22/世界の終日
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「小娘が。いくら支配したとはいえこれは俺が作った結界。共鳴することは容易い。隙を見せたことが貴様の敗因だ。なにより、我が城を征服しようとした奢りこそが、万死に値すると知れ」
ロッドレイルの憤慨が更なる針を虚空に紡ぐ。既に動く気配の失せた来旋に対してでないのなら、それはまだ息の根を絶やさぬ俺達の為に用意されたと考えて間違いはない。
状況は、なにも変わらなかった。
弓坂は目を細めて光の針を見据えている。……そう、変わらないのは彼女の命運。来旋でもロッドレイルでも同じこと。この場所には彼女の生き残る運命が用意されていない。協会であれ、魔術師であれ、その目的は『法典』の入手なのだから。
一つだけ、彼女を救う方法があるとすれば、それは――
「傲っているのは貴方の方です、シリア=ロッドレイル」
凛と際立った声だった。
凡そ、死者が発音するとは到底思えない声。
光の針に貫かれた棺継来旋が、何事もなかったように立ち上がり、殺意の視線を自らを奇襲した相手に向ける。
「支配階級の頂点は王ではなく神。貴方は結界を城と呼び、自らを王と称した。残念だったわね。それならこの結界を征服したわたしは神――この世界での死なんて、超越した存在なのよ」
傷一つない体。白い肌。乱れた髪を整えて向き直る。唖然と立つ魔術師の命運は、ここで尽きる。驚愕を恐怖に置換し、無闇に針を乱射しなかったことはある意味で称賛に値するかもしれない。
それが無駄だということは、恐らく全員の共通認識だった。
来旋が手を上げる。切っ先を百八十度旋回させた光の針が標的を変える。一度攻撃を受けた来旋に容赦はない。呆気なく、一人の命を握った手を振って号令を下した。
「死なないってもね、痛いのよ。だから乱暴にされるのは嫌い。遣られたら、殺り返すのがわたしの主義」
光の霧が体育館の壁を隠す。霧散した光の晴れた後には、
「でも、人殺しはもっと嫌い。だから殺さないわよ。貴方の処断は協会が行います」
四肢を貫かれて磔にされた魔術師の姿があった。
憎悪の瞳が視線で来旋を焼き払おうとする。少女はそれを無視して、完全に魔術師への興味を無くした。いや、それは無くしたという自然的なものではなく、自ら棄てたという方が正しい。魔術師の怒りはこれに由来した。
「……貴様、協会の犬、破綻者が」
怨嗟の言葉に一瞥。来旋の意識がロッドレイルに向いたのはそれが最後。
少女の関心は今、完全に弓坂絵空……『法典』にあった。
「邪魔が入ったわね。……あーあ、面倒だな。でも仕方ないよね。――『法典』にはそれだけの罪が在るんだから」
ぱちん、と指を鳴らす。立ち上がろうとする弓坂の脚を閃光が掠めていった。それで苦悶の声と共に崩れる弓坂。来旋が歩く。自然な足取りでこれから処断する対象に無感情なまま。協会の意思を代行する双色の螺旋。棺継来旋が、弓坂の頭の上で手を翳した。
それをただ、見ていた。
止めることができなかった。
そもそも、視界が安定していない。さっきから頭痛と一緒に流れ込んでくる映像が視界を覆っては、残像を残して消えていくのだ。自分が何を見ているかは、けれど明確だった。
見ているのは圧倒的な罪と絶望。
赤い世界に響く嗚咽と断末魔。
気が狂ってしまいそうで、吐き気がする。泣き叫ぶ声が言っているようで――おまえのせいでみんな死んだ、何もかもが壊れたと叫んでいるように聞こえた。
耳を塞いでも聞こえてくる。弓坂は、こんなものに耐えて生きているのか。
こんな絶望を己が罪科にして。
赤い視界に蘇る悲劇の夜。マンションの住人を焼いた炎から逃げ出した少年を見る。感情なんて残っていないのに、生きているから体は死なないように運動を促す。少年のそんな姿さえ、糾弾に思えた。
見ろ。
これが、おまえの生きる代償だ。
だけど……こんな、もの。
間違ってる。これは『法典』の記録。それにより弓坂が責められるなんて間違いだ。なのに、それでも――夢の中で、届くことのない謝罪を叫び続けている少女がいた。その姿だけで、本当は十分だったんだ。
千年間。『法典』が記録した死の全てが彼女を責めても、俺はそれから守り抜こう。
そう、少女の夢に誓ったはずだ。
「……神話、再生」
来旋が呆れたように振り返る。この期に及んでまだ自分に刃向かうのかと、愚行にも程がある。愚行であり愚考だ。自分には決して敵わないと、つい今し方証明したのに。
だがそれでも止まれない。敵わなくてもいい。なにもしないで彼女を失うことの方がよっぽど辛いはずだから、それをただ見ているだけならこんな命は、消えてしまった方がずっとましだ。
光の針が唸りを上げる。旋風を巻いて飛来する針が脚に突き刺さった。予備動作無し。反応が遅れる。……そもそも、そんなものがあったなら躱せたのだろうか。きっと無理だろうな。
脚はまだ使える。ちょっとどころでなく痛んでも、立ち上がるのに支障はない。歩けるなら、問題はないんだ。今は、弓坂の隣に行きたいだけだから。
舌を打つ音が聞こえた。
轟然と、今度は二本の針が脚と肩を切り裂いていった。それに思わず姿勢が傾ぐ。歩くのが少し難しいかもしれない。もう、脚に力が入らなかった。――そんな状態でも、容赦なく続く針の飛来。脹ら脛、腿を切って脚を潰される。遂に立って歩けなくなった。
だったら……、腕を使えばいい。這うようにして、それでも止まらず前進を続けた。
「なんで……なんで、止まらないの。貴方は魔術師じゃないのに……。『法典』に執着する理由なんて、ないはずなのに!」
来旋が怒鳴る。
魔術師――『法典』……ああ、確かに関係ない。
俺は魔術師なんてものではないし、『法典』なんかにも興味はない。ただ俺は――
「……違うんだよ、来旋。俺は、さ……『法典』なんてどうでもいいんだ。ただ、弓坂が、好きだから」
だから、守らないと。
大切なものが、壊れてしまわないように。
「そんなものは、偽物です。空白だった貴方の自己が共界魔術に当てられただけ、そんなもの、本物の感情なんかじゃない……ないんだから!」
「……ああ、そうかもしれない。きっと、それが正しい。俺の心は偽物だよ。でも、弓坂を好きだって気持ちはきっと本物なんだ。……いや、偽物でも何でもいい。確かにそれは俺から生じたものだから――偽物の心でも、それが籠野静月の唯一なんだ。だから手離さない。どんなことがあっても絶対に、守り抜く」
心に決めた。偽りの心にガラクタの感情。それでも一つだけ誇れるものがあるとしたら、きっと、それはこの誓い。彼女が一人で泣いてしまわないように、どんなに辛い夢が少女を責めたとしても、それを笑い飛ばせるように――
傷口から、一歩進む度に溢れ出す血液と生命。さっきまで塞がり掛けていた傷も完全に開いた。踏み出す代償の激痛は意識を浚い、果ての景色に追い返される。繰り返す前進はいつまで経っても目標の場所に辿り着けない。……よく見れば、同じ場所で何度も横転していた。自分の血が滑る。上手く起き上がれない。だったらまずは、この脚で立つことから始めないと。
「……なにやってるのよ、このバカ」
誰かが呆れて、だけど喉が枯れそうな苦痛の声で言っている。視界が霞む。その姿が、よく見えない。
……あれ。俺、何の為にこんなことしてるんだ。
「もういいから! わたしがいなければ何もかも解決するから……! 諦めるから……。だから――もう立たないで……お願い」
なんだ、こいつ。何で泣いてるんだよ。さっきまで怒鳴ってたくせに。……でも何で、泣いてるんだろう。……ああ、そっか、俺が悪いんだ。俺のせいで泣いてるんだ、こいつは。
泣かせないって、決めたのに。
そう、思った途端に体が機能を取り戻す。這いつくばっていただけの体を、腕と脚――全身を使って立ち上がらせる。けれどやはり、都合よく痛みがどこかに行ってくれた訳でも傷が塞がった訳でもない。立ち上がる、ただそれだけのことがこんなに苦しい。息をするのが、こんなにも辛い。
知らなかった。生きてることが、こんな難しいことなんだって。
「もう止めてよ……! 無理だって、解るでしょ! これ以上無理したら、貴方本当に――」
「――うるさい……!」
叫んだ後、肺の中で手榴弾が爆発したような錯覚をした。同時に口から何かを吐き出す。赤い色のそれは足元の水溜まりに落ちて、音を立てて溶けた。
「……いいから、黙ってろ」
あんまり、泣かれたら……頼まれたら、本当に立てなくなりそうな気がするから。
折角、後少しで体を起こせるのに、台無しにされたら堪らない。だから後少し、黙っていて欲しかった。後一度でも妥協して膝を屈せれば二度と立ち上がれなくなる。
「俺には……『法典』とか、そんなのはよく解らない。だけどそんなことで、おまえが泣いてるのは……そんなことは、我慢できない」
「違うのよ……そうじゃない。だってこれは断罪で、当然の報い。わたしは『法典』だから」
その一言に憤っている自分がいた。
それで、やっと解った。何が気に食わなかったのか。
何がそんなにも許せないで、意地を張っていたのかがようやく理解できた。
「おまえは――」
俺は、ずっと。
「――弓坂絵空だろ……!」
この一言を、糾弾してやりたかったんだ。
だってそうだ。弓坂は弓坂絵空で、『法典』なんかじゃない。彼女がその罪を、千年間を背負い続けるなんて間違ってる。俺はずっと、夢の中の少女に憤慨していたんだ。その夢に、赤い世界が彼女を責める夢が許せなかった。
だからこそ美しいと感じたんだ。
いつも、強くあろうとしていた、今ここにいる少女のことを。
なら、泣かせてなんていられない。
「おまえは、弓坂絵空だから――その生涯は、おまえのモノだ……『法典』なんかのモノじゃ、ないだろ……!」
「なんで……その心は、偽物だって解ってるでしょ……?」
膝に満身の力を籠める。負担が掛かるのは脚だけではない。腕も、背中も、頭も。今にでも爆発してしまいそうなくらいの激痛に軋んでいた。
弓坂の表情が、よく見えない。赤い瞳は、どうだろう。少なくとも、笑ってはいない。
偽物の心。
弓坂絵空を好きだという、偽り。空白に塗られた、彼女の色。偽物の心を感化したのは、彼女の魔術であって生涯ではない。俺は、本当は弓坂が好きではないのかもしれないと、そのことを信じようとしていたこの心こそが負けていた。
嘘でも、偽りでも今はいい。いつか、その想いが本物になるように――
「わたしは……貴方を殺したのに」
「……だけど、俺はおまえに救われた。だから言うよ……嘘が、本当になるように」
この心は、決して。
この色は、きっと。
「――それでも、俺は、弓坂絵空が好きなんだ。『法典』なんて関係ない。おまえが、好きなんだ……!」
視界に微かに揺れる蜃気楼。赤い絶望の景色が浮かび上がる。『法典』からの干渉が見せる夢。いつもの場所に少女がいる。――夢の中で、初めて彼女と目があった。
「……ごめんな、おまえが何て言っても、俺はやっぱりおまえにいて欲しいんだよ」
だから。
彼女を責める全てのモノを――この世界を殺す。
「千年間の罪が鎖になるなら、そんなものは引き千切ってでも解放してやる。こんな断罪の世界は、俺が壊す」
意識を還す。呼び掛ける、己の世界。循環する世界の神秘を、伝承される神々の物語を使役する。再生しろ。世界を終わらせる、その神話を。こんな悲しみしかない真っ赤な世界は要らない。これが目の前にあるのなら、必ず討ち滅ぼす。
「……そこまでです。もう、十分でしょう」
白い少女の声。天井に敷き詰められる針の軍勢。殺戮を与える光の空。この世界において生命は少女の胸三寸。号令一つで光速の内にこの身は原形を失うだろう。
「これ以上は、協会への敵対と見なし、速やかに処断します。籠野静月、貴方は自分が戦争の要因を擁護し、許容しようとしているのだと理解しているのですか。それがどれほどに危険な思想か、その異端がどれほどに罪深い存在かを」
そんなことは知らない。だって当然だ。俺の見ているものと、来旋の見ているものは違う。本当は初めから『法典』なんてどうでもよかったんだ、俺は。それが戦争の火種なら、滅びの因子なら許せない。千年の罪悪が造り出した結集なら認めないだろう。でも違う。
そうだろ。
ここにいるのは、弓坂絵空なんだ。なら俺は、彼女の背負う全てを許容する。その罪が少女を責めるなら、千年間の歴史ごと破棄して見せる。その為に俺はここにいるのだから。少女を守るという誓いを果たすためなら、この体が朽ち果てても構わない。
仇為すモノは何であっても、その為になら否定する。例えそれが、世界にとって間違いでも――信じ続け、貫き通せばいつか、間違いではなくなると信じているから。
「……そう。それが貴方の答えなら否定はしません。わたしは、ただ」
協会の第三位、双色の螺旋が手を上げる。
「協会の敵を、殲滅する。それだけです」
針が落ちる。球体に陣形を構えた光はしかし、どんな数、どんな形でも意味を為さない。そんなものは初めから意識にないのだから。今、籠野静月を満たすのは己が世界の心音。世界の感情から手繰り寄せる超常の回路。深く深く、深層の果て、遥か彼方の原初の中心。
視界に顕現する赤い記憶。頭痛が激しさを増して意識を凌辱する。だがそれも今は遠くへ。意識は全て世界に還す。そうすることで再生する神話。この身では一度の行使が限界。故に失敗は許されない。
過てば、大切なものを全て失う。
赤い世界に一人、泣いている少女を見た。それが彼女の本音。気丈に振る舞い隠してきた弱さ。小さな背中。爆音に飲まれる嗚咽。赤く照らされた泣き顔に告げる。
直ぐに、解放してやるから。
こんな世界は、俺が今直ぐに――
「――神話、再生……!」
掴み取れ。
引き釣り上げろ。
我が魂の世界卵に刻まれた神の伝承を。神々の物語の、その終焉を――。
一振り。手にした神秘を振るう。それだけで全ては叶えられる。この世界の終局も、少女の救済も、針の撃墜も何もかもを叶える魔法。語られる神話に曰く、その一太刀は世界を切り裂き、終末の炎で世界を焼き尽くしたと言う。語り継がれる果ての物語。巫女の予言の最終章。
其は。
「……『世界の終日』。そんな、嘘」
弓坂が愕然と口にする。
剣が放つ炎が世界を切り裂き、焼き払い、軋みを上げる空間を征服していく。結界の術式も、ここでは意味を持たず、絶対の理は炎による世界の蹂躙ただそれだけ。それは、飛来する無限の針を焼き尽くした。
「神話の再生。物質だけでなく、伝承そのものを再現する。……それが、貴方の魔術の極致ですか」
炎に飲まれる体育館は、既に結界の作用も消えて軋みだしていた。だがまだだ。これだと足りない。もう一振り。伝承では一太刀でも、これは現実。回路が未だ繋がるこの瞬間に、もう一度――
伝承を凌駕して再度、英雄の剣を振り落とした。
それは、どうしようもない止めになった。
大切断。刃風が過ぎ去り亀裂を作る。走り抜ける剣圧と風が床を、壁を、天井を引き裂いて進む。炎が世界を焼き払い、斬撃が世界を断絶する。巨大な熱風の剣は白い少女の頬を掠め、その先にある鉄扉を壁ごと破砕した。爆音がスタート合図。動きたがらない脚に叱咤。馳せるのは赤い少女の元へ。
来旋が舌を打つ。支配していた世界を失い、針を使役できなくなった来旋にはこの鈍走でさえ止めることは叶わないだろう。一息に駆け付ける。血溜まりに横たわる少女の前に立ち、双色の魔眼と対峙した。背中に告げる。大きな声は出ない。既に肺も喉も擦りきれそうだった。
「逃げろ、弓坂」
道は作った。同時に来旋も無力化した。弓坂一人を逃がすくらいのことならば可能。来旋の前に立ったのは万一の為、彼女にまだ手が残されているのならば――いや、きっと何かあるだろう。その何かから弓坂を庇う為に、盾になる為に俺はここにいる。
音が聞こえない。弓坂の立ち上がる音が、しなかった。それは炎が空気を焼く音や、木造の体育館が軋む音に掻き消されたのか、それともまだ弓坂が起き上がっていないだけなのか。もう動けないなんてことは、恐らくない。
「静月……あんたまさか、一人で相手をする気……?」
棒読み口調は、信じられない状況に直面して感情が削がれてしまった様。
「自分がなにをしてるか、解ってるの……! ダメよ、相手は協会なのに、敵うはずが――」
「うるさい! いいから行け!」
振り向かない。今は、既にそんなことに意味はなかったから。
「……それだけ怒鳴れるなら、まだ走れるだろ。大丈夫だから、俺は」
「……だって、そんなことしたら絶対」
死ぬ。
この場でこれ以上来旋に歯向かえば、必ず殺される。協会がどんな存在か知らなくても、自分のことだからよく解っている、そんなことは。だけど、
「俺は――ここで、おまえが殺される方が嫌なんだよ……! そうなったら、死ぬより後悔する」
だから、これは彼女の為ではなく、自分の為。
「……行ってくれ、弓坂。こんなところでおまえに死なれたら、俺は自分が赦せない」
何度だって言われてきたことだった。
俺には守るべき自己が欠落している。だから他者を許容し、依存することしかできない。その歪な在り方は、色を無くして尚も籠野静月が果てず在り続ける為の手段。その為に、弓坂には生きていてもらわないといけない。
彼女の存在は。
彼にとって、生きる為の夢そのものなのだから。
水を打つ音が聞こえた。弓坂が立ち上がり、駆け出した音。足音は遠ざかり、そして消える。
残されたのは木材の断末魔と、火炎の唸り。世界の終わりの音を、ぼんやりと聞いていた。
これでいい。弓坂なら上手く逃げ切れるだろう。そうでなくては、俺がここまでした意味が無い。……生き残った意味が無いんだ。致命的に壊れていた。弓坂絵空という誰かに、俺は、こんなにも何もかもを奪われていた。
でもそれは何処か心地よくて、もう、未練は残っていない気がした。
「限界のようですね」
声が、上から降ってくる。
来旋の身長は俺よりも低い。また知らない間に倒れていたらしい。ただしこれまでと決定的に違うのは、もう次は立ち上がれないということ。それは、さっき自分でも解っていたことだ。もう力が入らない。無理をし過ぎた結果がこれだ。いよいよ意識と体が乖離して、落ちていく意識も、硬直していく体にも制御が届かない。
「目が見えていないようですね。本当に……どうすればそこまで自己を磨耗させられるんだか。そんな、空っぽになってさ」
呆れて、だけど笑って、
「本当に、バカなんだから」
落ちていく、深い意識の底に。
飲まれていく、自分の中の世界に。
自己の欠損とか、そんなどころの話じゃなくて――そうか、わかった。
――――これ、が――――、
――なくなるって――こと、なんだ――――――
消えていく最後、その声を聞いた。
「約束したのに、心配かけないでって」