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17/静謐の狂戦士

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 ――ぎぃぎぃぎぃ、ぎぃぎぃぎぃぎぃぎぃぎぃぎ。

 これからの目的として最優先にすることは、負傷した生徒の手当てだと弓坂は言った。

 斬られた生徒がいたのはこの教室だけではなく、他の階の他の教室にも同じ状態で倒れた生徒は多々見受けられたという。その生徒達を上の階から順番に処置していく内に、さっきの状態になったらしい。残るは今入るこのフロアと、後はこの下の階。

 曰く、魔術師でない人間は当然のように魔術への耐性がない。長く結界に共鳴していれば体の方が強制的に機能を落とすものだと言う。弓坂が言うには結界が発動してからそろそろ二時間が過ぎようとしている。人形にされた生徒達が直に動けなくなる今の頃合が行動を起こすには丁度のタイミングだった。

 ――ぎぎぎ、ぎぎ、ぎぎ、ぎぎぎぎ、ぎ、ぎ。

 こんな時でも暢気にチャイムを放送する校舎内。その鐘の音が下校時間を報せている。この鐘で下校する生徒が一人でもいるなどとは思えないが。

「それじゃあ、そろそろ行きましょう。今までの分を見てたら、放っておいても大事には到らないと思うけど念の為よ。万が一ってこともあるし。この醜悪な人形劇を用意した奴も、待ちくたびれてる頃だろうしね」

 ――ぎぎ、ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ。

「ここまでやられたんだから、しっかりやり返してやらないと気が済まないでしょ。お互いに」

 ――ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ。

「ねえちょっと、聞いてるの? さっきからどうしたのよ」

「いや、別に……なんでも」

 ――キィ――――――…………

 何でも、ないのか。

 いや、そんなことはない。確実に可笑しい。さっきからずっと、この音が聞こえてる。それも少しずつ纏まりを持って、少しずつ音が線になって。乱れていた小さな音が一筋の綺麗な波を響かせ近づいてくる。

 鉄の音のようだった。

 先端の尖った鉄を床なり壁なりに擦らせながら誰かが引いているような、そんな音。初めは遠くに聞こえていたそれがここにきて確実に距離を縮めてきているのだ。まるで足音。その存在を報せる存在の鼓動。耳の痛くなるようなその音が、誰かの悲鳴みたいなその声が――

「後ろだ弓坂!」

「へ――?」

 背にした壁に嵌め込まれた、スリガラスの窓に人影が映る。影は手に持った刀のシルエットを上段に構え、振り下ろす力を腕に伝える僅かな停止の姿勢でそこにあった。その影が、瞬きを挟まぬ間に掲げた刀を振り下ろす。

 瞬間の判断で駆け、刀の軌道から弓坂の体を弾き飛ばす。半ば押し倒す形になったがそんなことを気にしている場合ではない。斬られた窓は静かに断裂を許し、壁もまた同じ様に、音も立てずに亀裂を刻んだ。

 壁を一枚隔てた廊下と教室。

 二つを繋ぐ鉄の刀身が、沈んでいく夕陽に照らされて鈍い輝きを反射させた。

 戦慄する暇も無い、状況を一瞬で了解した弓坂がするりと体の下を抜け出して前方の扉に走る。同じ様に、俺も弓坂を追いかけた。立ち上がる直前にもう一度それを確認する。学校なんて場所にあって異彩を放つ、銀色の鉄。

 その刀身は、記憶に新しい傷口に相応しい形状を模していた。

 想像通りの得物。想像通りのその切れ味。あまりに思い描いた光景と同じ現実がそこにあって、それはもう一つ、悪い予感が的中していることをここに表している様に思えて目を逸らす。これを振り下ろした見覚えのある影が、姿を現したときに彼女と別の様相を呈していることを祈って、教室を出た。

 悪い予感は、いつも当たるものなんだといつも思い知らされる。

 教室を出て初めに目に入った少女の姿は、きっと今どんな現実よりも見たくなかった形をしていた。

 黒いブレサーの下、白いシャツに血飛沫で鮮血色の斑模様を施し、白い頬に花弁のような血の痕を残した鏡岬深紗希が刀を携え虚ろな瞳をしてそこにいた。

「籠野くん……なにしてるの、こんなところで」

 いつもの調子外れな声とは打って変わって、生気を感じさせない声が問うてくる。

「あの子……普通じゃない。離れて、静月。ちょっと大きな力を使うわ」

 一歩前に出る弓坂。

 本気の横顔が、彼女の言葉が嘘でないことを物語っている。俺が見ても異常だと解る鏡岬の様子に、逃げるだけの手段が有効でないと判断したのだろう。状況から殺し合いになるようなことはなくても、ここでの戦闘は避けられない。

 何が異常なのか。

 考えるまでも無い、全部異常だ。

 この結界の中にありながら言葉を紡ぐ意思。教室の外から内部にいた俺たちの存在を看破するだけの洞察力。手に持つ刀こそその象徴だが、それすら凌駕する異常が鏡岬深紗希自身と言えた。

 臨戦態勢で構えて前に踏み出す弓坂を、俺は片手で制した。

「悪い、弓坂。ちょっと下がっててくれ」

「え? ちょっと、どういうつもりよ」

 いいからと力尽くで弓坂を押し戻す。

 俺の態度が珍しかったからか、弓坂は存外大人しく引き下がった。その怪訝な表情に応えるだけの余裕はなく、今はただ視線を合わせるだけで直ぐに眼前の少女に向き直る。鏡岬はぼんやりとした目で、依然としてこちらを眺めていた。

「約束したよね、今日は練習、付き合ってくれるって。なのにさ、もう放課後だよ」

「悪いな。ちょっとした事情があって行けなかったんだよ。おまえこそ、なにやってんだよ。そんな物騒な物持って。練習はいいのか、そんなの剣道には使わないだろ」

「練習なら、したよ。みんなと」

 かちり、と鉄の音。刀を握る手に力が入った音。

 一秒を経て、鏡岬の纏う空気が変わった。柄を握っただけで自己を作り変える、剣士として一流の者が成し得る自己暗示。鏡岬がその域に達していたとしても驚きはしない。しないが、彼女の放つ気に当てられて身動きが取れなくなったのは、それとは関係のない問題だ。

 弛緩していた空気が張り詰め、少女の視線が刃物の鋭さに研ぎ澄まされる。

 殺し、殺される。一歩踏み出せば容易に死線を越えてしまう一触即発の状況。

「みんなが練習にきてくれないから」

 あまりにも自然な動きだったから、反応できなかった。

 流れるような体捌きは、刃を持ち上げる様子に全くと言っていいほど危機を感じさせず対応を遅らせる。ぶれることのない視線。剣道特有の脚捌きから――ノーモーションで飛び出す体に、瞬間の対処が間に合わない。

「あたしが、わざわざ教室まで行ってあげたんだよ」

 流れる体が懐に滑り込む。場の全てを支配するような圧倒的存在感と気迫を伴った鏡岬深紗希の眼光が、獲物に杭を打ち込む。動けない。反応が間に合わない。銀光が迫る。振り上げられた刀身はそのままの軌道でこちらの首を刎ねるだろう。

「だからさ、籠野くんも――」

 煌めく切っ先が殺意を帯びる。鏡岬は最後まで俺と目を合わそうとしないまま――

「――練習、しよ」

 冷たい刃が皮膚に食い込む。肉を裂いて止まらず深く深く切り込んでくる。動脈を切り裂き鮮血の花を咲かす。血の飛沫が霧に変わってもまだ止まらない。鉄の刀身は肉を抉り、首の骨を切断して振り抜かれる。――殺人の一刀が無情に首を弾き飛ばした。

「なにぼけっとしてんのよあんたは!」

 ――そんな、幻を視た。

 手首を強い力で握られている。呆けた意識を回帰させるその声のする方へ体が引かれている感覚。寸前に虚空を薙いだ刀身が視界の端に映った。それに気付いてぼんやりと、自分がまだ生きているんだと他人事のように自覚した。

 救済の引力は少女の腕から。傾ぐ姿勢が九死に一生を得る。

 完全に諦めていた。助からないと思わされた。視線を交えるにも至らない。そんな一流の対決になるべくもないのだ。元より剣を持った鏡岬に俺が叶うわけがない。彼女の剣に首を狙われたのならば素直にそれを差し出す。抵抗など無駄に等しいならば、足掻くことなく敗北を受け入れよう。

 ――命を賭した判断でさえ、一瞬で諦観に変えさせる。鏡岬の覇気は、それだけで身を滅ぼす鋼の刃だった。

 長くモノローグを挟んで停止していた時間が再開される。肩を打ち付けた痛みで現実に意識を呼び戻した。さらにまだ引力は続く。脚が伸びきる前に後方に体を引かれて後退を余儀なくされる。勢い余って尻餅をついた先には弓坂の背中があった。

「共界回路連続機動、充填、一斉解放――!」

 刀を振り抜いた体勢の鏡岬は瞬間的に無防備に曝される。その隙を最大限に活かすために間を与えず弓坂が詠唱を紡ぐ。突き出した掌、手首を逆手で固定している。夕焼けに劣らず光を放つ赤い瞳。

 世界と連結した魔術師の手から放たれる、火炎の弾丸。それは一撃に終わらず、二弾、三弾と弾幕を生む。

 鏡岬は――その悉くを弾いて回避していた。目まぐるしい速度で閃く刀身は、一発たりとも赤い弾丸の到達を許さず切り捨てていく。バックステップで距離を作りながら最小限の動きで躱し、往なし、弾く。そうしてとうとう剣を持った少女は全ての攻撃を無力化し切って見せた。

 両者の間にもう一度距離が開く。最初に対峙した間隔と同じ。一瞬の攻防の跡は禍々しく、弓坂の魔術を鏡岬が防御したことにより廊下は至るところに窪みや焼け跡を作っていた。

「なによ、あれ。まるで化物じゃない」

 腕をだらりと下げて、絶望的な呟きを弓坂が溢す。

 化物と、その剣の腕を称するのは決して間違いではない。鏡岬深紗希の実力は紛うことなく本物。そこに加えて日本刀という凶器を与えてしまえば、それは既に殺人鬼に同じだ。……さらには、今日の鏡岬は様子が可笑しい。いくら全国級の実力があるとはいえ、条理を捩じ伏せた超常に刀一本で太刀打ちできるなんてことが有り得るのか……?

「……結界のバックアップね。信じられないけど、この結界に意識を支配されず、どころか共界魔術の域にまでそれを持ってくるなんて……有り得ないわ」

 鏡岬が片足を上げた。準備運動で筋肉を解しているようなその動きは次の瞬間には必殺の一撃に繋がる一歩に変わるだろう。

「厄介過ぎるわ。ここは引くしかない。悔しいけど……真っ向勝負では敵う気がしないわ」

 ほら早く、と急かす弓坂。だが、それには従えない。ここで鏡岬を無視して逃げるなんてことは、してはならない。

 今にも飛び出しそうな鏡岬を見据えて、精神を研ぎ清ます。外界からの感情を完全に断ち切る前に一言、弓坂に頼んでおかないといけないことが残っていた。こんなことを言えば怒るだろうな、と思ったが、今は迷っている暇がない。

「鏡岬の相手は俺がする。隙を見付けたら、その隙を逃げ切れるだけのものにしてくれ。方法は任せる」

「正気? わたしが言ったこと聞いてなかったわけ。それとも忘れたのかしら。自分が首の皮で生き繋がったんだってこともいっしょに」

 今はそんな嫌味を言っている場合じゃないだろうと思いながら、それは口にしない。あくまで冷静に振る舞う。

「どの道、ただ逃げるだけなら直ぐに追い付かれるだろ」

「……だからって、あれには敵わないわよ。隙なんて出来やしないわ」

「ああ。剣の腕なら敵わない。それは絶対だ。だから――俺が勝つ方法は一つだけ、同じ物では敵わない、だったらあの刀よりも優れた武器を用意する」

 視界の中から――鏡岬が姿を消した。這うような姿勢での疾走。剣道とは無縁の足運びは一度こちらの死角に潜る為。彼女なら刹那の隙があればそこに衝け込んで敵を打倒できる。半分ほどの距離を縮めて背筋を伸ばしまた、姿勢を変えずにスライドする歩方。距離感が狂わされて対応が困難になる。

 一瞬だ。

 この一瞬の内にイメージを展開する。

 再生しろ。

 作り出せ。

 鏡岬を打ち負かすことの出来る、伝承されるその奇跡を――。

「行くぞ……神話、再生」

 頭の中にある回路を繋ぐ。世界に刻まれた神秘の回路と己の回路とを接続し、その奇跡を使役する。現実ならば剣を交えることさえも叶わない。だがどんなに強大な相手であっても想像の中でなら凌駕するのは容易い。神話に語られる奇跡を使役し、本来ならば敵わぬ相手を迎え打つ。

 作り上げるのは神造の剣。かの英雄が持ち得た無敗の宝剣。鏡岬に勝つにはそれでもまだ足りないかもしれない。だが、モノを手に入れた後は俺自身の腕に全ての責任が課せられる。

 無理だとは思わない。何度も打ち合ってきた。ならば恐れることはない。

 ここにいるのは化物なんかじゃなく――

「……っ……この、こんなときに」

 頭痛が、鏡岬の飛び出すタイミングと重なる。一撃で決めなければならなかった。戦いが長引けば負けるのは千回中千回俺の方だ。打ち合う数が増えればそれだけ不利になる。

 視界の外側から跳ね上がってくる剣を弾く。自分の作ったものを見る余裕はない。打ち合った感触だけで次の動きを読むしかない。正直この先は運次第だ。この鏡岬が、まだ俺の知っている鏡岬深紗希なら刀身の軌道が重なり合うのは必然。

 左に体を捻る。構えは下段。渾身の力で剣を振り上げ――落ちてくる鏡岬の刃を受け止めた。

 衝撃に破裂する窓。硝子の散らばる音と舞い上がり煌めく輝き。その粒子の光は硝子だけでなく――互いに砕け散って塵に変わった鉄も含まれていた。二つの刃は共に破砕したということ。交わった瞬間にそれぞれがその存在に耐えきれなかった。

 一方は杜撰な魔術により再生された神話が、それを為し得るに相応しい供給を得られなかったから。

 一方は無理な魔術の付与に耐えきれず、その強度の限界が超常の負担に耐えきれなくなったから。

 塵に変わる二つの剣。瞬間、目が合う。

「な――あ、ぐぁ…………っ」

 気を抜いた一瞬をついて鳩尾にめり込んできたのは、砕けた刀身に対して残された柄。それを逆手にして武器にする発想を一瞬で繋いだ鏡岬の思考にこそ、ここは驚嘆すべきだろう。

「静月、そこから離れて!」

 言われなくても既に鏡岬とは距離を置いている。その、僅かな隙間に飛び込んでくる赤い閃光。弾丸は鏡岬と俺との間にさらなる空白を作る。刀を失った鏡岬はそれを回避する為に下がるしかない。結果として両者が隔てるのは教室一つ分の距離。

 弓坂の隣まで行って脚を縺れさせた。無様に転げながら見たのは、教室前の廊下に浮かび上がる三つの魔法陣。

「術式連結……完了。同時起動開始……完了。魔力充填(セット)――共界回路連結起動!」

 旋回を始める三つの輝き。拡がり、互いに呼応する理を覆す無法の徒。影響し合い響き合い、輝きを増した円陣に世界からの莫大な供給が加わり、弓坂の術式が発動する。

 赤い光は見た目に違わぬ高温を宿し、急速回転の内側から魔術によって生み出された炎が沸き上がり――コンマの後、視界に出現した巨大な火炎の柱。それは確かな隔たりとなり、世界を二つに分ける。

 炎が消えた先に残ったのは、一階から屋上までを穿たれた煤に黒く汚れた校舎の内側だった。

「これは……ちょっとやり過ぎじゃないのか?」

「これぐらいしないと、あれは止まらないわよ。いくら化物染みてるからって、この距離を跳躍するなんて滅茶苦茶はないでしょ。ほら、行くわよ」

 走り去っていく弓坂。その姿にすぐについていく気にはなれなかった俺は、随分と遠くに行ってしまったように感じる友人に視線を投げ掛けた。鏡岬は、何かを言いたげにこちらを眺めている。その姿に罪の意識があって、だからすぐには走り出せなかった。

 弓坂の怒声に呼びつけられて、ようやく踏み切る。鏡岬に背を向けて、俺は逃避の道を急いだ。

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