【第1章】アルナハルの街
ついに辿り着いた、砂漠の王国アルナハル。
蜃気楼のように現れた都市には、活気と異国情緒、そして裏に渦巻く不穏な気配があった。
市場の喧騒、商隊の拠点、新たな出会い――
主人公・レンの異世界生活が、本格的に始まります。
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砂嵐と幻獣の騒動を乗り越え、ようやく俺たちはアルナハルの街に辿り着いた。
巨大な砂壁に囲まれた都市。
乾いた砂漠の真ん中に、まるで蜃気楼のように浮かぶ活気と喧騒の塊。
城壁の上には見張り台が並び、入り口では商人たちと衛兵が言い争っている。
ラクダの鳴き声、荷車のきしむ音、人々の怒号と笑い声が入り混じる。
「砂漠の終わりが、これかよ……。」
思わず苦笑いがこぼれる。
異世界の洗礼を浴びた身体には、あまりにも騒がしすぎた。
「呆れてないで、ちゃんとついてきなよ。」
横でキリカが軽く肩を叩く。
彼女はいつもの毒舌顔を浮かべつつ、俺を促した。
ザイードが商隊をまとめ、入り口の衛兵に書類らしきものを見せている。
どうやら、商隊としての正式な通行手続きが必要らしい。
言葉はまだ完全には分からないが、雰囲気と表情でだいたい察せるようになってきた。
俺はザイードに指示され、荷物の確認を手伝いながら街の様子を観察する。
砂漠とは違い、ここには確かに“異世界の生活”があった。
色鮮やかな衣装を纏った人々。
市場には香辛料や果物、見たことのない肉が並び、道端では異種族らしき獣人や小柄な亜人たちが商売をしている。
「本当に……異世界なんだな、ここ。」
改めて実感しながら、俺は深く息を吸い込んだ。
乾いた空気の中に、スパイスと砂と、人の匂いが混じっていた。
無事に手続きが終わり、俺たちは街の中へと足を踏み入れた。
石畳の道が続き、両脇には露店がひしめき合っている。
香辛料、布、陶器、武器、果ては見たことのない小動物まで売られていた。
ラクダや荷馬車が行き交い、子どもたちが走り回る。
「砂漠の真ん中に、これだけの人と物が集まるんだな……。」
素直に感心する俺に、キリカが肩をすくめて言った。
「水と交易があるからね。この街は、金さえあれば何でも手に入る。」
「逆に、金がなければ?」
「……砂漠に戻るしかないね。」
キリカは冗談とも本気ともつかない顔でそう言った。
街の中央には、高くそびえる塔が見えた。
白い石造りのその建物は、王族の居城か、街の象徴か。
ザイードが言うには、あれが『アルナハルの塔』で、この国と街の象徴らしい。
「砂漠の王国、ねぇ……。」
俺はぼんやりと、その塔を見上げた。
ここが、異世界生活の拠点になる場所――そう思うと少しだけ緊張が走った。
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その後、商隊は市場近くの広場に荷を下ろし、取引の準備を始めた。
ザイードたちは慣れた手つきで商品を並べ、商人たちと値段の交渉を始める。
キリカはその隣で鋭い視線を光らせ、周囲を警戒していた。
「レン、見てるだけじゃなく、覚えなよ。異世界の稼ぎ方。」
そう言われても、まだ俺は異世界通貨の価値すら分からない。
だが、指をくわえて見ているだけでは、いつまで経っても“異物”のままだ。
「やれやれ、腹くくるか……。」
意を決して、俺はザイードたちの手伝いを始めた。
重たい荷物を運び、簡単な計算を覚え、言葉を少しずつ拾い、異世界の生活に自分をねじ込んでいく。
最初は何もできなかった俺が、ようやくスタートラインに立った気がした。
だが、この街の喧騒と活気の裏に面倒な気配が渦巻いていることに、このときの俺はまだ気づいていなかった。
異世界の現実は、砂漠の熱よりもずっと厄介だ。
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市場の喧騒を抜けた先、路地裏に面した石造りの建物が、ザイード商隊の拠点だった。
「ここが、しばらくの宿ね。まあ、最低限は揃ってるわ。」
キリカが手慣れた様子で木扉を開けると、涼しげな土壁の内装が現れる。
二階建ての簡素な建物だが、屋上には風除けの布が張られ、異世界基準ではかなり快適そうだった。
「へえ……案外、ちゃんとしてんだな。」
「こう見えて、うちの親父こういうとこは抜かりないの。」
キリカが胸を張る。
確かに、ザイードの隊商はこの街でも有数の規模らしい。
部屋に通された俺は、汗をぬぐいながら腰を下ろした。
柔らかな絨毯と陶器の水瓶――砂漠の旅とは比べものにならない快適さだった。
「それと……紹介しとくわ。ニル!」
呼ばれて現れたのは小柄な少年だった。
年の頃は十歳前後、癖のある黒髪に大きな瞳。
身なりは粗末だが、瞳の奥にはどこか観察眼めいた光があった。
「……こんにちは。」
「お、おう。俺はレン。よろしくな。」
俺が手を出すと、ニルは一瞬ためらったのち、ぎこちなく握り返した。
その手は驚くほど細く冷たかった。
「ニルは、最近この街で拾った子。親とはぐれたらしくてね。今はうちで預かってるの。」
「へえ……そっちも新人ってことか。」
「そう。つまり、あんたと同レベルの新人ね。」
キリカの悪戯っぽい笑みに、思わずため息が漏れる。
「やれやれ……。俺、子どもと張り合わされてんのかよ。」
「安心しなよ。あの子、あんたより要領いいかもね?」
ニルはにこりともせず、俺をじっと見ていた。
その視線に、どこか人懐こさと違和感のようなものが混じっている。
(……変な子だな)
そう思いながらも、それ以上は追及しなかった。
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その夜、商隊のメンバーが集まり、今後の方針について話し合いが行われた。
ザイードの言葉はまだほとんど分からないが、キリカが要点を訳してくれる。
「取引は三日後。それまでは市場で下見と準備。あと、最近街で妙な噂が流れてる。」
「噂?」
「幻獣絡みの密売と、行方不明者の増加。スラムを中心にいろいろ騒がしくなってるらしい。」
「また“幻獣”かよ……。」
あの砂漠で俺たちを襲った、あの化け物。
まさか、それが“商品”として扱われているなんて。
「警戒はしておいて。特にスラム方面に近づくなって、親父も言ってた。」
キリカの目が真剣だった。
俺は頷きつつ、隣で静かに座っていたニルにふと目をやった。
彼はただ黙って、炎の揺れるランプを見つめていた。
その瞳の奥に――なぜか、ほんのかすかに“知っている”ような色を見た気がした。
(……まさかな)
幻獣、密売、行方不明者――
俺が異世界でやっと一息ついたと思ったのも束の間、街の空気は徐々に不穏な色を帯びていく。
「やれやれ……。こっちはいつ休ませてくれるんだ?」
そうぼやきながら、俺は天井を仰いだ。
星の見えないこの街で、俺の冒険はまた一歩騒がしい方向へと踏み出していた。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今回は異世界の砂漠都市・アルナハルに主人公・レンが初めて足を踏み入れ、市場や商隊での生活、そして新キャラ・ニルとの出会いが描かれました。
次回の第2章では、いよいよタイトル通り――
「アルナハルの裏側」へと物語が踏み込んでいきます。
スラムに渦巻く陰謀、幻獣取引、行方不明者の噂。
“異世界の日常”の裏に潜む、危険な真実とは?
どうぞお楽しみに!