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7/アングリーレッド

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「悪い、御道」

「はあ……?」

「俺今日、昼は中庭で喰ってくる」

 率直にその用件を告げると、既にナプキンを広げていた御道は石膏で固められたかのようにぽろりと箸を落とした。硬直状態の不良顔金髪風紀委員長はようやく人語を思い出したように、

「女か……まさか、おまえが」

 女には違いないがこの男の想定とは如何せん、多少ならず誤差が存在する。なので余計なことを言って肯定するのは得策とは言えまい。

「なんでもない。ちょっと今日は野暮用があるだけだよ」

 それだけ言い残して御道に背を向ける。後は振り向かず一直線に中庭へ向った。御道はぶつくさと文句を垂れ流しながらも追いかけてくる様子はない。鉄の風紀委員長とはいえ、他人の事情に口を出すことは出来ないと知っているらしい。

 もっとも、御道と俺の考える事情は相当異なっているだろうが。

 教室を出て行く最後、俺の背中は御道の不機嫌な声を聞いた。

「……風紀を乱すなよ、甚だ面倒くせえ」

 とはまあ、御道ならきっとそう言って送り出してくれるだろうとの予想済みだった。

 問題は。

 昼休み開始直後に購買へ猛ダッシュしていった鏡岬深紗希に、このことをなんと説明すればいいかである。さっぱりしてるみたいで勘は鋭いし、あれで仲間外れなんかを何よりも嫌うからな。弓坂と会談することを話せば間違いなく誤解を生むし。

 思いつつ足取りは早くも校舎の一階。中庭に出る二棟との渡り廊下にて。

 俺は、丁度両手で戦利品の如きパンを抱きかかえた鏡岬と鉢合わせするとか、そんなベタな場面に遭遇するのだった。両者の距離は廊下一本分。数字にすれば三十メートルほど。両者が互いの姿を認めるのは同時だろう。今更引き返すことも、隠れる場所もない。

 怪訝さをいつもの能天気な表情に霞ませて、鏡岬が言う。

「籠野くん? あれあれ、どうしたの、お弁当は? あ、持ってるね。ってことは足りないのは御道くんか。なになに。今日は気分を変えてアウトドアな昼食かい?」

 ユージュアル鏡岬がそこにいた!

 鼻歌交じりの駆け足で一息に距離を詰めた鏡岬。その端正なスポーツ少女の顔が満面に笑みを湛えて見上げてくる。太陽みたいな表情がすぐ傍で無邪気に笑っていて……これが可笑しなことに妙な罪悪感を催したりするから困ったものだ。

 本物の天然か。

 それとも、本当は――

「悪いな鏡岬、今日は昼、御道と二人で食べててくれ。俺ちょっと、用事あるからさ」

「用事? ふふん……これは怪しいよ。……はっ! もしかして硝子の如きあたし達の友情に亀裂が入ったのか! そ、そんなあ! あたし、悪いことしたなら謝るよ! 一生償い続けるから許してよ籠野くん!」

「重い! 重いよ鏡岬!」

 いや、こんなコントを繰り広げている場合ではない。

 じゃなくて。

「本当、悪い。別におまえ達がどうってのは関係ないんだ。俺の事情だから、気にしないでくれ」

「……」

「明日からは元通りだからさ、今日は見逃してくれ。頼む、鏡岬」

 ことの次第と真剣さをここに至って悟った鏡岬は、もう既に退けないとばかり笑顔のまま顔の筋肉を硬直させる。ぽかんと焦点の合わない微笑が中空、俺の鼻の周辺を彷徨っていた。ややって、渋々に口を開いた少女は言葉を紡ぐ。

「解った。解りました。解ったよ」

 どうして三回言ったんだろう。

「大人しく教室に帰って、こわーいこわーい金髪不良生徒とご飯食べてきます。知らないよ、あたしが危険な目に遭っても」

 あいつさ、風紀委員長なんだぜ、一応。

 むぅ、と頬を膨らませた鏡岬。意外と頑固者な少女は、切り返さない俺に対してようやく折れてくれた。不満で一杯に膨らんだ頬を存分に見せ付けて、避けるように俺の隣を過ぎていく。振り返ってもう一度謝るべきかどうかを考えたが、しつこ過ぎるのもどうかと思う。

 いや待てよ。

 そもそもよく考えてみろ、これは俺が悪いのか。

 罪の意識はどの辺りからきて、その場所に何があるのかが気に掛かったが深く自問するよりも先に思考に乱入してくる声があった。それは、ぽつりと零した小さな呟き。本来誰にも届くことなく消えていく白昼の蜃気楼に似た、虚しい幻想の声。

「でもさ、関係ないとか言わないでよ。そんなの、寂しいじゃない」

 本人には自覚があったのか。それとも無意識なのか。

 そうして、後ろを向いた頃には既に鏡岬の姿はなく、言葉の真意を突き止めることはきっと永遠に出来ない。戻ることのない一瞬はおそらく、時に埋もれて消えていくだろう。それこそ、なんでもない過去の夢のように。

「で、随分待たせるじゃないの、籠野くん」

「…………いらしたんですか、弓坂さん」

 次から次へと、絶え間なく代わる代わる色んな奴が現れる日である。

 ちなみにどの辺りからいたのかを問うてみると、本人はまるであっさりそれを自白した。

「そうね。籠野くんが修羅場に踏み込んだ直後くらいからかな」

「つまり最初から最後まで見てたんだろ。趣味悪いぞ、おまえ」

「なに? あの場にわたしが出て行った方がよかったのかしら?」

「……ごめん。俺が悪かった」

「よろしい」

 なんかさ、キャラ変わってないかこいつ。

 初めて会った夜は随分しおらしい態度を取っていたが、あの弓坂絵空はどこへ行ったのだろう。思い出すのは、清廉に凛として怪異を恐れることのなく他者に心を配る聖者のような少女。目の前にいるのは、傍若無人にして唯我独尊、自らの内に悪魔を宿す少女。

 どちらの弓坂が本物なのかなんて。

 考えたくも、なかった……。

「それじゃ、取り合えず場所を移しましょうか?」

 親指を立てて、その指で肩の後ろの風景を指す。先にあるのは何期生かが作って残していった木製ベンチ。木の下に出来る、木漏れ日の溜まり場にはまだ先客がない。昼食を取るならばそこは確かにベストポジションだろう。

「ほら早くきなさい。時間ないのよ。あんたがバカやってるからもう昼休み三分の一も終わってるんだからね」

 強引に手首を引っ手繰られる。いつかの夜と同じ、そのまま抵抗することを許されず引っ張られる俺。無抵抗に引き摺られる先は弓坂の指定した日溜まりベンチ。一目散に駆けて行く様子。走る速度に追いつかぬ、靡き流れる綺麗な髪。

 不意に解ける拘束。手を離すとそのまま弓坂はベンチにすとんと腰を落ち着けた。

 尊大に振舞うものだから忘れていたが、黙って座っている分にはなんら普通の少女と違わない。細く綺麗な姿勢が木漏れ日に映える。凛とした横顔。気が強く意思の頑固な、けれど柔らかい目元。こちらを向いた端正な顔が俺の到着を待ちわびるように一層輝く。

「早く座る。あんたが無駄にしたわたしの時間、弁償してくれるわけ?」

 ……まあ、口を開けばこんなだから、偶像は音を立てて崩れるのだ。

 それは本当に一瞬の輝き。

 よく記憶に留めておかないと忘れてしまいかねない、夢のような一瞬の(ユメ)

 だけどそれでいいのかもしれない。夢なんて曖昧なものは現実の前では無力だから、折り合いを付けていかなければならないのは生きていく上で必要なこと。ならば受け入れるしかない。幻想の中にいる少女と、現実にいる少女に。

 直視しなくてはいけないのだ。――彼女が魔術師であって、殺し合いの夜を送る現実を。

「ねえ、ちょっと……人がテンション上げてるんだから、そんな暗い顔しないでよ」

「悪い悪い。少し考え事が」

「言い訳しないで。それから、その謝るのがダメなのよ。重いから。……よし。今日から籠野くんは謝るの禁止。解った?」

「解ら……ない。なんだその縛りは」

「なに? 出来ないっての。まあ、無理にとは言わないけど殺すわよ?」

「善処します」

 なんかもうこの時点で二人の関係(上下的な意味で)が決定していた!

 さりとて。

 浮ついた空気はその一言を最後に終結。こほん、とわざとらしい咳払いをした弓坂はもう隣に座ることを強要したりはしなかった。少女の鋭い眼光――いつか炎で天を衝いた彼女がしていたような――がこちらを射抜く。ただそれだけのことで、場の空気は一変した。

「先に訊いておくけど、何か気になることはあるかしら」

「なら一つだけ。この戦いが、魔術師の戦争ってのが本格的な戦況になったら……この街は、どうなるんだ……?」

「言うまでもないでしょ、そんなこと」

 呆れる風に、しかし顔色は真剣そのもので、

「二日もあれば更地よ。貴方の言う本格的っていうのが私の考えている戦況と同じなら。言っとくけど、あんなのは序の口以下よ。まだ魔術師二人だけで、協会も関与してないから大事になってないけど。敵が本気を出して動き出せば、協会も他の魔術師もそれを嗅ぎ付けて――この街は戦場に変わる。生存者を期待するなんておこがましい。生きていることが異常だなんてのが罷り通る、そんな地獄が顕現するわ」

 魔術師と呼ばれる、超常を操る法外の徒。その争いを戦争と称するのが何者かは知れないが、弓坂の言っていることは決して大袈裟などではないのだろう。俺自身もまた目の前で魔術という神秘を体験している。あれが、人殺しの道具として使役されたなら、そこに周囲への遠慮も配慮もないのだとしたら。

 そんなもの、想像するまでもない。

 地獄というよりはむしろ錬獄。なぜなら死を押し付けられる人々には相応の罪状がない。同じように、また運もなかったのだとそんな風に諦めるしかない。魔術師なんて存在に関わってしまった時点で命運は尽きたと知るしか、日常の存在には選択肢がないのだから。

 勿論そんなことは間違っている。あくまで考え得る最悪の事態を仮想しただけ。しかしそれは恐ろしく鮮明に、この身で体感したことがあるかのようにはっきりと浮かび上がった。

 ――それこそ、誰かが死を受け入れてしまった瞬間の心象さえも明らかに。

「て、言っても、そこまで焦ることもないわよ。相手だって二日連続で術式を起動させてるから、また直ぐには動けないわ。そんなことしら、協会に嗅ぎ付けられるかもしれないし、負担も大きいからね。少なくとも、被害規模は一週間前のものより拡大しないでしょうね。下手に動いて面倒事を起こすのは向こうも嫌だろうから」

 内心で焦燥を抑えきれない俺に対して、弓坂は他人事だとでもいうように落ち着き払っていた。昼休みらしく、手製らしきサンドイッチを一口咀嚼するほどの暢気ささえもある。これだと、逆に可笑しいのは俺の方に見えてしまうほどだった。

 口内の物を飲み下した弓坂がやはり、動揺も焦りも感じさせない口調と態度で宥めるように説明を始める。

「で、相手が動けない今が反撃のチャンスな訳よ」

「魔術師を見つけ出して叩くってことか……?」

「まさか。正面からやりあったら不利なのはこっちよ。術式が成立している以上、ここは相手のホームグラウンドなんだから。だからね、まずはその不利を解消するの」

「どういう意味だ、それ?」

「簡単なことじゃない。この隙に、術式を破綻させるのよ。術式の断片は街中にばら撒かれてるから一つずつ見つけて解いていくわ……て、どうしたのよその顔? なにか不満?」

「いやその、なんていうか」

 思ったよりも地味なんだな、なんてことは冗談でもい言えそうにない。

 一週間前。

 マンションの住人が一斉に失踪したあの事件。あれよりも規模が拡大しないとなると……正直それは少し拍子抜けだ。戦争とか街一つが焼け野原になるだとか言っていた後では衝撃に欠けるのは否めない。勿論被害は小さいに越したことはない。とはいえ、戦争とまで称される魔術師の戦闘が、街一つ分の規模にも及ばないと思うとこの心境も間違ってはいないだろう。

「なあ弓坂、その協会ってのは何なんだ? さっきから何回も言ってるけどさ」

「それについては色々言われてるけど、統合戦争終結後に発足した魔術機関で、創設者は法典製作に関わった魔法使いだっていうのが有力ね。成り立ちはともかく、役割としては魔術界の取締役よ。魔術なんて異常は世界から排除されるのが道理だから、そうならないように神秘を秘匿する組織。もっとその役割はあくまでついでだけどね。本来の目的は第二の法典を産み出すことよ。その為に、力のある魔術師が多く集まってるわけ。無所属魔術師は、それこそ協会にしてみればサンプルみたいなもの。下手に騒げば治安維持の名目で瓶詰にされても可笑しくないわ」

「だから、敵も派手に動けないってのか?」

 けれど、だからといって放っておいていいものでないこともまた明らかだ。魔術師が形振り構わず結界を利用し、本気で暴れださないなんて保証はどこにもない。ならば一刻も早く魔術師の手は封じておくべきだろう。危険因子を排除することがまず何よりの正攻法だ。

 それになによりも、例え魔術師が前回と同じ手を講じたにしろ弓坂が戦わなければならないことに変わりはないのだから。自分と年の同じ少女に、殺し合いなどはさせたくない。その過程で彼女が傷を負わないわけもまたなく、同様に生き残ることができる保証だってどこにもありはしないのだ。

「さて、本題だけど……て言っても、もう十分よね。今後の活動方針は、まず術式の破壊。放課後、早速行動するわよ」

「了解……あ、でも待てよ弓坂。その術式とやらを探すのに、何か当てとかはあるのか?」

「……」

 あれ、弓坂さん? どうして答えないのだろう。

 不自然に顔を背ける。赤い瞳がそっぽを向いて、こちらから窺えるのは横顔だけとなった。白い指が、かりかりと頬を掻く。心なしか、汗が浮いているようにも見えなくない。

 ……最悪の想像が脳裏を過ぎる。

 間もなく、その結末は現実へと変わるのだった。

「ない……かな」

 あははは、とか笑っている。やっと振り返った笑顔は、なんだろう、初めて見る弓坂が自信を欠いた表情で俺は彼女が同年代の少女なのだと思い知る。それもとびきりの、無計画性ドジ娘だ。

「術式自体を見つけるのは、そんなに難しくないはずなのよ。ほら、昨日貴方にやったでしょ。あんな風に回路の痕跡に共感するの。あれさ、わたしにしか出来ないのよ!」

 凄いでしょ! と、問いかけてくる子供みたいな態度。

「いやまあ、そりゃあ凄いけど。でも、その術式がどこにあるかの見当がつかなきゃ意味が――」

「ああもう、うっさい! 何でもいいから付き合え! こういうのは一人より二人の方が効率がいいでしょバカ!」

「逆切れかよ!?」

「バカバカバカバカバカバカ! いいから付き合え! こういうのは根気が大事なのよ!」

 昼休みの終り。

 赤い目の魔術師はそんな風に咆哮して憤然とベンチから立ち上がる。日光を浴びた茶髪が赤く輝く。風にそよぐ様子がどこか夕焼けを思い出させた。赤い夢に見る景色に似た、その色を。

 などと考えている間に、髪を翻した弓坂が大股で校舎に帰っていく。引き止めようとした俺の額に、丸めたサンドイッチの包みが命中。どうやら怒らせてしまったらしいのだが、果たしてこれは俺が悪いのか甚だ疑問の場面である。というか、断言して俺は悪くない。

 渡り廊下に脚を掛け、思い出したように振り向くと、真っ赤に炎上した瞳に激昂の色を溢れさせ、

「放課後、先に帰ったら燃やすから!」

 満更冗談にならない、そんな物騒なことを声高らかに言い放つのだった。

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