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2/歪む朝

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 来旋と登校を同じくするのは校門を潜って学年分けされたエントランスに向うまでだが、しかし兄妹で揃って登校するのは高校生の年子としてどうなのかと思わなくもない。そんなことを道中来旋に言ってみると、真顔で「なんで?」とか訊いてくるものだから間違っているのは俺のほうなのかと思ったくらいである。

 上履きに履き替えると、後ろから追いついてきたらしい御道に声を掛けられた。

 振り向くとそこには漫画みたいに真っ赤な腕章をつけた風紀委員長様がスタンダードスタイルの仏頂面で腕を組んでいる。俺は何やら無言の非難を受けているようなのだが、その理由に心当たりがなくしばし唖然としてみると、

「朝からまた随分と風紀の乱れたことをやってんな、おまえ」

 なんてことを感情のない声と瞳で糺される。

「風紀委員の癖に金髪のおまえに言われたくないし、別に乱してもない。冤罪だ」

「知ってるか? 現行犯逮捕には令状が要らないんだぜ」

「だから違うって。さっきのことを言ってんならあいつは妹だ」

 ……それはそれで問題なのかもしれないが。だが御道の言うように風紀が乱れたりすることはないだろう。流石に実の肉親に変な気を起こしたりはしない。それだけは間違いないはずだ。

 が、俺の弁明に対して御道は表情を和らげるどころかむしろ、より悪辣なまでに怪訝な顔色を浮かべる。威圧的な眼光が取調べ中のベテラン刑事みたいだった。そんな人物ドラマでしか見たことはないけど。

「ばればれの嘘ついてんじゃねえよ。おまえに妹がいるなんて聞いたことないじゃねえか」

「そりゃあ、言ってないんだから聞いてないだろ」

 家族構成なんて偶然話題に上がるか、訊かれでもしないと普通は言わないだろう。俺もその例に漏れないわけだ。御道に妹がいるなどと話す機会は入学当初知り合ってから今この瞬間までなかった。それこそ偶然の巡り合わせで今日話すことになったが、それだってそれだけの因果でしかない。

 気に入らないとばかりに顔を顰める御道。どうやらまだ信じていないらしい。

 実際俺から見ても似てないとは思うので、こいつが疑うのも無理はないのかもしれない。

「……今の、棺継来旋だろ? 一年の有名どころだぜ、あの娘」

「それがどうしたんだよ」

「…………わーったよ」

 沈黙を二倍にした後で、

「そういうことにしといてやる。お咎めなしだ」

 髪を掻き上げながら悲嘆的な溜息を吐いて御道がその事実を許容した。もっとも、百歩譲るどころか今のこいつは一万歩以上譲った上で森羅万象に背中を向けたような状態だが。事実しか言っていない俺としてはいい気分ではないが、戸籍謄本まで持ち出して血縁を証明するほどのことでもない。

 終わった話をからりと切り替えたのは、俺がそんなことを考えている最中に別の話題を提示した御道の方だった。大きなあくびを天井を仰ぎながら吐き出して、

「知ってるか、郊外のマンションの話」

「なんだそりゃ?」

「住人の全員が一晩でいなくなったって話。なんだよおまえ、ニュースとか見ねえのかよ」

 それはまた、奇異なことがあったものだ。マンションというからにはそれなりの人数の人間が一斉にいなくなったことになるが……残念ながら俺は詳細を知らない。今朝はニュースも見ていなければ新聞も読んでいないのだ。

 しかし住人全員が、同時に。それも一晩で。

「集団失踪。完全に行方を眩ませたんだと。まるで魔法だよな、これ」

「魔法……か」

 御道の口からそんな神秘的な言葉が出てくることにこそ驚きだ。

 とはいえ、言葉の主こそそれに似つかわしくはなくても、状況を魔法と言い得るのは間違いでない。なにせ集団の人間が誰にも目撃されず姿を消したのだ。そんなことは普通有り得ない。こんなのは失踪ではなく消失という方が正しいだろう。

 消失。

 炎に焼かれた、焼失。

 住人を飲み込む炎の波。焼き払われる、数十のヒトガタ。

 ……あれ、なんだ、これ。

「あ……ああ、そういえばさ。先週来た転校生知ってるか……えっと、何てったっけ」

 軽い頭痛と眩暈を忘れる為に、適当な話題を振る。

 意識がどこか、触れてはいけない部分に触れていたらしい。けれどそれは、話題を逸らすことによって直ぐに正常へ帰還した。驚くほどにあっさりと、頭痛も眩暈も引いていく。自分でも信じられないくらいの回復振りだった。

 対照的に、機嫌を傾けたのは御道である。

「弓坂絵空だろ。確か、帰国子女だとか言ったな」

 思い出しながら、御道は小さく舌を打つ。

 さっきにも増して不機嫌な顔をする御道。その横顔を隣に発見して俺は、なにか弓坂と因縁でもあるのかと訊いてみる。答えは単純明快にしてしかしながら、この男にだけはケチをつけられたくない事柄だった。

「あいつ、自分の茶髪は天然だとか言い張るんだよ。英国帰りか何かは知らねえが、名前的には純血の日本人だろ。天然なんて嘘に決まってやがる。……たく、風紀が乱れてしかたねえよまったく」

「……」

 悪態をつく御道に対して俺は沈黙するばかりであった。この風紀委員長様は徹底して学園の風紀と治安を維持しようとする鉄の正義の執行者として生徒間に名高い。が、その訳は苛烈な制裁や行動力よりもむしろこの男の風貌にあり、こいつこそ全く同じ文句を受け売りにして自身の頭髪を正当化しているが……現状はそのことを棚にあげるどころの騒ぎではないようだ。

 灯台下暗しとでも言おうか、取り締まるべくはすぐ近くにいると誰かこいつに教えてやれ。

 以上に加えてその他諸々の最早語るべく意味さえ持たないあれやこれやの意思を籠めて肩を叩いてやる。俺がどんな表情でそれをしていたのかは定かでないが、眉間に皺を寄せた風紀委員長の顔を見るとそれも解らなくはなかった。

 教室に入ってから、いの一番に鏡岬(かがみさき)が途方もなく場違いなテンションで挨拶してくるのは本日の俺や御道にしてみれば常識のようなものとして当然に認められていた。もとい、咎め立てても無意味であることを静かに悟った憮然とした心中とも言える。

「おはようっ、グッドモーニングだよ籠野(かごの)くん!」

 窓際からぶんぶん手を振って教室中を満たす大音声の挨拶をスタートの合図として、鏡岬の矮躯が腰を沈めていた椅子から飛び出す。ロケットスタートで慌ただしくショートカットのサイドテールを揺らしながら扉付近の俺に襲い掛からん勢いで飛び付いてきた。

「……相変わらず朝から晩まで騒がしいな、鏡岬。つうか、俺には挨拶なしか?」

「あは、御道くんいたんだ。いやいや失敬、御道くんってクールアンドドライだからさ、そんな風に籠野くんの影に立たれると背後霊にも見えないんだよね。まぁ、それはともかくとして、おは――」

「いい、解ったよ。おはよう鏡岬」

 光速で閃いた鏡岬の手を確認するのと同時か、あるいは初動を視認しての無意識反射かで神速の腕が振り上げられる。御道の手は今まさに爆音染みた音声を放とうとする唇を牽制するように鏡岬の顔の前で翳されていた。

 人の情を感じさせない無愛想なクラスメイトを、それでも笑って迎え入れるのが鏡岬である。声は出さずとも小型太陽みたいな溌剌とした喜色の顕現が表情を染め上げていた。思えば、俺は鏡岬の顔色に喜怒哀楽の二番目と三番目を見たことがない。

「あっ、そうだそう言えばさ」

 御道が言うところの朝から晩まで騒がしい鏡岬は、途切れることもなく話題を提示してくる。ラジオ女と昔御道は称していた。俺を含むこの三人の中で八割以上の割合で会話を振っているのがこの鏡岬だ。ちなみに残りの二割の内一点五割くらいが俺で、少数点五割が御道となる。

「昨日の停電ってさ、まだ原因不明らしいよ」

「停電……? なんだよそれ」

 応じたのは俺で、

「なんだ、おまえ知らないのか」

 俺の発言を意外そうに追及してきたのは御道だった。

 珍しいことに意見が半分に割れて少数になったのは俺という結果になる。御道は疑問符を浮かべた状態から一変、いつもの気だるい眼差しに今度は僅かな呆れを含んでさらに付け加えた。

「……いや、つーかこの街に住んでてあれに気付かない人間なんていないだろ普通。それともおまえ、昨日は夜の十時にはご就寝か?」

 昨日の就寝時刻はと思い出そうとしてみるが、どうも就寝どころか昨日の夜にあった出来事についての記憶を見事なまでに自分が忘却していることに思い至る。

 御道曰く例の停電は十時以降に起きたようであり、その時間なら普段はまだ床についていないはずなので、停電なんかが起きていたなら気付くはずなのだが。

「……しっかりしろよ。おまえ、なんか抜けてんじゃねえのか」

「言い過ぎだよ御道くん。自分だって時代遅れのビジュアル系バンドみたいな髪の色してる癖に。そういうの、自分のことは棚に上げるっていうんだよ」

「鏡岬……おまえの表現ってほとほと解り辛いよな」

 金髪を掻きながら呆れ顔の御道。俺が指摘したいのはむしろその後の発言をスルーしているおまえだ。この状況で何を棚に上げるというのか、そこを受け流すのは少なからず自らに負い目があるからではないだろうか。

「今朝までには復旧したらしいけど、嫌だよねー。あたしまだお風呂入ってなかったからさ。シャワー使えなくて大変だったよ、もうっ」

 鏡岬が頬に空気を溜める。

「って待てよ。それ、停電関係ないだろ。電気だけじゃなくて水まで止まってたのかよ」

「それだけじゃねえよ。携帯の電波は飛ばないし、ガスだって止まってた。本当に、馬鹿げた言い方だが昨日は街が死んでたみたいだったぜ」

「おっ、言うねえ御道の旦那ー。クールな冷血漢のふりしてその実態はロマンチストなのかな」

 ……鏡岬は無視するとして、御道の慣れない比喩は昨晩の惨状……そう表現しておよそ間違いはないだろう……を如実に連想させた。この現代における生活の必需品。電気やガスや電波の一切を遮断された街は確かに、死んでしまったようであるだろう。さながら、死霊の循迷うゴーストタウンだ。

 ふと考える。

 郊外のマンションで住民が失踪したのも昨日だ。そしてそのどちらにも俺は覚えがない。こんなことがただ偶然で済むのだろうか。……根拠はない。本当に唐突に思い至っただけの、くだらない思考の断片。

 だからきっと、気にすることはないのだろう。

「まあ、そんなことに気付かなかったんなら寝てたんだろうな。あんまりよく覚えてないけどさ」

 最後にそう言って話の締めにする。見計らったようなタイミングでチャイムが鳴り、教室の各所に散らばった生徒たちが各々自席へと向かい始める。席が前列の御道は片手を挙げて去っていき、俺と鏡岬はともに窓側へと歩き出した。

 思い出したみたいに鏡岬が提案したのはそのときだ。

「そうだ、籠野くんさ、今日の放課後は暇かな?」

「今日? ああ、別に予定はないよ」

「やった。じゃあさ、今日はあたしに付き合ってよ。部活、自主練だから人集まらないんだよ。ね、お願いっ」

 両手を合わせて、上目遣いに片目を閉じる鏡岬。こんな風にしていれば奇矯な人格も隠蔽出来て、それなりに男が寄ってきそうなくらいなのだが、残念なのかそうでないのか鏡岬がこんな顔をするのは俺か御道の前だけである。

 そして、そんな顔をされてはない用事をでっち上げたり断ったりするのは申し訳ないと思う反面、気に食わないのはむしろこっちだが、男としての性が承諾を強要してくる。

 俺の返答はいつも決まっていた。

「解った。構わないよ」

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