【第5章】砂嵐と獣の咆哮。
第5章です。
ようやく砂漠の旅も終盤――と思いきや、異世界がそんなに甘いわけもなく。
灼熱の砂漠と、砂嵐と、幻獣。
またしても本気で苦労します。
異世界らしい“脅威”と、ちょっとした成長のきっかけ。
よろしければ、お付き合いください。
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「もうすぐだ」
ザイードがそう言ったのは、砂丘の向こうにかすかに街の影が見えたからだった。
砂漠を越え、ようやく辿り着くアルナハル――この地方最大の交易都市。
あの街に入れば、水も、食料も、文明もきっとある。
そう思えばひび割れた唇も、痛む脚も、少しだけ耐えられる気がした。
「ようやく終わるのか、この砂漠旅も。」
呟く俺の横で、キリカが小さく笑った。
「終わる? あんた甘すぎ。アルナハルなんて入り口に過ぎないよ。」
「……脅すなよ、マジで。」
ふっと笑いながら、キリカはラクダを進めた。
俺も続く。
乾いた風が顔を打ち、砂が頬をかすめていく。
だが次の瞬間、風が強まった。
それも、今までの比じゃない。
砂が音を立てて巻き上がる。
「――っ、な、なんだ……!?」
視界が一気に茶色に染まる。
風が唸り声をあげ、砂嵐が襲いかかってきた。
「砂嵐だ!」
ザイードが怒鳴る。
商隊の男たちが慌ててラクダをまとめ、荷物を抑え、布で顔を覆い始める。
キリカも、素早くマントを頭にかぶった。
俺も真似しようとしたが、準備不足で砂が顔に容赦なく吹き付ける。
目も、鼻も、口も、砂だらけになる。
「チッ、こっち来い!」
キリカが俺の腕を掴み、ラクダの影へと引き寄せた。
視界はほとんど利かず、風と砂の音しか聞こえない。
「やれやれ……死ぬかと思った。」
そんな皮肉すら、口にする余裕はなかった。
だが、砂嵐はそれだけでは終わらなかった。
地面がかすかに揺れる。
重たい、低い咆哮が、砂嵐の向こうから響いてきた。
「っ、幻獣だ……!」
キリカの声がかすかに聞こえる。
その瞬間、俺は理解した。
この世界は――本気で、俺を殺しにかかっている。
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砂嵐の中、幻獣の咆哮が響く。
俺の全身が氷のように冷えた。
砂嵐に混じる重たい振動。地面を這うような、得体の知れない気配。
「レン、動くな!」
キリカの声が叫ぶ。だが、砂と風でほとんど聞こえない。
目を凝らしても、砂嵐が視界を奪う。
だが――見えた。
砂の向こうに、巨大な影がうごめいている。
全身を灰色の鱗に覆い、背中には棘のような突起が並ぶ四足の獣。
その瞳は、暗闇の中で鈍い黄色に輝いていた。
「……マジかよ……。」
現実離れした光景なのに、恐怖だけは現実感たっぷりだった。
「トルクダイルだ!」
ザイードの怒鳴り声が響く。
商隊の男たちが、慣れた手つきで武器を構える。
剣、槍、弓矢――どれも、見た目は質素だが、迷いのない動きだった。
幻獣――トルクダイル。
砂漠に棲む凶暴な肉食獣で、商隊を襲うことで知られているらしい。
言葉は分からないが、状況とザイードたちの様子が、全てを物語っていた。
「おい、隠れてろ!」
キリカが俺をラクダの荷物の影に押し込む。
その目は真剣で、遊びや冗談の欠片もなかった。
俺は震えながら砂に伏せた。
剣も魔法もない。戦う術は、何ひとつない。
ただ、無力に見ているしかなかった。
だが、それでも目を逸らすことはできなかった。
異世界の“現実”から、逃げたくなかった。
商隊の男たちが幻獣に立ち向かう。
弓矢が放たれ、槍が突き出される。
だが、トルクダイルの鱗は分厚く攻撃を弾き返す。
「やべぇぞ、これ……!」
キリカが短剣を構え、隙をうかがう。
ザイードは冷静に指示を飛ばし、男たちを動かしている。
だが、それでも幻獣は止まらない。
巨体が突進し、ラクダが蹴散らされ、荷物が散乱する。
商隊は徐々に押され、包囲が崩れかけていた。
――このままだと、全滅する。
そんな絶望が、じわじわと広がっていく。
「くそっ……!」
自分の無力さが、歯痒くて仕方なかった。
だが、俺にできることは――。
視線を巡らせたとき、目に飛び込んできたのは、荷物の中から転がり落ちた小さな布袋だった。
中には白い粉のようなものが見える。
ザイードが荷物整理のときに「砂煙用」と説明していた気がする。
言葉は全部分からなかったが、身振りと雰囲気で、目潰し用の粉だと理解していた。
「……当たって砕けろ、か。」
俺は布袋を掴み、砂嵐の中を這いながらトルクダイルの接近を待った。
距離を測り、風の向きを確認する。
全身の震えを、無理やり抑え込んだ。
そして、幻獣の巨体が目の前を通過した瞬間。
「っ……!!」
俺は、布袋の口を引き裂き、白い粉を全力でぶちまけた。
風に乗って粉が広がる。
トルクダイルの顔に、粉がかかるのが見えた。
次の瞬間、幻獣が苦しそうに咆哮をあげ動きを止めた。
目をこすり、暴れ、砂を巻き上げながら後退する。
「今だ、叩け!」
ザイードの怒鳴り声と共に、男たちが一斉に攻撃を仕掛けた。
槍が突き刺さり、剣が鱗の隙間を切り裂く。
キリカが、素早く幻獣の脚に短剣を突き立てた。
トルクダイルは最後の咆哮をあげ、砂嵐の中に姿を消した。
沈黙が戻る。
砂嵐は徐々に収まり、視界が少しずつ開けていく。
「……助かった、のか?」
俺はへたり込んだまま、呆然と呟いた。
ザイードが歩み寄り、俺の頭を軽く叩く。
「やるじゃねぇか、異世界人。」
言葉は全部は分からないが、そんな意味だと察せた。
キリカもにやりと笑いながら、親指を立ててみせる。
俺は痛む身体を引きずりながら、砂漠の先を見つめた。
遠く、アルナハルの街の輪郭が、砂煙の向こうにぼんやりと浮かんでいた。
「やれやれ……とんでもねぇ歓迎だな。」
そう呟いた俺の言葉は、乾いた風に消えていった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
砂嵐と幻獣という、異世界の洗礼をレンはなんとか乗り越えました。
と言っても本人の実力というより、ほぼ偶然と周囲のおかげですが(笑)
次回から、ようやく【第2部:砂漠王国アルナハル編】がスタートします。
面倒だけど、悪くない異世界生活――本格的に始まります。
また読みに来ていただけたら嬉しいです!