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15/結界の城

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 世界が燃えている。

 黒い空を妬き焦がす赤い大地の火炎。人々の絶叫を薪にして加速する地獄。

 少女はただそれを見ていた。終わりの顛末を遠くで眺めて、消えていく命に涙する。表情の枯れた頬を伝う涙が滴り落ちて、呪文のような謝罪をぽつりぽつりと少女は零す。それは何度も何度も繰り返してきた、決して誰にも届くことも無い言葉。

 ごめんなさい。

 燃え上がる街を見て、少女は泣きながら口に出す。自身の罪の重さに壊れそうになりながら、それでも少女は立ち尽くすことが出来ず、もう何度も見てきた破滅の瞬間を瞳に写す。

 何が間違っていたのかなんて、もう憶えていない。

 生まれたときからずっとそうだったわけではない。子供の頃は少女も普通に日々を過ごしていたのだ。しかし月日を経て『法典』との回路が繋がると、噂を聞いたたくさんの大人達が、その身に刻まれた術式を廻って殺しあっては果てた。その度に周囲は瓦解し、崩壊し、煉獄と地獄は幾度と無く地上に顕現した。それをいつから悲しいと感じなくなったのかなんて、やっぱり憶えていない。今溢れてくる涙にも、共感できない。

 全ては己の内に秘められた『法典』という力の所為。

 無くしてきたものは数知れない。幼い頃の平穏な日々も、優しく笑いかけてくれた両親も、仲の良かった友達もみんないなくなった。全部、自分の中にある力の所為だと、毎回目にする炎に思い知らされる。

 無くしていくばかりの日々。

 終わり続ける自分の周囲。

 その中で、少女は心に誓った。

 戦おうと。泣いていた日々と決別する為に、小さな胸に誓う。

 自分にはそれしかないからと強がりに笑って。己に与えられたその絶望の術式を利用し、少女は魔術師になった。せめて消えていった人達の心に触れられなかった自分が、この世界にだけは共感できるように。

 だから彼女はいつもその詠唱を紡ぐ。

共界(アクセス)

 泣き疲れて感情の枯れた彼女が、世界の色を心に共鳴させる。そうすることが贖罪。救えなかった人達がいて、意味の無い戦争に巻き込まれて死んでいった人達がいる。その人達に届くように、何度も何度も――詠唱は言葉無き謝罪。世界を廻る、一人ぼっちの少女の嘆き。

 けれど状況は何も変わらなかった。

 結局、自分が戦うことで救われるものなんて極少数。消えていく命の数は一向に減ることを知らない。

 誰に罪が在ったのかなんて知らない。

 だけど一つだけ解ったことがある。感情を持たない俺でも、彼女の夢を悲しいと思えた。それはきっと、この夢を見る原理と同じで、無色の心が彼女の魔術に感化されただけ。それでも、それを悲しいと思う気持ちは確かにあったから。

 偽物でも構わないと思った。

 たとえ偽りから生じた空想でも、その感情が自らを満たす唯一なら、それが籠野静月の全てだから。

 いつかの夜に見た少女を、偽物の心で綺麗だと思った。そうだ。それだけあれば十分じゃないか。そう思えたのなら、それこそが俺の想いなのだから。偽物でもいい。ただ一つのそれを守り抜こう。

 夢の終わり、辿り着いた焼け野原。

 いつも、少女はその光景を果てまで呆然と眺めて背を向ける。いつになれば終わるのか。そんなことはもう考えなくなっていて、走り続けることだけが全てになっていた。

 戦うと、心に誓った。

 挫けそうになって思い出すのは、赤い世界に約束した誓い。小さな小さな、彼女の祈り。一人でも多くを救いたいと、呪われた己が身を嘆くのではなく、犠牲になった人達を思う願い。

 誰とではなく、自身と。

 いつの日か彼女が自分を許せるようになるその日まで、少女の戦いは続く。

 ――たった一人の、孤独な戦いの旅路がこれからも。




 …




 目が覚める。

 何度目かになる彼女の夢を見た。思えばこれこそが、俺の中身が空っぽだということの証明だったのだ。弓坂との繋がりは、それ自体が俺の心が偽物だということの証拠。このマンションで、自らのイロと引き換えに形を得た魔術に共感した。

 それが籠野静月と弓坂絵空の繋がり。

 空っぽの俺にも許された、唯一だった。

「そう……だ。いま、何時だ……?」

 頭を押さえて起き上がる頭痛の名残と最悪の寝付き、そして長時間硬い床に寝ていたことが一同に作用して体が上手く動かせない。窓の縁に手を掛けて立ち上がるのが今の限界だ。そうした後でも支えがないと立っているのもままならないくらいに体にはがたがきてる。昨晩の魔術行使がそれだけ負担の大きいものだったんだと今になってやっと理解した。

 それも、今更だな。散々弓坂には言われたし、俺自身も体感した。なのに限界になるまで覚えないのは、俺が相当な馬鹿なのか。

 窓の外には既に日が高く昇っていた。この分だと正午を回ってからそれなりの時間が経過しているだろう。つまり俺は、あれから十時間以上もの間昏睡していたことになる。

「い……っ」

 思い出すと頭痛がした。記憶はそのまま自身を傷付ける刃だ。今の俺にとって魔術に関わる記憶は有害にしかならない。内部からの矛盾が起こす摩擦は、容赦なく精神に負担を掛けて削り取っていく。でも今はまだ大丈夫そうだ。これならまだ動ける。

 行かないと。まだ戦いが終わっていないなら間に合う。彼女の夢に決めたんだ。あいつを一人で戦わせない、と。だからこれくらいの痛みで立ち止まっていられない。早く、弓坂のところに行かないと――。

 場所を特定する有効な手段ははっきり言ってない。しかし全くの無策というわけでもなかった。ただそれはかなり効率が悪く、運試しのような杜撰な策で――とどのつまり何をしようとしているかといえば弓坂と結界を壊して回ったことと同じだ。

 あの二人が戦っているとすればそこには必ず結界が張られているはずだから、見つけ出すことは不可能ではない。問題は結界の術式のように不特定多数広範囲に広がったそれを見付けるのではなく、この街のどこかに生じたたった一つの異常を当てもなく探し回らねばならないという点にあって……

「……考えてる時間はない、か」

 既に戦いは始まっているかもしれないし、終わっているかもしれない。一秒だって足踏みしている時間は残されていない。考えてる暇があれば動き回った方がよっぽど意味がある。

 もしも、既に二人の魔術師が別の地にいたらなんて仮説は、考えたくもなかった。




 *




 無策に等しい足掻きが功を奏したのは行動を開始してから二時間くらいが経ってからのことになる。時間帯や、そんな場所は有り得ないという先入観から無意識に避けていたその場所の前で足を止めた。

 濃厚な異端の気配。吐き気を催す甘い空気。そして微かに痛む頭の隅。こんな状態でなければ信じられなかったが、魔術師の結界が張られていたのはあろうことか学校だった。

 だが見つけた後ならこの場所に合点がいかないこともない。昨日奴が弓坂に言っていた言葉の真意がこれで掴めた。奴がここを根城にすれば当然、生徒全員に被害が及ぶ。そうさせない為にも弓坂は魔術師を立ち退かせる必要があるのだ。

「あの野郎……正義の味方じゃないんだから……」

 都合のいいように相手のテリトリーに乗り込むなんて、実はあいつは頭が悪いんじゃないだろうか。お人好しともいう。何にしろ、そのお人好しに俺は助けられたし、俺はそのお人好しを助けたいと思っている。だから。

 ここでまだ戦いが続いているなら、手遅れでないならと思うと、知らず胸を撫で下ろす心地で安堵していた。

 よかった。

 まだ、あいつを助けられる。

「――既に滑稽を通り越して愚かだな、人形。失笑ものだ」

 意識の外から声がした。それは声という媒体を通してようやくそこにあることに気付くことができたと言っても過言ではない。こんな――直ぐ目の前に黒い魔術師は立っていたというのに。声を聞かされて認識させられるまで、そこにいることに気付けなかった。

「驚くことはないだろう。なに、そちらとこちらでは別の世界、故に見える景色が異なっていただけだ。俺と接触して、貴様はこちら側を認識できるようになったというだけに過ぎん」

「おまえ……弓坂はどうした」

「己よりも『法典』のことが気掛かりか。だから愚かだというのだ。死地に赴きながら他者を気に掛けるその驕り、人形には不相応に過ぎる。まして、その命はこの戦いに関わる必要のないものだ。あの炎葬が自ずから危機から遠ざけたというのに、自分からのこのこと現れるとは」

 こいつの言葉には、聞く耳を持たない。

 一歩で踏み切りを付ける。踏み込んでから加速して距離を詰め――至近距離から攻撃を加える。そうすれば終りだ。躱すことも防御することも許さず一撃で貫く。

「そんなこと――」

 拳を固める。昨日と同じだ。

 イメージして、回路を繋ぐ世界に記された伝説を奇跡としてここに再生する。

「――訊いてないんだよッ!」

 振り上げる拳を変格する。全身を駆け回る魔力の奔流を一点の回路に流し込み世界と共感。人智を超えた神秘を以て理を凌駕する――

「人形風情が、魔術師の真似事など止めておけ」

 その拳は。

 虚空を切り裂くに止まり何を成し得ることもなく超常としての一瞬を終えた。……いや、成功していなかったんだ、最初から。回路は接続を果たす寸前にこちらとの繋がりを切った。それはつまり、今の俺では奇跡を使役するには足りないということ。極限状態になければ、魔術師でない俺には魔術発動の神秘をやってのけるだけのスキルがない。

「同じ偶然は何度も続かん。それが驕りだと言うのだ人形」

 姿を消した魔術師の声が後ろから聞こえてくる。瞬間移動でもしたのか、黒い外套の姿は背後で悠然と立っていた。

「なにを驚くことがある。ここは謂わば俺の城だ。城主が門前の輩に直接顔を見せるわけがなかろう。これは俺の意思を投影しているに過ぎない。実体を持たぬ点、貴様と同じかもしれんな人形」

「……弓坂は、無事なのか。まだここで戦ってるのか」

「ふん。偽りの心で何を志すのかは知らんが、それほど知りたいと言うなら構わん。引き返す気がないならどの道貴様の結末は決まっている。その無礼は不問に伏そう。――そうだな。『法典』なら今、我が城の中で人形どもと戯れているところだ」

 さも愉快気に魔術師は口にする。その光景を思い描くだけで笑いが溢れてくると言うように、口元を引き上げたあの表情で言った。

「人形……て、おまえ、まさか」

「左様だ。この結界はマンションに張ったものと同じ。俺が造り出した一つの世界だ。ならば民を掌握するのは王の権利であろう。俺の思想に賛同する者を全て忠僕の人形とする――この結界はそういうものなのだよ」

 共界系の結界。弓坂がいつか言っていたことを思い出す。ある感情に強力な共感を起こして、その感情に存在を支配させる。言ってしまえば支配圏に入った者が持つ特定の感情を膨張させて暴走させるということだ。

 結界。外界との隔たりを壁にして四方を閉じた箱のような世界。

 確かに、ここを城と比喩するこの魔術師は間違っていない。

「これだけの人数だ。いかに優れた支配者も万人に共通する理念など持ち合わせていない。王政には必ず反駁する者が現れる。中には結界に染まらぬ者も多くいてな、その者達にとってこの城はまさに地獄だっただろうな」

 言い終えて遂に、黒い魔術師は哄笑を爆発させた。耳障りな大音声。結界が微かに揺れている。この結界もまた術者に共感しているのだろう。軋むような音を立てて世界が鼓動する同時に――校舎の窓ガラスが派手な爆発音を伴って砕け散った。三階の廊下。あの分だと距離は教室三つ分程度。だとしたら今のは。

 校舎に向かって走り出す。一瞬、横目で大笑いを続ける魔術師を垣間見た。黒い結界の主は走り去ろうとする俺など意に介そうともせず高笑いを続けている。その醜悪な姿に憤るのは後回しにして、今は弓坂がいると予想される校舎に急いだ。

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