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  /Epilogue

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 恐ろしいくらいに平和で馬鹿静かな日々が、また少しずつ流れ始めていた。

 それはまるで、つい一週間前に起きた全ての出来事が夢だったのではないかと思えるほどに緩やかで、穏やかな、そんな時間。そこには赤い魔術師も黒い魔術師も白い双色なんかも介入しない。全く以てほのぼのとした、どこにでもありふれた日々の木漏れ日。暖かくてつい、転た寝をしてしまいそうな、そんな時がここにあった。

「籠野くーんっ! やあやあ、おはようおはよう! 今日はまたどうしたんだい、こんな朝早くにっ」

 ……と、人がシリアスな流れから大人しい独白で綺麗にこれまでを纏めようとしていたのに、空気の読めないこの剣道少女は元気いっぱいにそれを破綻させてくれるのだった。誰あろう。鏡岬深紗希だ。この、片腕を吊りながらも毎日剣道部の練習を欠かさない生粋の熱血は、今日も今日とて元気百倍である。

 実にやかましい。

「あれれー? 機嫌が悪いね、籠野くん……もしや、失恋でもしたかい!」

 ばっしーん。鏡岬のギプス後頭部強打。俺涙目我慢できない。なんか、色々冗談になってねえんですけどこの人。

 鏡岬さんは続けて、がっしーんがっしーんとばかりに背中をどついてくる。背骨が折れそう。痛いから。本当痛いから。

「あっははは。若いね、若いよ籠野くん! 大丈夫! 君はまだまだ若いよ。君の未来は明るい! そうさ泣くな少年、君は腐った蜜柑じゃない!」

「鏡岬」

「おうっ、なんでい」

 何故に江戸っ子?

「うるさい」

「ごめんなさい……」

 あ、しゅんとした。

 怪我をしている見た目もあるし、こんな本気で所在無さげに立たれると精神衛生的にあまりによろしくない。なんだか自分が悪いことをしているみたいな罪悪感に心の何処かがきりきりと痛む心地だ。

 まあ、それでも。

 俺には、痛む心なんてないんだが。

「朝から元気だよな、おまえら。……甚だ面倒くせえ」

「お、出たな仏頂面金髪ヤンキー風紀委員! 相変わらず今日も倦怠だねえ、まったくよう!」

「やかましい。つうかギプスで殴るな。おまえ、全然もう動けんじゃねえかよ」

「ダメダメこんなんじゃ! 折角練習来てくれる子が増えてきたんだし、あたしは全快するまで休養だよ、てやんでー!」

「うっせ……痛ぇ! 止めろ、叩くなマジで痛いから止めろこのアホ!」

 うわぁ……こんな御道初めて見たかも。されるがまま鏡岬に叩かれてるし。しかも結構痛そうだよ、あれ。しかしまあ、鏡岬がはしゃぐ気持ちが解らないこともない。あれ以来、腕を負傷してもなお一人練習を続ける鏡岬の姿に感化され、練習に顔を出す生徒も現れ始めていた。その大概は後輩で、元から鏡岬のファンみたいな連中だったのだが。練習を全員が全員拒否していたのには、やはり周囲の共感が強く意味を持っていたらしい。

 ……勿論、それだけではないのだろうが。その、言葉に出来ないような要因に関しては、例の事件である程度の収集が着いたのだろう。ある魔術師の謀略が、思わぬところで福と転じたのだ。

 ていうかこいつ、全然休養してないじゃん。

 御道もそんな実情を意識して、今は鏡岬に好き勝手させているのかもしれない。

「てやんでー、てやんでぃっ!」

「痛いって、こら! いい加減にしろよてめえコノヤロ!」

 ……。

 御道、もうただのチンピラじゃないかよ。

「ああ、そういや静月」

 鏡岬に強奪された赤い風紀委員の腕章を奪い返そうと奮闘する御道は、思い出したように俺へと話を振った。その間、鏡岬は終始笑顔で悪戯を続ける。御道の風紀委員腕章は、あろうことか彼のブレザーの背中に装着されていた。……安全ピン。自分じゃ取れないぞ、あそこは。

 教室の入り口を親指で示し、御道は言った。

「お客さん――」

 見る。示された方向にゆっくりと顔を向けて、

「……おまえの、妹だ」

 白い、双色の瞳をにこやかに輝かせる棺継来旋をそこに発見した。




 *




「わたしでごめんね。でもさ、絵空ちゃんは当分この辺にはこれないよ」

 来旋の来訪により、一限目はめでたくサボタージュが決定した。で、ここは青空の広がる普段なら立ち入り禁止区域に指定される屋上。来旋が扉の鍵を持っていても、俺はちっとも驚かない。今更だ。

 聞けば来旋は、あれからもずっとここの生徒をやっていたらしい。当然といえば当然で、元よりこの学園の生徒である来旋があの事件を理由に姿を消す理由は……まあ、ないだろう。

「何の用だ、来旋。今更俺に会う理由なんてないだろ」

「むぅ、冷たいな。いいでしょ、久しぶりにお兄ちゃんに会いたくなったんだからっ」

「やめろ。俺はおまえの兄貴じゃない」

「あはは。気分気分。こういうの好きでしょ」

「……誰が」

「お兄ちゃんの携帯、『い』で変換したら最初に『妹、大好きっ!』って出てくるでしょ」

「アホか」

「ベッドの下に妹白書って本が!」

「何なんだよおまえ! 本当に俺の妹かよ!?」

 ……ていうか、全部フィクションだからさ。いや、本当なんだから……。

 来旋はいつかみたいにケラケラ笑って、しかも腹まで抱えていやがる。双色の目は惜し気もなく涙を溜めて、喜色満面の大爆笑。狂喜して乱舞までやらかしそうな勢いで跳ね転げている。

 何だよ、用がないなら帰れよ。

「あっ、ヒッドーイ。わたし、これでも気になってると思ったから報告に来たんだよ、その後の経過!」

 三角に眉を尖らせた、童顔が怒る。

「むむむ、それなのにその態度。来旋は酷く落胆しましたやる気をなくしました。このままだとお兄ちゃん並びに他の生徒を串刺しにしかねない心境です」

「いや、待て……おまえならやりかねない」

 だから怖いんだよ、こいつは。

「解った悪かった、謝るから許してくれ。んで、ありがとな、来旋」

 来旋は片目をこちらに覗かせる横顔で、

「帰りにアイスを奢りなさい」

「……了解」

「やった。じゃあ赦して上げる」

 こいつさ、協会って組織のナンバースリーなんだろ。

 調子を狂わされながらも、咳払いを一つして呼吸を落ち着ける。ここまでのことがなくても、来旋とは実際に一度会って話をしておきたいと思っていたのも事実だ。あの、絵空事みたいな日々から一週間。今のこの日常は本物なのか……失われたものは、変わってしまったものはどれくらいあるのか。いいや、そんなことよりも何より、もっと――

「協会の手回しで、今度の件は処理しました。報告はわたしからしたので、心配ありません。とある魔術師が、『法典』を錬成する実験にこの地を選び、結界は世界の縮図を造り出すために用意された。魔術師は実験に失敗し、その結果消失してしまいました――と、こんな風に報告しました」

「……」

 俺は、慎重に言葉を選びながら素直な感想を述べることにした。

「それは流石に、無理矢理過ぎないか。勿論、そうしてくれたのは有難い。でも、なんつうか」

「協会は事後処理と事中介入しかしません。事前活動はなし。だから結果はなんだっていい。ここで何があったのかなんて知らないし、魔術師が実際に果て、その回路を残したのならむしろ収穫です」

 焦らすように一呼吸。来旋の笑顔が綻ぶ。

「だから弓坂絵空も追われる身ではありません。本人は知らないだろうけどね。安心した?」

 ……こいつは、本当に。なんていうか、見事にこっちの聞きたい答えを提出してくれる。逆に言えばそれは、俺の考えが読まれているみたいで多少嫌だという部分もなくはないのだが。この際なんで気にしない。

「生徒はみんな結界に当てられて記憶はないし――あの彼女には、わたしがばっちり暗示を掛けたから大丈夫。ていうか、記憶を削り取ったしね。そこに、彼女の色だけを残して」

「おまえ……そんなことまで出来るのか。結局、何者なんだよ」

「わたしはわたし、棺継来旋。棺継家の成れの果てで願いの破綻者。それだけよ。今は協会の第三位なんてやってるけどね」

 くすり、と艶やかに少し年相応でない含み笑いをして、来旋が話の結びを付ける。

「まあつまり全部元通り。世界は無関心に回ってるし、いつもいつでも世界の色は普遍だよ。それがいい、その方がいいね。静かなのが一番だよっ」

 くるりくるり、傘を回すように回って、来旋が屋上唯一の出入り口に向かう。義務的に話すことは全て話したと、自分の役目は終わりだと、そう告げるように。青空の下で、白い少女は舞うように足を踏む。

 その小さな姿を不意に呼び止めて、

「ありがとな。一週間前、被害者がいなかったのは、おまえが結界を止めてくれたからだろ」

 最後の夜。

 街中の回路が起動していながら住民に負傷者はゼロ。誰も暴走はしなかったし、何の被害も出ることはなかった。それはつまり誰かが結界を封じてくれたからで、俺の知る限りそんなことが出来るのは一人だけだった。

「ねえ」

 来旋は答えない。答えないし振り返らない。そのままで、

「世界はどうしてこんなにも綺麗なのかな? ――答えは見付かった?」

 屋上の鉄扉に触れながら、彼女らしいほんの気紛れみたいに訊いてくる。その答えに期待はしているだろうか。俺は、胸を張ってただ一言、去っていく白い少女に答えた。

「見付けたさ、ちゃんと。答えはここにあったんだ」

 階段の一段目に足を掛けていた矮躯が軽く振り返って――言葉はなく、満開の笑みだけを鮮烈に残して、双色の瞳を持つその少女――棺継来旋は去っていったのだった。

 そうして残る、平穏。僅かに漂う、異常の残滓。

 こうして消えていく、これまでの日々。

 だけどそれは決して夢でも幻でもなく、この先もずっとこの場所に残り続ける事実。世界を渡る風が、いかなモノを風化させていこうとも、色褪せても形が欠けてもなくなることのない、いつかの記憶。多くの物を傷付け、壊していったそれは、けれど大切な日々の名残。

 忘れることなんてない。

 だってそれが約束だから。

 いつか、自分を許せる日が来たなら、また帰って来ると口にした少女との約束。

 その生涯を、赤い夢の記憶をなくさないように――この場所で、空を見上げて待ち続ける。彼女が帰ってきたとき、この想いが、心が、己の色が本物だと胸を張れるように。信じていよう。またいつか会える日がきっと来ると。

 夢が醒めてしまっても。

 そこにあった誰かは、いなくなりはしないのだから――――。

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