第24話 一家団欒
食卓に並んだ皿を見て、
誰もが一瞬だけ黙った。
テーブルの中央。
湯気を立てる厚切りの肉。
赤みを残さず。
でも固くない火加減。
外は香ばしく焼けて、
中はしっとりしている。
香りは――強くない。
野性肉特有の“鉄臭い匂い”もない。
逆に「怖いほど癖がない」。
義母が静かに言った。
「……これが、
ダンジョンで生きてた子の、
“残ってる命”なんだと思うとね」
義父が短く頷く。
義叔父が気合を入れるみたいに、
「よし」と手を合わせた。
俺たちも手を合わせる。
「いただきます」
フォークを入れる。
抵抗がない。
“柔らかいのに、脆くない”。
噛む。
肉の繊維が、
“ほどける”のではなく、
ちゃんと“歯を受け止めて”、
それでも素直に崩れていく。
味は――優しい。
でも薄くない。
静かに広がって、
消えない。
余韻がある。
義叔父が、
少し驚いた顔で言った。
「……これ、
うまいとかそういう問題じゃないな」
義母が微笑む。
「“良いもの”を食べてるって味ね」
美咲が、
しばらく黙ってから言った。
「……変な言い方だけど、
“ちゃんとした命だった”って感じするね」
そして、
その時、俺は気づいた。
食卓の空気が――違う。
味の話じゃない。
雰囲気でもない。
“視線の方向”が違う。
義父も叔父も、
俺も。
肉を見ていない。
“肉の向こう”を見ている。
そこにあった
階段の闇。
湿った空気。
ゼリーの飛沫。
タヌキが落ちてきた時の重み。
あの瞬間の体温。
あの世界の“色”。
あの世界の“音”。
――全部、味と一緒に蘇る。
義父が静かに言った。
「命を“さばいた後”とか、
“処理した”とかじゃないんだよな。
あそこにいた“生きもの”が、
今ここに、
“ちゃんと来てる”。」
義叔父は
言葉を選ぶみたいに、ゆっくり言った。
「……“いただきます”って、
こういうことだったんだな」
俺は笑って言う。
「今までだって、
ちゃんと感謝して食べてたつもりだったんだけどな」
そこで――美咲が、
少し寂しそうな笑顔で言った。
「……やっぱり、
“行って帰ってきた人達の顔”になってるね」
義母も小さく頷いた。
「ニュースを見ただけとも違う。
配信を見てるだけとも違う。
“体験を知ってる人”じゃなくて――
“戻ってきた人の顔”。」
俺は言葉が出なかった。
でも、
胸の中で「ああ、そうか」と思った。
この肉を食べているからじゃない。
危険だからでもない。
“向こう側を知っている”という事実が
もう俺たちの一部になっている。
義父が少し優しい声で言った。
「だからって、
“すごい”とか“偉い”とかじゃないんだよ。
ただ――
“違う場所”を知って帰ってきた、
それだけの人間」
義叔父が笑う。
「でも“それだけ”が、
たぶん一番でかい」
その時、
キッチンで皿を持っていた義母がふっと笑った。
「……ねぇ、
ちょっと安心した」
美咲が振り向く。
「何が?」
義母は柔らかく答えた。
「“帰ってきた顔”をしてるからよ」
俺は一瞬、
胸の奥が温かくなるのを感じた。
――帰ってきた。
ちゃんと。
家に。
家族のところに。
「だからね」
義母は優しく続ける。
「あなたたちが潜るたびに、
私は“行ってらっしゃい”って言うの」
美咲も笑う。
「“おかえり”って言うためにね」
義父と叔父が、
同時に照れくさそうに笑った。
俺も笑った。
肉はただの肉じゃない。
これは、“向こう側と繋がった橋”。
そして――
“帰れる場所がある証明”。
その夜。
全員が同じ感想を持っていた。
「美味しかった」とか、
「柔らかかった」とか、
それももちろんあったけど――
一番強かったのは、
ただ一つ。
「あの世界は、本当にあった」
“見ただけの人間”と。
“行って、触れて、帰ってきた人間”。
――その差は、
思っていたよりずっと大きかった。
そして俺たちは、
その差を
もう一度噛みしめるように――
静かに皿を空にしていった。




