて――
母親として、とても強い涙。
◇
夜は更けていく。
この家の中には
眠れない人。
眠れる人。
無理に寝ようとしない人。
それぞれがいる。
でも――
みんな同じものを握っていた。
“今日確かに別世界に触れて、
それでもここに帰ってきた”
という確信。
そして――
“きっと明日も、
また帰ってくる”
という信頼。
月の光が
屋根を照らし、
街の音が遠くなり、
家のすべてが静かになった頃――
この家はようやく、
本当に眠りについた。
ただの一日じゃない。
でも――
確かに、“日常”として終わらせることができた一日。
そして俺は、
最後に目を閉じる前。
心の中でただひとつだけ呟いた。
「また、帰ってくる」
その約束だけ抱えて――
眠りへ落ちていった。




